元日の朝を迎えて

 2018年の大晦日も過ぎて元日の朝を迎えれば、年が改まって2019年である。私のような人間にとっても、この日の朝はやはり特別だといった心持ちになる。朝の冷気を頬に受けて、清々しい初空をゆったりとした気分で眺めていると、いつしか心も穏やかになる。そんな細やかなことが嬉しく感じられる。せわしない日々からすっかり解放された所為であろう。大晦日には長女が珍しく泊まりがけで我が家に顔を出してくれたので、年が明けてまであれこれの話に花が咲いた。2日には妹夫婦や次男も顔を出すという。両親がともに70歳を過ぎたので、気を遣ってくれているのであろう。子どもたちに気遣われる年齢になったのである。

 しかしながら新年の気分はそこまでで、この年になると大晦日にも元日にもそれ以上の感慨がわくというわけではない。NHKの紅白歌合戦などから離れたのは大分前のことだし、普段あまりテレビを見ないので、年の瀬にたまにつけると何とも騒々しい。たわいもないことに大騒ぎしているように感じられて、うんざりするのである。正月番組もみなそうなのではあるまいか。もちろん箱根駅伝などにもまったく関心がない。きっとスポーツを通しての感動物語とやらが至る所にばらまかれ続けているので、そんな世情にいささか胡散臭さを感じているからだろう。この調子でいくと、来年の東京オリンピックにもまったく興味を示さないままに終わりそうな気配が濃厚である。

 大阪万博なども何処の誰の話かと言いいたくなる。「維新」などは万博開催のどさくさに紛れて、カジノ誘致をもくろんでいるようだが、何とも酷い話ではある。オリンピックだ万博だとはしゃいだ挙げ句、宴の後には膨大な借金が残り、残骸の山が放置されることになるのであろう。ついでに書いておけば、私の住む地元横浜にもカジノ誘致の話が持ち上がっているようだが、中学校給食の実施程度のことをやれずしてカジノにうつつを抜かしかねないようなので、余りの阿呆らしさに開いた口が塞がらない。いったいいつまで、オリンピックだ万博だカジノだとはしゃいでいるのだろう。さらに言えば、いったいいつまで、民意そっちのけで消費税だ原発再稼働だ辺野古基地建設だ、そして憲法改正だと騒いでいるのだろう。せめて元日ぐらいは、心身を清め落ち着きを取り戻して、「正気」に戻りたいものである(笑)。こんなふうに、言わずもがな書かずもがなのことを平気で言ったり書いたりすれば、変わり者や偏屈者、臍曲がりやつむじ曲がり、さらには奇人や変人の類いだと思われるに違いない。

 昨年末には、いつものように年賀状を書いた。相変わらず長々しい文章だし、そこでたっぷりと自己宣伝もしておいたので、気に障られた方もいたかもしれない。自分が他人から同じような年賀状をもらったら、いったいどんなふうに感じるのであろうか。想像してみたら、余りいい気持ちはしなかった(笑)。何故かと言えば、相手も顧みずに一人で勝手にはしゃいでいるからである。そうであれば、いい気持ちがしないのは当然であろう。そんな思いもあったので、年賀状は友人や知人30人程度にしか出していない。あとは、もらった年賀状に返事を書くつもりである。勿論長々しい文章は印刷するが、下に2,3行ほど線を引いておき、僅かではあるが自筆で文章を書く。相手のことを思い出しながら、相手の安否を気に留めながら、書くのである。その長々しい文章とは、以下のようなものであった。

 今年の年賀状は、定年退職後初めてのものとなる。しかしながら、退職したからといって何か特別なことが起こったわけではない。あれこれの波風は立っても、ごくごく平凡な日々が続いている。そして、そのような日常こそが大切にされるべきものだという感覚もまた、胸中にゆっくりと広がってきた。何やら「裸木」の境地のようでもある(笑)。教育と研究からはすっかり足を洗ったが、地元のあれこれの社会運動に首を突っ込み始めたので、日々の忙しさはこれまでと余り変わらない。大きく変わったのは、社会運動の合間に、ネット上に「敬徳書院」という自分出版社を立ち上げ、ホームページも作成してもらって、そこの店主にふんぞり返ったことである(笑)。これぞサプライズである。

 ついでに、「店主のつぶやき」と称するブログまで始め、この間あれこれと雑文を綴ってきた。こんな振る舞いを老後の道楽というのであろう。自己満足の極みである(笑)。楽しくなければ道楽とは言えないであろうから、勿論楽しいのだが、一週間に一度程度とはいえ、まとまりのある文章を綴っていくことは、私にとってそう簡単な営みではない。だが、簡単ではないからこそ、いつまでも飽きることなく続けられるのかもしれない、そんな予感がしている。この一年、皆様の日々の暮らしが充実するとともに、落ち着きあるものとなりますことを、心より願っております。
 
 以上が今年の年賀状の文面である。去年最後のブログへの投稿を俳句で締め括ったので、今年最初の元日の投稿も同じように俳句で終えてみよう。高浜虚子の作品に「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」という句がある。「去年今年」が正月の季語である。手元には講談社の『新日本大歳時記』全5巻があるが、春夏秋冬に加えて新年があるので5巻となっているわけである。新年にはそれだけ伝統の行事が多いからなのだろう。句の鑑賞は読み手次第であり、多様な読みが可能なのがいい句だと、亡くなった多辺田政弘さんから教わったことがある。勝手に私の印象を記しておくならば、「貫く」という表現に胆力を感じさせる何とも力強い句のように思う。

 この句に、「ただ一本の棒が貫くように変化なく過ぎてゆく歳月」や「淡々と年を送り迎える虚子の老境」を感じる向きもあるようだが、私にはどうもそうは思えない。小西昭夫の『虚子百句』(創風社出版、2010年)では、「貫く棒という生々しい実在感は、むしろ人間の信念といったものものも感じさせる」と指摘されているが、同感である。そこに着目してこそのこの句であろう。われわれは、正月を挟んで去年と今年を区切ったりしているが、それは世間の約束事に過ぎないのであって宇宙や自然の摂理と同様に自分の暮らしや生き方、そして思想や哲学なども、年を跨いだからと言って何一つ変わるものではなかろう。

 そんなふうに考えると、平成から新元号への改元なども同じようなものなのではあるまいか。私はと言えば、平成の30年などというものに何の感慨もわかないのは勿論だが、これから先も元号で自分の人生を区切られたいなどとはまったく思わない。既に一人の人間となったはずの天皇の退位によって、時代を区切ったりしていいものなのか。デモクラシーの世の中においては、余りにも不遜な振る舞いのようにも見える。「棒の如きもの」と詠んだ虚子に学んで、これからは元号からすっかり足を洗うつもりである。先の句は、そのぐらいの信念を秘めた人生の構えを詠んだものなのではあるまいか。これは虚子76歳の時の句だと言うことだが、とてもそんな高齢者が詠んだとは思えない潔さが横溢している。その潔さを見習いたいものである。元日の朝机に向かいながらそんなことを思った。

 年が改まっての二句
   元日の机辺(きへん)親しむ心あり (稲畑汀子)
   去年今年繰り返しつつ吾れ老いぬ (店主)

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