初秋の区境を歩く

 これまで3回にわたって、「『わが町』から」と題して私が住む都筑区に関連した話を投稿してきたが、今回はその付録のような文章となる。私が年金者組合に加入したこと、そしてまた地元のこの組合が主催するウオーキングに毎回参加していることは、既にブログで紹介済みである。年の明けた1月には中山駅周辺の寺社巡りに出掛け、2月には川崎市の柿生の郷を巡り、3月には瀬谷区にある海軍道路の桜並木を眺めてきた。

 その後5月に、川崎市の王禅寺近くにある「エコ暮らし環境館」を訪ねる企画があった。私の関心はウオーキングにあったので、それほど歩かないように思われたこの企画にはあまり興味が沸かず、パスさせていただいた。運動不足気味の私としては、とにもかくにも歩きたいのである。直立した二足歩行を学んだ人間の性ででもあろうか(笑)。

 そんなに歩きたいなら、一人で近くの緑道でも散策すればいいではないかと思われるかもしれないが、私の場合、ただただ歩くだけではなく、未知の場所に出掛けそこでの景観や風物を楽しみながら、のんびりと歩きたいのである。そうすることによって、日々の雑念から離れわが身を軽くしたいのである。

 年金者組合のウオーキングは、そうした私の「贅沢」な願いを叶えてくれるので、何時も期待しているのである。出掛ければ、ブログに投稿する材料が見付かるかもしれないなどと、不埒なことを考えていたりもするので尚更である(笑)。出不精な人間は、ひとに企画してもらわないとなかなか出掛けられない。そこで今回の企画である。「港北区新吉田町(御霊谷戸)から新羽へ」と題したウオーキングは、9月21日に実施された。6月からは、コロナや天候不順で中止が続いたので、今回は久し振りのウオーキングである。

 集合場所は市営地下鉄グリーンラインの東山田駅であった。この駅は都筑区の東端にあり、ちょっと歩けば港北区である。歩いたのは、正福寺、杉山神社、円應寺であり、最後に新田緑道を散策して市営地下鉄ブルーラインの新羽駅に出るというコースだった。おおよそ一万歩ほど歩いたことになる。

 当初私は、今回廻ったところがすべて都筑区内にあるかのように思い込んでおり、それで「『わが町』から」の続編としてちょうどいいように思っていたが、区境にあるとは言うものの所在地は3箇所とも港北区であった。当日はそれまでの厳しい残暑も和らぎ、薄曇りのウオーキング日和となった。

 都筑区の外れにある東山田駅に集まったのは18名である。私は新参者なので、先導の案内人となった山崎さんの話をよく聞き、素直について行くだけである。この駅はニュータウンの中心部にある駅とは大違いで、駅を出ると目の前は車道であり、広場もないし商店もない。駅舎は立派なのに、駅前がこんなに閑散としている駅は珍しい。港北ニュータウンの開発もここまでは及んでいないということだろうか。

 駅を出て早渕川に架かった新北川橋を渡った。それほどの水量もないこの小さな川は、青葉区の美しが丘に源を発しているようで、都筑区、港北区を流れて綱島付近で鶴見川に合流している。ニュータウンを突っ切っているので、なじみのある川である。橋を渡り第三京浜道路の下を通るトンネルを抜けると、最初の目的地である正福寺となる。なかなか立派なお寺であった。

 このお寺は星宿山千住院正福寺という。お寺には山号、院号、寺号があることも知らなかったので、山号である星宿山とはどんな意味なのか気になった。近くの人に尋ねたが、よくわからないとのことだった。このウオーキングの後、小僧二人を連れてたまたま川崎市の多摩区にある王禅寺に出掛ける機会があったが、そこにも星宿山の文字があった。

 近くに山らしい山はないので、もしかしたら通称として付けたのかもしれないが、星が宿る山とは何とも美しい表現である。翌日は彼岸の中日、秋分の日だったので、墓参りの人もちらほら見かけた。私はと言えば、田舎の墓にも大分長い間無沙汰している。父も母も姉もそしてまた子供も、もしかしたら私の墓参りを待っているのかもしれない。

 次に向かったのは御霊(ごりょう)跡地である。この地区にお住まいの宮田さんという方の祖先が、更に昔の先祖を御霊堂に祀ったらしい。しかしその堂も今は跡形もない。ただ石碑が建つのみである。側にあったお墓はみな宮田姓であったから、一族郎党なのであろう。古くなった墓石が隅に積まれていたが、いつかは墓石もこうなるのである。一抹の侘しさも残った。

 その次は杉山神社である。ウオーキング前に駅で配られたチラシによると、この神社は『延喜式』の神名帳(じんみょうちょう)に登録された神社(これを式内社と言う)だとの説があるらしい。それだけ由緒ある社格の神社だということなのだろう。都筑区にもたくさんある杉山神社の本社だということなのか。この神社は鬱蒼とした森の中にあり、辿り着くためにはかなりの急階段を登らなければならない。登るのを諦めた方も何人かおられた。階段の登り口に立てられていた「神奈川縣都筑郡新田村吉田」と彫られた石柱が時代を感じさせた。

 最後の目的地となったのが円應寺である。ここは横浜市の無形文化財に指定されている「火渡り修行」が、毎年10月に行われていることで知られているというお寺である。勿論ながら私は知らなかった。寺の前にはちょっとした広場があったが、そこで修行が行われるのである。世俗の煩悩にまみれた私などにはもってこいの修行なのではあろうが、どうせすぐに音を上げるに違いなかろう(笑)。

 寺の前には小さな蓮池があった。近付く秋を感じさせて風情があった。しばし休憩となったので、柵にもたれてのんびり眺めた。こんなふうにしていると、日頃の鬱陶しい雑事もすっかり忘れることができる。案内人によると、隣の民家には長屋門があるとのことなので、ついでに見に行ってみた。

 辞書によると、長屋門とは「武家屋敷でみられた門の形式。門の両側が長屋となっており、そこに家臣や下男を住まわせたもの。富裕な農家にもみられた」とある。脇から庭先に勝手に入ってみたら、想像以上に広い庭だったので、昔は豪農だったのであろう。長屋門は昔日の名残りということか。
 
 円應寺を出てしばらく歩くと、幹線道路に出る。そこには時代を感じさせるものはもう何も無い。過去にタイムスリップしてきたので、急に現実に引き戻されたような感じがした。帰りは新田緑道を通って新羽駅に出た。この辺りは産業道路も通っていて工場も多いようだが、そんな場所に潤いを与えるような気持ちのいい遊歩道である。

 出発点の東山田駅も初めてだったが、終着点の新羽駅もそうだった。駅の二階にあった中華料理屋で、案内人の山崎さんと昼飯を食べた。彼は飲まないので私だけがビールで喉を潤し、しばし家族のことなどを語り合った。この頃には日が射してきたが、それは柔らかですでに秋のものだった。