「労働の世界」の変容とその行方(三)

第2章 融解した雇用とその背景

 第1節 新たなビジネス・モデルと非正社員

 この間労働の世界は大きく変貌したが、そのなかでもっとも注目すべきは、非正社員(勤め先での呼称が「正規の職員・従業員」以外の者)の急増である。勿論戦前から非正社員は存在しており、その歴史はきわめて長い。1950年代には臨時工や社外工が社会的な関心を集めたし、1960年代以降はパートタイム労働者が非正社員を代表する雇用形態となり、1980年代後半には新たに派遣労働者が登場した。だが、いつの時代にも非正社員が存在したことをもって、今日の急増を当たり前のこととして合理化し正当化することは出来ないだろう。現在では非正社員が総数で2,023万人となり、役員を除く雇用者の37.5%に達するところまで膨らんで来たのであるが(2016年総務省「労働力調査」)、そうした事態を生むことになった転換点が、明らかに存在するからである。それが、1995年に当時の日経連によって提唱された新たな「日本的経営」であった。

 『新時代の「日本的経営」』と題されたこの報告書は、これからの労働力を①長期蓄積能力活用型(従来の長期継続雇用という考え方に立って、企業としても働いてほしい、従業員としても働きたいというグループ)、②高度専門能力活用型(企業の抱える課題解決に、専門的熟練・能力をもって応える、必ずしも長期雇用を前提としないグループ)、③雇用柔軟型(職務に応じて定型的業務から専門的業務を遂行出来る人までいるグループ)の三タイプに分けたことで、よく知られている。そのうえで、「高コスト体質」の是正のために、これまで①に位置付けられていた正社員を可能な限り限定し、正社員に代替する労働者として②や③のタイプの非正社員を活用しようとしたのである。

 ここで重要なことは、日本における完全雇用の「理念」(勿論「理念」に過ぎなかったのではあるが)でもあった終身雇用慣行が、初めて公然と放棄を宣言されるに至ったことであり、これまで形式上は①の補完物とされて、その周辺や底辺に位置付けられていた②や③の雇用形態が、①と並ぶような位置にまでせり上がってきたことであろう。正社員のみがあるべき雇用の姿なのではない、このことをきめて鮮明かつ大胆な形で宣言したのが先の報告書であったと言えるだろう。その結果、「雇用ポートフォリオ」といった考え方に立って、各企業では①と②と③のタイプの労働力の最適な組み合わせが追求されていったのである。

 こうして、たとえ建て前に過ぎないものであったとはいえ、それまでの日本的経営を特徴付けてきた「長期」的視点にたった「人間」的経営からの転換が始まり、日本的経営は内部労働市場における人材の育成を基軸とした「ストック型」の経営から、外部の人材を積極的に活用する「フロー型」の経営へと徐々に変貌していった。ビジネスモデルの大きな転換である。①と②や③の間に知識や経験や技能の点で明確な境界がなかった産業や業種では、①から②や③への代替が急速に進められていった。②や③、とりわけ③のようなタイプの労働力の活用が、「高コスト体質」の是正にストレートに結び付いていたからである。あるいは、「名ばかり正社員」のように、①自体が②や③に近付くようなケースも生まれた。

 ②や③のタイプの労働者は、間接雇用の労働者となったり、有期の雇用契約の労働者となったので、かれらは不安定な雇用形態のまま外部労働市場に投げ入れられることになる。それ故、労働市場の流動化のなかで使い捨ての労働力となる危険性は高まると見られていたのだが、その後の動向を虚心に観察すれば、事実その通りの展開となったと言ってよい。「専門的熟練・能力」を持った②のタイプの労働者や、③に一部含まれるとされた「専門的業務」を遂行出来る労働者などは、ごくごく限定的に存在するに過ぎなかったと言えるだろう。

 こうした②や③のタイプの労働者を活用するにあたっては、新たな日本的経営像に沿う形で進められた労働市場の規制緩和が、大いに力を発揮したことは言うまでもない。その典型的な事例として、ここでは、労働者派遣法における対象業務の拡大によって、「社会」が衰退していったプロセスを簡単に紹介しておこう。労働者派遣法が成立するまでは、雇用者と使用者が異なるような間接雇用は、労働者供給事業として職安法によって禁止されてきた。しかし現実には、1970年代以降のサービス経済化の進展を背景として、ビルメンテナンスや警備、情報処理サービスなどの分野において、労働者供給事業にあたるような人材派遣が拡大していった。こうした現実を追認するかのように、1985年には職安法にいう労働者供給事業の一部を合法化して、労働者派遣事業として認可する「労働者派遣法」(以下派遣法と呼ぶ)が成立した。

