今年の桜を追って

 今年は、新型コロナウイルスの感染拡大もあって、桜の名所では花見の宴が禁止されるような事態となった。もともと花見にそれほど関心があったわけではないので、個人的にはどうでもいい措置ではあるのだが、繰り返しテレビなどで報道されているうちに、花見がだんだんと気になるようになってしまった。周りに影響されやすい人間だからであろうか(笑)。

 私の住む団地にはなかなか立派な桜の木が何本かあり、また近くのスーパーマーケットに出掛ける際にもちょっとした桜並木を通ることになるので、花見はそれで十分なはずである。そんな時に、年金者組合の月例のウオーキングが3月30日に開催された。案内には、「桜咲く、海軍道路」とあったので、出掛ける気になった。2月に出掛けた時にはすっかりうららかな陽気となっていたので、今年の桜の開花は例年よりも大分早まりそうな気配だった。3月の末では桜は散っているかもしれないとの話だったが、コロナ騒動に影響されたのか、その後本格的な春の到来は行きつ戻りつしていたために、桜は散ってはいなかった。

 今回は、上瀬谷にある海軍道路の桜並木を見に行ったのである。長津田駅のホームで待ち合わせたが、参加者は前回よりも更に少なく8名に留まった。不要不急の外出を自粛するように求められてもいたので、参加を取り止めた方が多かったのであろう。私もそんな気にならないでもなかったが、3密になるわけでもなかろうと判断して出掛けることにした。運動不足が続いていたこともあり、気分転換に外を歩いてみたかったこともある。

 田園都市線で長津田から中央林間に行き、そこで小田急線に乗り換えて二駅目の鶴間で下車し、そこからバスに乗って海軍道路の北端にほど近い笹原で降りた。たいして時間はかからない。私は神奈川に住んで50年近くになるが、鶴間駅で降りたこともなかったし、海軍道路の存在も知らなかった。こんな機会でもないと顔を出すことのない場所である。地図で見るとよくわかるが、海軍道路と呼ばれる一直線の道路が、南北に3キロ近くも続いている。

 ここが海軍道路と呼ばれているのは、戦前この辺りには旧日本海軍の火薬庫や補給施設や倉庫が立ち並んでおり、それらの物資を輸送するために道路沿いに引き込み線が敷設されていたからだという。一直線の道路となっているのは、いざという時に滑走路に使うことも視野にあったためらしい。戦後は1951年に米軍に接収されて上瀬谷通信基地として使用されていたが、2015年に返還された。今は道路の西側は農業専用地域となっており、野菜畑が広がっていた。東側は空き地のままだが、今後基地の跡地の半分以上を使って大型施設やテーマパークが誘致されようとしているらしい。

 ところで肝腎の桜であるが、道路の両側に桜の巨木が並びそれが延々と続いていて、なかなか壮観である。これほどの桜並木だとは思いも寄らなかった。知らなかったのは私だけだったようで、ここは横浜市内でも有数の桜の名所としてよく知られているとのことである。余りの巨木なので、桜を見上げながら歩くことになる。横浜市のホームページによると、ここに植えられている桜はソメイヨシノが300本、ヨウコウサクラが40本だという。私のような人間には、勿論その区別も付かないのだが…(笑)。

 少し残念だったのは、道路をクルマが普通に通行しており、のんびりと休憩できるようなベンチもなかったので、落ちついた気分で桜を眺めるわけにはいかなかったことである。時期が時期なので、桜を眺めて歩く人はほとんどいなかった。花冷えの天候だったこともあったかもしれない。桜は昭和50年代に植えられたとのことであるが、海軍と桜の組み合わせとなるので少し複雑な思いも抱いた。

 桜並木の道の両側を思い思いに歩き、ついでに写真もたくさん撮った。その後、上瀬谷小学校を経て牢場坂を下り、妙光寺に向かった。牢場坂の由来であるが、道路脇にあった案内板によると、室町時代の武将山田伊賀守がこの地に居を構え、その一部に牢場を設けたことから、いつしか「牢場坂」という名前で呼ばれるようになったとのことである。そんな古い時代の呼称が今でも残っているのが何とも不思議である。土地柄であろうか。

 今回のウオーキングの最終目的地となったのは妙光寺である。七福神はよく知られているが、瀬谷にはそれに達磨大師を加えた八福神があり、それらを祀った八つのお寺を巡るコースがあるという。妙光寺は七福神のうちの大黒天(福德の神)を祀っており、「横浜瀬谷 八福神 妙光寺大黒天」の真っ赤な幟が立っていた。ここには立派な梵鐘があるが、これは、恩田にある万年寺の和尚が賭け碁に負けて持ち去られたものであるとの言い伝えがあるらしい。

 境内には数日前に降った季節外れの雪がまだ残っており、その所為もあるのか桜は見頃のままだった。また、どう見ても葉にしか見えない緑色の御衣黄(ぎょいこう)サクラも咲いていた。花に詳しい同行の方が教えてくれたのである。初めて見る珍しい桜だった。妙光寺は日蓮宗のお寺のようで、寺の掲示板には「今月の聖語」として「陰徳あれば陽報あり」という言葉が掲げられていた。日蓮の遺文であるという。

 解説文も付けられていて、「『受けた恩は岩に刻め。貸した恩は水に流せ』と古人の言葉にあります。これは私たちの思いがこの反対になりがちだからこその戒めなのでしょうか。(中略)日蓮聖人は相手に理解されなくても陰徳を積むことは必ずや大いなる功徳となって報われると説かれています」とあった。

 私などまったくの不信心な人間なので、普段であればこうしたものなど見向きもしないところだが、いささか気弱になったこんな時期なので、素直にこの教えを受け止めさせてもらうことにした(笑)。殊勝な心掛けではある。それにしても、「陰徳を積む」とはなかなか味わい深い言葉ではないか。陰徳とは、密かに行う善行のことを言うが、辞書にはもう一つの意味が紹介してあって、性的に相手を満足させることと記されていた。「陰徳あれば陽報あり」とは、日蓮の教えもたいしたものである(笑)。

 今回も、サクラの写真は勿論だが、道すがら目に留まった花々の写真も合わせてを紹介しておくことにした。こんな写真を見て、行く春を惜しんでいただけたら幸いである。バスで鶴間駅に戻ったが、身体が冷えたこともあって、駅前の蕎麦屋で食べた熱い天ぷら蕎麦がやけに旨かった。「花より団子」ならぬ「花より天ぷら蕎麦」ということか(笑)。

(追 記)
 妙光寺に掲示されていた「陰徳あれば陽報あり」という言葉だが、調べてみたら別に日蓮のものではないことがわかった。『淮南子・人間訓』に「陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り(人知れず徳を積む者には必ず誰の目にも明らかなよい報いがあり、隠れて善行をしている者には必ずはっきりとした名誉があるものだ)」とあるのにもとづいているとのことである。淮南子(えなんじ)とは、前漢の武帝の頃に淮南王だった劉安が学者を集めて編纂させた思想書である。