「就労の困難」と「困難な就労」(一)

 専修大学の紀要に書いた研究ノートを、長々と6回にもわたって紹介してきたので、このブログの読者の方も、かなり飽きてきたことだろう。そんな気もするので、もう少し気楽な読み物を綴りたいとは思ったが、なかなかそうしたゆったりした気分になれない。団地という狭い世界における人間関係の煩わしさから、立場上さっさと逃れることができないからである。小生が生きるのに「不器用」な人間だということもあろうし、また「理不尽」なことを黙ってやり過ごすことのできない狷介な人間だからでもあろう。俗に言う「正論」を「正論」としてのみ語る人間が、どうしても好きになれないのである。鬱陶しいのである。息苦しいのである。とりわけ、声高に「正論」のみを語って、自らを恥じることを知らないかのような人間が…。

 そこで、もうしばらくは面白くもない投稿でご勘弁願いたい(笑)。前回まで投稿し続けてきたものが、最後の論文であると独り合点で勝手に思い込んでいた。確かに定年前に書いたものとしては最後のものなのだが、実は定年後しばらくしてもう一つ書くことになった。最後の最後、麻雀で言うオーラスの論文である(笑)。知り合いである鷲谷徹さんの退職にあたって、中央大学経済学部の紀要に書いた論文である。それが、「『就労の困難』と『困難な就労』-若者に対する就労支援の課題から-」と題してこれから5回にわたって紹介するものである。この論文は、指示されていた締め切りを律儀に守って去年のかなり早い時期に投稿したのだが、印刷物はまだ手元に届いていない。恐らく、締め切りにかなり遅れた執筆者がいた所為であろう(笑)。

 一つ年下の鷲谷さんとは学生時代からの知り合いで、労働科学研究所でも長らく一緒に仕事をした間柄である。今でもあれこれの機会に顔を合わせている。共著の著作や論文などもいくつかある。彼は、私とはまるで違ってメカや統計や数字にめっぽう強く、労働・生活時間研究の分野で大きな成果をあげてきた。私と比べれば、労研の研究成果を踏まえつつ「持続可能な働き方」を提唱している彼の方が、労研の伝統をしっかりと受け継いでおり、藤本武さんの後継者の一人と呼ぶに相応しい。

 また彼は、いわゆる世情(われわれの場合は、主に研究者に関する情報である)に関してもやたらに詳しく、そうしたものにまるで疎い私などは、会うといろいろなことを教えてもらうことになる。彼の話には、鋭く厳しいコメントが付されることも多いので、酒の肴にはもってこいである。俗人である私の場合、自分ではなく他人に対する鋭く厳しいコメントは、聞いていてやけに心地よいのである(笑)。まあ、他の方々も同じようなものではあろうが…。

 その彼は、大学卒業後東京都庁に勤務していたが、その合間に、私も参加していた「現代労働問題研究会」に顔を出していた。そんな縁もあって、その後労研に職を転じた。確か私が誘ったような気もするのだが…。そして、彼を誘った私が、労研を辞めて専修大学の教員になったように、彼もまた労研を辞めて中央大学の教員になった。仕事に対する責任感が強かった彼は、労研の仕事がかなり忙しかったこともあって教員の口を断ろうとしていたが、こうした機会は滅多にあるものではないのだから、中央大学からの誘いを是非受けるようにと説得したこともあった。

 労研時代は彼と一緒にあちこちに出かけたので、思い出もいろいろある。その彼が退職するということで、中央大学の別な知り合いから紀要に何か書いてくれと頼まれた。他ならぬ彼のためだからと思い、直ぐに喜んで引き受けた。こうしたところは変に義理堅いのである(笑)。書いたものは、読んでいただければすぐにわかるように、やはりこれまでに書いたものの焼き直し、二番煎じ、三番煎じに過ぎない。そのあたりはどうかご容赦願いたい。

 はじめに

 世の中には「働く」人もいるし、「働けない」人もいるし、また「働かない」人もいる。総務省の「労働力調査」では、こうした人々をそれぞれ就業者、完全失業者、非労働力人口と呼んで区別しているが、若者の場合もまったく同じである。では、「就労の困難」を抱えた若者はどこにいるのであろうか。その多くは、働くことが難しくなっているので当然ながら「働かない」人であり、非労働力人口となる。だが、この非労働力のプールには、もとから非労働力人口として滞留している若者だけではなく、さまざまな理由で、失業者や就業者から流入してくる若者もいる。しかも、そこには就労を希望いていない若者だけではなく、職探しはしていないものの、就労を希望している若者もいる。