 派遣法の成立時に例外的に許可された対象業務は、専門的業務や特別の雇用管理を必要とした13業務(法律施行時には16業務)に留まっており、その後対象業務が追加されてはいったものの、それでも1999年までは、原則禁止で対象業務を限定的に許可する「ポジティブリスト方式」の下で26業務に制限されていた。しかしながら、1999年にはそれまでの「ポジティブリスト方式」から、原則自由で対象業務を限定的に禁止する「ネガティブリスト方式」に変わり、港湾運送、建設、警備、医療、製造を除いて自由化するという大改正が行われた。この改正では、対象業務の原則自由化の代わりに、新しく自由化された業務については派遣労働者の受け入れ期間の上限が1年とされて、「臨時的・一時的な労働力需給システム」の形態だけは一応維持されていたが、2003年にはこの上限1年が上限3年とされ、製造業への派遣も解禁されるにいたった。そして2007年には製造業への派遣期間の上限も1年から3年へと延長されたのである。

 派遣法が当初想定していた派遣労働者とは、「専門的業務」に「臨時的」に充当される労働力であったはずであるが、今日ではすっかり様変わりし、不熟練職種に恒常的に充当される労働力が主流となった。企業による使い勝手の良さばかりが優先され、彼らの生活は軽視されて「社会」は衰退していったのであった。こうなってくると、「もともと、派遣システムによって、日本的雇用慣行が解体し、労働市場が流動化する訳ではない。日本の長期雇用システムの周辺で、内部労働市場を柔軟化し、外部労働市場との接点の摩擦を回避し、円滑にする需給システムの一つが派遣システムなのである」(高梨昌)といった弁護論的な主張などは、もはや完全に崩壊したと言うべきだろう。

 第2節 非正社員の時代が意味するもの

 このような労働市場の規制緩和を通じて、既に広がっていたフルタイム雇用からパートタイム雇用への転換に加えて、直接雇用から間接雇用への転換や、雇用期間に定めのない長期雇用から期間限定の有期雇用(当然ながら短期雇用となる)への転換が進められていったのである。その際、こうした転換を合理化するイデオロギーも生まれた。「雇用形態の多様化」や「働き方の多様化」といった主張である。非正社員の増大は、労働者が自発的に多様な働き方を選択した結果ででもあるかのように論じられ、彼らの悲惨は「自己責任」ででもあるかのように主張されてきたのである。非正規雇用や不安定雇用といった表現も、そこに道徳的・倫理的な批判が含まれているとして使用が躊躇われ、ニュートラルな表現としての非典型雇用が多用されることになった。

 しかしながら、後に触れるような実態から見ると、わが国の非正規雇用は、均等待遇をベースにしながら臨時的な業務に限定的に使用されるヨーロッパタイプの非典型雇用(atypical work)と言うよりも、そうしたベースのまったくないアメリカタイプの細切れで不確実な労働(contingent work)にずっと近かったのではなかろうか。EUでもパートタイム雇用や有期雇用、派遣労働が広がったが、にも拘わらず、そこには不十分ではあれ均等待遇の維持や非正社員の乱用に対する規制が加えられていたことが、想起されるべきである。フレキシビリティとともにセキュリティが重視されることによって、「フレキシキュリティ」が追求されていたのであり、依然として「社会」な規制が存在してと言わなければならない。

 ところがわが国においては、例えば日雇い派遣の禁止に関してさえも、「本人が自分の意思で行っている働き方について選択肢を狭めることが、労働者のためなのか」(『朝日新聞』2008年8月3日)といった主張(八代尚宏)が、何の恥じらいもなく堂々となされていたのである。『労働経済白書』(2008年版)でさえも、非正社員の増加は「労働者が柔軟な働き方を求めるようになったから」ではなく、企業による労務費コストの削減のためであると指摘されていたにも拘わらず、家計補助的な就業者が多いパートタイム労働者を込みにして、非正社員を「自発的に選択した者も多い」(佐藤博樹)と強弁するような著作も刊行された。

