「飲み会」三態(五)-飲み会放浪記-

 これまで飲み会の話を「『飲み会』三態」というタイトルで投稿してきたのだが、書き始めているうちに飲み会の予定が次々と入ることになってしまった。コロナ禍で自粛を余儀なくされていたので、飲み会の再開があちこちで心待ちにされていたからであろう。大学の友人たちとの会食以降も飲み会が続いている。11月の6日には団地内の知り合いと、13日には下山房雄さんの米寿の祝いのあとHさんAさんと、18日には知り合いのKさんと、26日には大学を定年退職されたUさんと、31日にはゼミの卒業生4人とといった具合に、ほとんど毎週の如くに飲んだ。続く時はよく続くものである(笑)。

 もしも飲み会に顔を出す度にブログに投稿していたら、「『飲み会』三態」は四態になり五態になりして変態化し、愚にも付かない話が延々と続きそうな気配が漂い始めた。こんな話を続けていると、私が余程酒好きな人間のように思われるかもしれない。しかしながら、実態がそれほどでもないことは、この連載の冒頭で既に触れておいた。家ではアルコールをまったく口にしていないのでアルコール断捨離生活だなどと書いたわけだが、こんなにも飲み会があっては、どこがアルコール断捨離生活なのやら。まったくのお笑い草である(笑)。

 団地内の知り合いとの飲み会はある方の自宅で行われ、また下山さんの米寿の祝いは彼の家がある海老名で行われたが、それ以外はすべて都心での飲み会となった。飲み会のためにわざわざ電車に乗って出掛けるのは面倒だとの気持が、まったくないと言ったら嘘になるが、出掛けたついでにあれこれと眺めたり、足を延ばしたりして、ブログの材料を探すことも兼ねるようにしているので、それほど苦にはならない。出掛ければ、家に籠もっているのとは違ってかなり歩くことになるので、運動不足の解消のためにも外に出る、そんな感覚もある(笑)。

 それはともかく、「『飲み会』三態」を完結させるために、ここまで触れなかったあれこれの飲み会をまとめて一気に紹介しておくことにした。こうなると、酒場放浪記ならぬ飲み会放浪記である(笑)。そんな放浪記にいったい何の意味があるのか。勿論ながら、意味などまったく無い(笑)。開催順に紹介してみよう。まずは団地内での飲み会である。いろいろな馬鹿馬鹿しい「事件」があって、それを切っ掛けに気安く語り合える関係ができ、その延長線上で飲み会が持たれるようになった。

 私が嬉しく思うのは、同じ団地に住んでいるだけの関係に過ぎないのに、こんなふうに親しくなれたことである。参加者全員が、団地は現代の「長屋」だと思っており、「長屋」で大事なのは建物以上に住み心地であり、人間関係だと感じているのではあるまいか。マンションだのハイツだのメゾンだのカーサだのといった変に高級そうな呼称などくそ食らえである(笑)。浮世離れした私は、この飲み会に参加してみんなの語る世間話を面白く聞かせてもらっている。私の知らない話が次々と出てくるからである。

 次に取り上げるのは、11月の半ばにあった下山房雄さんの米寿を祝う会合である。私とHさんとAさんの三人で、下山さんの自宅がある海老名に出掛けた。下山さんとは、3人ともそれぞれに縁浅からぬ関係にある。それと同時に、下山さんの研究者としてのあるいはまた左翼の人間としての振る舞いに、今でも深い敬意を払っている。それがあるから集まれるのであろう。「レガーミ」という名のイタリアンンレストランで下山さんご夫妻を囲んで昼食をとり、美味しいワインを飲んだ。この日は天気も上々で、レストランの目の前が国分寺跡の公園となっており、そんな景色を目にしながら話が弾んだ。