 しかしながら、詳しく調べてみなければ、彼らがどれほどの数なのかもわからないし、どのような属性のなのかもわからない。また当然ながら、どのような意識状態にあるのかもわからないのである。だが、「就労の困難」を抱えた若者に関しては、この詳しく調べること自体がそう簡単な作業ではない。何故だろうか。彼ら自身が調査に応答しにくい心身の状態にあるので、通常の郵送方式でのアンケート調査などでは、実情を把握することがきわめて難しいといった事情も勿論ある。

 しかし、それだけではない。彼らが社会から「排除」され「隔離」されてきたために、家族によってその存在が「秘匿」されていることも多く、そうした事情も、「就労の困難」を抱えた若者の不可視化をもたらしてきたようにも思われる。それ故、「就労の困難」を抱えた若者が層として存在していることは知られていても、その実態についてはまだよくわかってはいないのである。この間、ようやく各地の自治体において規模の大きな調査が実施されるようになってきたのは、その実態を把握する必要に迫られてきたためである。後に紹介する横浜市の調査なども、そうしたものの一つである。

 「就労の困難」を抱えた若者が、何を考えどんな状態でいるのかを知るための一つの手掛かりは、彼らのバックグラウンドをなしているわが国の若者の全般的な意識状況なのかもしれない。2013年に実施された「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によれば、わが国の若者は諸外国の若者と比較すると、自己を肯定的に捉えている者や自分に誇りを持っている者の割合が低く、うまくいくかどうかわからないことに対して意欲的に取り組むとことが難しく、自分の将来にも明るい希望を持っていない、のだと言う。端的に言えば、「就労の困難」を生み出し易いようにも思われる自己肯定感が、低いのである。さらに付け加えておけば、職場の満足度に関しても低く、働くことに関する現在または将来への不安が、多くの項目で高くなってもいる。こちらは、「就労の困難」との対比で言えば、「困難な就労」に対する不満と不安の広がりとでも言えようか。

 わが国の若者が、全体として見ると上記のような意識状況にあるのだとすれば、「就労の困難」を抱えた若者の場合は、先のような若者全体の平均的な性向がさらにマイナスの方向に増幅されている可能性は高いのではあるまいか。つまり、自己肯定感がさらに低くなっており、意欲も希望も持てない状況がさらに深まっているようにも思われるのである。本稿の課題は、「就労の困難」を抱えた若者に対する就労支援の意義を考えながら、わが国における余りにも非人間的な働き方である「困難な就労」の問題点を、あらためて浮き彫りにするところにある。言い換えるならば、「就労の困難」と「困難な就労」の相互関係を、明らかにしてみたいのである。

(追 記)
 上記のような文章を投稿したところ、これを早速読んだ上の娘から以下のようなメールが届いた。ついでにここで紹介しておく。「懐かしい鷲谷『てっちゃん』のエピソードが出てきましたね。幼い頃に連れていかれた労研で、とうたんと机を並べていましたね。二人の机が対照的で、てっちゃんの机上は山盛りの書物が積み上がっていました。思い出の中ではいつまでも青年のままです。髪の毛があったから、おじさんではなくお兄さんぽかった」。娘も鷲谷さんのことをちゃんと覚えていたというわけである。

 私はと言えば、娘を専修大学の社会科学研究所に連れて行ったことは覚えているが、労研に連れて行ったことなどすっかり忘れてしまっていた。いったいいつ頃のことだったのだろうか。昔はカミサンも中学校の教師としてとても忙しくしていたから、たまたま私が仕事と育児を兼ねて労研に連れ出したに違いない。しかしそれにしても、子供は子供ながらにじつによく見ているものである。髪の毛は勿論のこと、机の上までも(笑)。

 鷲谷さんの机の周りはいつも資料や本がてんこ盛りだったが、私はどうも明窓浄机と言うか、きちんとしていないと仕事が出来ない質である。綺麗好きというのか、神経質というのか…。昔自分のことを、元祖「断捨離」人間であると自称していたこともある。以前ニュージーランドから来た先生を自宅に呼んだ時に、私の書斎を見て「well organized !」と言った。整理整頓が行き届いていることを、英語でそんなふうに表現することを初めて知った。