 よりアカデミックにソフィスティケートされた議論としては、「労働市場での競争のなかで非典型雇用労働者になっている者のみならず、非典型雇用労働者の雇用形態を任意的に選択してそれに就いている者も相当に多い。そのような供給が非典型雇用労働者の需要とマッチしているが故に、非典型雇用労働者の雇用形態が成り立っている」(菅野和夫)とか、「従来の雇用システムが、長期勤続を基本とする内部昇進・能力開発型キャリアに一面的に特化した、やや硬いシステムであったとすれば、必ずしも長期勤続・内部昇進を前提としないキャリア・モデルを想定して行動する従業員を包括し、その能力を十分発揮させることが出来るようなシステムを開発することが必要になっている」(仁田道夫)というようなものもあった。

 最近でも、「非正規労働者の存在、あるいは正規労働者との併存は、市場経済を前提とするかぎり、存外に合理的な根拠がある。ここで合理的とは、ふつう当然のことと強調される低コスト機能あるいは低賃金利用機能ではない。それよりもはるかに経済の面での競争力に積極的に寄与する機能である。それに非正規労働者個人にとっても仕事情報の面でのプラスもある」(小池和男)と教え諭してくれるような議論もある。「もちろん弊害もある」と言い訳がましく触れられてはいるが、「世に弊害のない制度はまずない」との御託宣なので、弊害にそれほどの関心は払われてはいないのであろう。こういう学者をいったい何と呼べばいいのであろうか。

 もっとも、こうした指摘にも部分的な真理は当然ながら存在する。しかし、わが国における非正社員の増大が孕んでいたはずの基本的な問題点が、新自由主義の時代風潮に媚びるかのような形で、結果的には曖昧にされていったのである。こうした議論の持つ危うさと言えるのかもしれない。「正社員だけが良い雇用で、他の雇用形態で働く労働者は常に正社員を夢見ているのだと決めてかかるのは、いかにも古い」(中村圭介)とまで揶揄されたのであったが、その古い議論が新しさを増したのが今日の事態であるとでも言えようか。「労働力調査」(2016年)によれば、「非自発的」な選択の結果非正社員とならざるを得なかった労働者は、減少してきているとはいえ今でも297万人(非正社員の15.6%)も存在しているのである。こうした異様な数字に鈍感な議論の方こそが問題であると言うべきだろう。

 ところで、非正社員の時代の到来が広く注目されたのは、かれらの数が増大した結果、これまで典型として描かれてきた非正社員像の揺らぎがクリアになってきたからである。従来であれば、非正社員と言えば家計の補助を目的として働く既婚女性かフリーターの若者あるいは高齢の日雇い労働者であり、しかもかれらの多くは非正社員としての働き方を自発的に選択しているかのように捉えられてきたのであるが、そうしたステレオタイプ化された非正社員像からはみ出した非正社員が注目されるようになってきたのである。

 言い換えれば、家計の主たる担い手となるべき、あるいは担い手となっている男性が、正社員の仕事を求めているにも拘わらずそれが叶えられないために、名称だけは多様な非正社員として働いており、その結果でもあろうが、非正社員の約3割は週40時間以上働くフルタイム型の非正社員となっているのである。そうした現状を踏まえるならば、非正社員の時代の特徴示すキーワードは、「男性」、「家計自立型」、「フルタイム」、「不本意」非正社員の増大ということになる。こうした構造変化こそが、非正社員という働き方に孕まれる労働と生活の危うさを浮き彫りにし、そしてまた「社会」の衰退を浮き彫りにしたと言ってよい。

 第3節 非正社員からワーキングプアへ

 リーマンショック時に、中途解約をも含む「派遣切り」の結果、住居を失った派遣労働者が多数生まれ、「年越し派遣村」がジャーナリズムでも大きく取り上げられたことは未だ記憶に新しい。湯浅誠は『反貧困』において「一人前の福祉国家であれば、失業と野宿の間には膨大な『距離』がある」と指摘し、その距離を「溜め」と呼んだが、それに倣って言えば、失業と野宿が直結しかねないわが国社会は、福祉国家や「豊かな社会」などには程遠い「溜め」なき野蛮な「社会」、あるいは「社会」らしからぬ「社会」なのであろう。

