「敬徳書院」の一年

 今書き継いでいる「瀬戸内周遊の旅へ」と題した投稿が、まだ完結していないのだが、途中にこの文章を入れさせていただくことにした。あえてそんなことをしたのは、以下に述べるように、今日という日は私にとって特別な日だからである。どうかお許し願いたい。

 「敬徳書院」のサイトを公開したことを「店主のつぶやき」欄に投稿したのは、昨年の8月21日である。今日は20日なので、あれから早1年が経過したことになる。あっと言う間のようにも思えなくはない。定年退職を機に、「敬徳書院」という名の自分出版社を立ち上げて、週に一度程の頻度でブログを書き始めたり、「裸木」と題したシリーズものの冊子を毎年作成し始めたことは、既に紹介済みである。文字通りの老後の道楽である。

 「裸木」の第3号は、今月末には完成して自宅に届けられる予定なので、この冊子についてはその時に改めて触れることにしたいが、もう一つのブログについて言えば、こんなものをいったいどれだけの人が読むのか、皆目見当が付かなかった。他人の道楽に関心を寄せるような暇な人は、世の中には殆どいないはずだとも思っていたからである。私にしても他人にそれほどの関心を払っているわけではないのだから、他人が私の道楽に無関心であって何の不思議もない。当然のことである(笑)。
 
 「店主のつぶやき」欄へのvisitorなど、家族や友人・知人、そして卒業したゼミ生ぐらいであろうから、せいぜいが2~300人止まりだろうと思っていた。だが今日現在までのvisitorは、案に相違して1,200人を優に超えた。何とも嬉しい誤算ではある。この間、「敬徳書院店主 高橋祐吉」と印刷した名刺を、あっちこっちに配って宣伝しておいたので、その効果が現れたということなのかもしれない(笑)。投稿回数もこの1年間で70回を超えるところまできた。いささか出来過ぎの感がある。もう少しゆったりした気分で臨んだ方がいいのかもしれない。

 勿論殆どの方は一回限りのvisitorなので、複数回に渡ってブログを読む人(returning visitorと称するようである)などは200人がせいぜいである。いい年をしてブログなどを始めたりするのは、「物好き」な人間の「自己満足」に違いないから(周りからそんなふうに冷やかされたことも何度かある。そうは口にしなくても、内心同じように思っている人はかなり多いはずであるー笑)、まあこの辺りが限度というものだろう。

 ブログを始めて嬉しかったことが三つほどある。一つは、出版社勤務の後に物書きに転じた知り合いから、「毎回のブログも、決して業績誇示や情報開陳型ではなく、ゆったりとした筆致で書かれているので読者の心には響くものがあります」などと言われたことである。何とも心優しい人物ではなかろうか(笑)。こんな人は滅多にいない。

 勿論私が書くものにも「業績誇示」や「情報開陳」の臭いは残っているので、ゼロという訳にはいかないが、私の意図はもともとそうしたところにはない。そんな思いを読み取ってもらったように感じられて、そのことが何だかとても嬉しかった。お世辞半分のメールだとは思っているが、人は褒め言葉に弱いものである。私も俗情にまみれた凡骨(ポンコツでもある)な人間の一人なので、そうしたものにはからきし弱い(笑)。

 もう一つは、NPOかながわ総研の事務局長を務めておられる石井さんが、どうやらブログに目を通してくれたようで、「金足農業高校の校歌の作詞者とは」と題して投稿した文章が、総研の『研究と資料』(No.212、2019年2月1日))に掲載されたことである。きっと埋め草の原稿であったに違いないが、それでも少しは読めるものになっていたということなのかもしれない(笑)。

 ついでに書いておけば、ブログに投稿した「二つの映画から」という文章は、『研究と資料』(No.213、2019年4月1日)の巻頭言に活用させていただいた。何か書いてくれと頼まれた時に、ブログに書いたものがあると、あまり負担に感ずることなく、要望に応じることができるのである(もっとも、要望があればの話ではあるが-笑)。ブログへの投稿には、そうした利用価値も存在することが分かった。

 嬉しかったことの最後は、老後の道楽に耽っている私の存在を知って、労働者教育協会の機関誌である『学習の友』の編集部から、雑誌の名画紹介欄を1年間担当してくれないかと頼まれたことである。長年の友人である赤堀正成さんも、この雑誌の編集に関わっているようで、その彼の推薦もあって、こうした仕事が舞い込んできたというわけである。1回1,000字程度の短い文章でお薦めの映画を紹介していくのであるから、惚け防止にはもってこいの仕事である(笑)。書くたびにブログにも紹介してみようと思っている。

 そんなこんなで、「物好き」が始めた老後の道楽もようやく板に付きつつある。「物好き」と言えば、世間では「風変わりで特殊なことを好む」という意味で使われる。そこには、いささか否定的なニュアンスが漂っているのだが、本来の意味はそれだけではない。辞書には「物事に趣向を凝らす」という意味も紹介されている。目指すべきは当然ながらこちらであろう。

 「趣向」をこらしているにも拘わらず、そうは見せないのが最高の「趣向」なのかもしれないのだが、そんな芸当は私のような人間には無理である。無理は重々承知であるが、目指すのは勝手であろう。こんなことを書いて居直っているところを見ると、連日の暑さでいい加減頭もおかしくなってきたのかもしれない(笑)。