「国営昭和記念公園」を歩く

 いつものことではあるが、8月の年金者組合のウオーキングは、年金者文化展が開催されるために企画されていない。9月は中旬に行われることになり、立川にある昭和記念公園に出掛けてきた。正式名称は頭に国営が付く。この公園の存在は前から知ってはいたが、その名称から昭和天皇がらみの施設なのだろうと思い、敬して遠ざけてきた。今回そこに出掛けることになったので、物珍しさ半分で参加してみた。

 長津田駅のホームでみんなと待ち合わせ、横浜線で八王子まで行き、そこで乗り換えて立川駅で降りた。しばらく歩くと公園の立川口に着く。遠いのではないかと思い込んでいたが、自宅からでもそれほど時間はかからない。この公園の成り立ちを調べてみたら、ここは昭和天皇在位50年記念事業の一環として、「現在及び将来を担う国民が自然的環境の中で健全な心身を育み、英知を養う場とする」ために、作られたのだという。

 立川市と昭島市の両市にまたがる立川基地の跡地のうち、180haを記念公園とすることが閣議決定され、「緑の回復と人間性の向上」をテーマに1978年度から国土交通省の手によって施設の整備が進められてきたらしい。1983年に昭和天皇臨席のもとに約70haで開園した後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等の施設が次々と作られた。2005年にはみどりの文化ゾーンが加えられて、その際に昭和天皇記念館が開館したようだ。

 我々一行が入園したのは立川口であり、そこはみどりの文化ゾーンとなっている。案内所でパンフレットをもらって公園の全体図を眺めてみたが、とにかく広大な公園であり、年寄りの私などは、とても一日では廻りきれないことがすぐに分かった。そこで、気に入った写真を撮れそうな所だけ廻ることにして、一人で勝手に動き始めた。帰りの待ち合わせ場所は隣駅の西立川口であった。

 みどりの文化ゾーンには、花みどり文化センターと名付けられた建物があり、そこに「昭和天皇記念館」があった。パンフレットによると、「緑を愛された昭和天皇の生物学ご研究や昭和天皇、香淳皇后のご遺品・写真等の昭和天皇ゆかりの資料を展示」しているとのことである。展示されているものも、パンフレットには写真入りで紹介されていたが、その品々の古色蒼然たる姿が、昭和が遠くに過ぎ去ったことを如実に示しているようだった。

 例えば儀式用の椅子だとか、国産初の御料車である「ニッサン プリンス ロイヤル」だとか、お召し列車の模型だとか、即位の礼のために皇居から東京駅に向かった際の行列の模型だとか、皇居内の生物学研究所の復元だとかである。あまりと言ってはあまりの時代錯誤ぶりである。一体誰がこんなものを見学するのであろうか。当日も見学者は誰もいないように思われた。私も、この侘しい場所を入口からチラリと覗いただけである。

 この公園の見所は、みどりの文化ゾーンの奥に広がるカナールイチョウ並木や、かたらいのイチョウ並木、コスモスが咲き乱れる花の丘、そして日本庭園などにある。私としては、去りゆく昭和の残影を撮ってみたかったので、上記の場所はほとんど通り過ぎただけだった。そのためか、途中にあったこもれびの里を見忘れてしまった。残念である。パンフレットには、「『昭和・武蔵野・農業』をテーマに水田や畑、農家と屋敷林など、昭和30年代の武蔵野の農村風景や暮らしを再現しています」とあったから、もしかしたらいい写真が撮れたかもしれない。

 昭和の残影は、みどりの文化ゾーンに多かった。ぽつんと並べられた椅子や、「昭和天皇記念館」のあるいささか古びてきた建物にかかるシダにそうしたものを感じた。途中にあったカナール(運河のことである)イチョウ並木は、左右が対称となるように作られていたからフランス式の庭園を模したのであろう。私はここにあったタイルをモザイク画のように貼り付けた地面に、言いようのない美を感じた。芸術作品の上を歩いているような感覚である。ゆっくりと踏みしめながら歩いてみた。

 天皇が関わった公園に、恩賜(おんし)公園というものがある。これは、第二次世界大戦前に宮内省が料地として所有していた土地を公に下賜(かし)され、それを受けて整備された公園のことである。上野公園もそうだし、箱根公園も、井の頭公園もそうである。それぞれの公園の正式名称はすべて恩賜公園となっている。だが、今日ではもはや恩賜公園などと呼ぶ国民は少なかろう。もうそんな時代はとっくに終わったのである。

 我々が出掛けた昭和記念公園は、国営公園ということになるが、こちらの名称はそれほどポピュラーではない。調べてみると、国営公園とは、都市公園法に定められた要件を満たしている公園または緑地で、国土交通省が設置するものを指すとのことである。この公園にはイとロの二つのタイプがあって、イは都府県の区域を超えるような広域の見地から設置する都市計画施設であり、ロは国家的な記念事業として、またはわが国固有の優れた文化的資産の保存及び活用を図るため閣議の決定を経て認定する都市計画施設である。昭和記念公園は、言うまでもなくロのタイプである。

 ロのタイプの国営公園は、全国にいくつかあって、例えば武蔵野丘陵森林公園(埼玉)、飛鳥歴史公園(奈良)、吉野ヶ里歴史公園(佐賀)、沖縄記念公園(沖縄)などである。これらはいずれもロのタイプの国営公園として位置付けられる必然性が感じられる。だが、昭和記念公園はこれらとは異質である。昭和天皇在位50年記念事業の一環として整備されているからである。

 「昭和」を「記念」するとは、一体どんなことなのであろうか。「昭和」がまるごと手放しで記念されていいはずもない。こんな文章を書いていて、今でも議論が覚めやらぬ「国葬」問題を思い出した。反対の意見が多数であったにもかかわらず(これを、国論が「二分」などと書いているのはどうかと思うが)、安倍晋三追悼式典は強行された。もはや「亡国」の「国葬」である。

 国の主催で行われたこの式典は、あたかも死者の事績を褒め称える記念式典のようであったが、一体何を記念したいというのであろうか。彼の事績とやらを手放しで礼賛できようはずもない。抗議する人々の写真を新聞で眺めていたら、「国葬も叙勲もいらない」と書かれたプラカードがあった。同感である。ついでに書けば、役に立たない元号もいらないし、「恩賜」賞(あの平野謙などもありがたく受け取ったようだが)なども名称を変更したほうがいいようにも、私には思えたのだが…。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2022/10/29)

誰もいない場所で(昭和記念公園にて)

 

地面に描かれたモザイク画(昭和記念公園にて)

 

埋もれゆく時間(昭和記念公園にて)