 「派遣切り」に典型的に示されたように、この間非正社員は不必要となればいとも簡単に仕事を奪われてきたのであるが、雇用契約を中途で解約した経営者はいざ知らず、派遣労働者や有期雇用の労働者の契約を更新しなかった経営者には、おそらく解雇といった意識はまったくと言っていいほど無かったであろう。製造ラインの「部品」と化していた派遣労働者などは、仕事がなくなれば辞めてもらって当たり前であると思われていたに違いないからである。かれらは、労働力ではあっても労働者ではなかったと言ってもいいのかもしれない。人間としての労働者が存在しないところに「社会」はない。企業の側が何らの雇用者責任を感じなくても済むような、言い換えれば、労使関係の制約無しに解雇が「自由」に行えるようなシステムが、「企業社会」の外部に生み出されていたからである。まさに雇用概念そのものの劣化である。こうした事態を通じて、「社会」は衰退していったのではなかったか。

 では、「溜め」即ち「社会」的なバリケード無き非正社員の増大は、いったい何をもたらしたのであろうか。その行き着く先は、ワーキングプアの族生であったと言ってよい。ワーキングプアについては公式の定義が存在する訳ではないが、一般には、正社員並みに働いても生活保護基準以下の収入しか得られない人々(貧困問題に対する関心が薄く未だ貧困線も存在しないわが国では、代理指標として年収200万円未満の人々を指している)のことを言う。こうしたワーキングプアは現在1,131万人に達し、10年連続で1千万人を超え、一年を通じて働く人々の4人に1人を占めているのである(2016年国税庁「民間給与実態統計調査」)。

 ではそうした人々は、どこにどのような形で存在していたのであろうか。以下では、その代表的な事例として、この間社会的な注目を集めてきたフリーター、ネットカフェ難民、日雇い派遣を取り上げ(これらの労働者は部分的に重なり合ってもいる)、その実像を紹介してみよう。いずれも、既に旧聞に属するかのような変化の激しい時代ではあるが、そうした時代であるからこそ敢えて振り返っておく意義があると言うものであろう。

 フリーター(『労働経済白書』での定義によれば、15~34歳で男性は卒業者、女性は卒業者で未婚の者のうち、①雇用者で「パート・アルバイト」の者、②失業者で探している仕事が「パート・アルバイト」の者、③非労働力人口に含まれる者のうち、希望する仕事が「パート・アルバイト」で家事も通学も就業内定もしていない者)の数は179万人で、フリーターの当該年齢人口に占める割合は2014年には6.8%となっている(2014年版『子ども・若者白書』)。改めて指摘するまでもないが、この数字は過少である。考えてみればすぐに分かるように、それまでフリーターだった人間が、35歳を過ぎれば突如フリーターから脱出出来るわけがないからである。そうであれば、統計上はフリーターから除外されている35歳を過ぎた中年フリーターが、この間増えている可能性は大きい。ニートと呼ばれてきた若年無業者(15~34歳の非労働力人口のうち、家事も通学もしていない者)も、60万人でピーク時からほとんど変化していない(同上)。こちらも同じで、中年の無業者が増えている可能性は高いのである。

 ネットカフェ難民と呼ばれる現代版の若年ホームレスも、大きな社会的関心を呼んだ。ネットカフェ難民(住居を失いインターネットカフェやマンガ喫茶等の店舗で寝泊まりしながら不安定な仕事に従事する「住居喪失不安定就労者」)については、厚生労働省が2007年にその実態を調査し結果を公表した(その後、こうした調査が行われていないところにも、貧困認識の貧困が現れているのかもしれない)。それによると、ネットカフェ等を週の半分以上オールナイトで利用する常連の利用者のうち、住居喪失者は約5,400人と推定された(そのうち半数の2,700人が非正規労働者であり、失業者や無業者は約2,200人であった)。

 彼らの多くは、仕事を辞めて家賃が払えなくなったり、あるいは寮や住み込み先を出て住居喪失者となっており、ネットカフェのみではなく路上やファーストフード店などでも寝泊まりするのだと言う。月収は10万円程度でしかも日払いでないと生活出来ない状況にあり、まさに典型的なワーキング・プアと言うことが出来よう。住居のない労働者にとっては、寮付きであることが仕事を選択するうえで重要な要素となり、またそうした弱みが、高額な寮費等の天引きを生み出してもいる。仕事を失えば同時に住居も奪われ、住居がなければまともな仕事には就けないといった悪循環の構造が、こうして出来上がっていったのである。