 「今度は卒寿のお祝いですね」などと話を振ったところ、下山さんは「そこまで生きられるかどうか」と返したついでに、「死ぬことに対する恐怖はありますね」とぽつりと語られた。彼ぐらいの年齢になると、「何時死んでもいい」などと語る人が多いものだが、かなり率直な物言いだったので気になった。死の恐怖から逃れるうえでは、年を取って惚けることも案外いいことなのかもしれない。何時までも頭脳明晰な下山さんだからこその述懐だったかもしれない。しかしそれにしても、惚(ぼ)けると惚(ほ)れるが同じ漢字だったとは、今の今まで気が付かなかった。惚れっぽい人は、若いときから惚けているのだろう、きっと(笑)。

 昔々のある時期、家人の祖母と一緒に暮らしていたことがあった。その祖母は100歳まで生きて天寿を全うしたのだが、時折「早く死にたい」などと言っていた。そして、そんなふうに言いながら、医者からもらった薬を毎度毎度きちんと飲んでいた。この辺りが笑えたので、よく飲み会の場で紹介したことがある。人間皆ちょぼちょぼなので、きっと誰しも同じようなものなのであろう。それでいいのである。レストランの前で分かれて、3人で公園をぶらついていたら、遠くに下山さん夫妻の姿が見えた。お互いをいたわるかのように、ゆっくりと歩まれていた。

 われわれは、その後横浜に出て山下公園に向かいのんびりと散策した。3人が顔を合わせるのも久方ぶりなので、仕事の関係で横浜に転居したAさんの案内で、中華街で飲み食いしようということになったからである。夜にはまだ間があったので、そんなふうにして時間を潰し、腹ごなしをして夜に備えたというわけである(笑)。公園から眺めた海の夕景が美しく、遠くに広がる残照が心に染みた。そして、そんな夕景に、先程別れたばかりの下山さん夫妻の姿が重なった。

 その次は、ある出版社の社長であるKさんとの飲み会である。Kさんはある件で私に世話になったということで、そのお礼を兼ねて宴席に招待してくれた。つまりただ酒を飲んだということである。私自身はKさんと話をすることが愉しいので、別にただだから出掛けたというわけではない(笑)。場所は神保町のすずらん通りにある「田酔」という名の小料理屋である。Kさんによれば、気になる店だったので予約したが、顔を出すのは初めてだとのこと。地酒を飲ませる店である。日本酒に合うように作られた創作料理が、なかなか凝っていた。

 この「田酔」の側には、イタリアンレストランの「マキャヴェリの食卓」もあった。4年ほど前に私とKさん、それにAさんの3人で遅くまで飲んでいて終電を逃し、朝方までお世話になった曰く付きの店である。しかしそれにしても何とも気になる店の名前である。ホームページによると、「キャンティクラシコマキャヴェリ」という名のワインが飲めることから命名されたらしい。あの日にこれを飲んだかどうかまったく覚えていない。「田酔」も気になったので、店の人に尋ねてみた。「田酔」の田は田圃ではなく田舎の方なのだろう。

 Kさんと会ったこの日は、自宅を早めに出た。神保町の靖国通りに面してできた新校舎を眺め、ついでに古本屋にも顔を出してみたかったからである。暮れなずむ街にすっきりと立った新校舎は、ガラス張りのなかなか現代的な建物であった。きっと大学の新しい顔になることだろう。すずらん通りにあった古本屋も何軒か眺めた。こうしたところに顔を出すとついつい財布の紐が緩みがちになるので、買わないと心しておいた(笑)。買わないのなら覗かなければいいのだが、特価品のコーナーなどはどうしても見たくなる(笑)。

 ある古本屋の店頭で、面白そうな画集を見付けたのでついつい購入しそうになったが、あまりに重そうなので諦めた。飲んで帰るのに重い荷物を持つのが嫌だったからである。また来る機会もあるだろうなどと理屈を付けて、買わなかった。神保町に顔を出すのは3年前の春以来である。もしかしたら、今日が最後となって画集との縁も切れるような気もしたが、切れれば切れたでそれでいいのだろう。そんなことをぼんやりと思いながら、Kさんと旨い酒を酌み交わした。彼も暫くしたら仕事から引退するようだった。