 先に指摘した雇用概念の劣化とでも言うべき状況は、間接雇用の派遣労働者において典型的に現れたが、その極北にあったのが、携帯で日々の仕事を確保している日雇い派遣労働者であった。周知のように、労働者派遣事業には、派遣業者が自社で常時雇用している社員を派遣する届出制の事業形態を取った特定労働者派遣事業と、派遣業者があらかじめ希望者を登録しておいて、企業に派遣する期間だけ雇用する許可制の事業形態を取った一般労働者派遣事業がある。とくに大きな問題を抱えていたのが、派遣事業の主流を占めている後者であった。

 そうしたところで働く派遣労働者は、就業がきわめて不規則かつ不安定であり、社会・労働保険が未適用であるためにセーフティネットを欠いており、団結権や団体交渉権などの行使が著しく困難であるといった特徴を有している。その象徴として注目されたのが日雇い派遣の労働者であった。厚生労働省は、2007年に1か月未満の雇用契約で働く短期派遣労働者の実態を調査したが(こうした調査も、その後は実施されていない)、それによれば、1日単位の雇用契約で働く日雇い派遣の者が8割を超え、彼らは携帯電話のメールで仕事の連絡を受けながら、倉庫や搬送や製造の業務に月14日ほど勤務し、13万円強の月収なのだと言う(調査に協力が得られた10社のみで、1日平均で53,000人もの労働者が短期の派遣労働に従事していた)。

 1970年代には労働疎外との関連で「細分化された労働」(ジョルジュ・フリードマン)が関心を呼び、単純・単調労働問題が注目を集めたが、今日では「細分化された労働」どころか、「細分化された雇用」が大きな問題として浮上していたのである。こうした不規則かつ不安定な働き方を求められる労働者が、仕事と生活を通じて人生の物語を紡いでいくことなど出来る訳もなかろう。「派遣労働者実態調査」(厚生労働省、2012年)でも、派遣労働者の43.2%は正社員になることを希望しており、派遣労働者として働くという場合でも、そのうちの8割は常用雇用型で働くことを希望しているのである。いずれにしても、生涯賃金が正社員の5割にとどまる非正社員の内部に、このようにしてさまざまな形でワーキング・プアが堆積していたのである。彼らのような使い捨ての生活保護予備軍を大量に活用することによって、「雇用の安定なき景気回復」(ジョブレス・リカバリー)が進んだのであった。まさに、「社会」の衰退によってもたらした企業業績の回復である。

 だが、格差を広げまた人的資源を軽視した成長には、もともと大きな限界があったと言うべきだろう。『労働経済白書』(2008年)も、「コストの削減には有効でも、労働者の職業能力の向上を通じた労働生産性の向上にはつながりにくい」非正規雇用が顕著に増大した結果、1990年代以降労働生産性の上昇率が大きく低下したこと、更には仕事のやりがいや雇用の安定、収入の増加、休暇の取りやすさなどから見た労働者の満足度が、非正規雇用の増大や成果主義賃金の拡大にともなって、同じく1990年代以降一段と悪化してきていることを明らかにし、実態と意識の両面から「企業社会」の安定が揺らいでいることに警鐘を鳴らしていたからである。

 当時から、「格差拡大トレンドの中で、中間層所得比率は趨勢的に低下しており、それが長引く消費低迷をもたらしている可能性がある」(『朝日新聞』2009年6月26日)との指摘や、「生産性の低い労働者を安く大量に雇うことでしか競争出来ない生産モデル」が広がり「技術革新が遅れていく」(『朝日新聞』2009年5月15日)といった指摘がなされていたが、その後の事態を眺めてみると、こうした指摘こそが注目されるべきだったのではなかろうか。

 労働者派遣法に残された種々の制約を免れようとして、請負契約の形を取った派遣即ち「偽装請負」も蔓延していった。こうしたところに典型的に示されていたように、労働の分野における「コンプライアンス」がいとも簡単に無視され続けてきたのは、企業のビヘイビアに対して「社会」という視点から規制を加えるような力が余りにも微弱であったからだろう。アベノミクスにおいて「世界で企業がもっとも活躍しやすい国にする」ことが政策目標として掲げられたり、トリクルダウン・セオリーが麗々しくもてはやされたりしたことも、「社会」という視点の欠落を象徴的に示すものであった。こうして、非正社員が2千万人、ワーキングプアが1千万人を超え、完全失業者の5人に4人は失業給付を受給出来ず、生活保護を受けられない困窮者が最低600万人はいるという現実に直面することになったのであった。新自由主義の改革がもたらした現代における「悲惨」である。何ともミゼラブルでいかにも資本主義らしい資本主義、俗に言う野蛮な資本主義の出現ではなかったろうか。