運転免許証更新始末記(続)

 9月の6日から9日にかけて、恒例の社会科学研究所の調査旅行で、埼玉、群馬、栃木と巡り、ブログに使えそうなところをあちこち訪ねてきた。私にとっては、何とも刺激的で充実した調査旅行であった。知り合いのW、X、Yさんたちと飽きもせずにおしゃべりしたので、同行のAさんからは「同窓会みたいで楽しそうですね」などと冷やかされる始末だった。いささか興奮気味でいつも騒がしかったからであろう(笑)。この話については、「初秋の上野、下野紀行」とでも題して投稿してみたいと思っている。

 調査旅行の最終日には、日光の金谷ホテルのレストランで昼食をとり、食後にその場で解団式が行われた。私のような年寄りは、参加していると言うよりも連れて行ってもらっているようなものなので、関係者の方々には感謝の言葉しかない。ほんとうにありがたく思っている。帰りは東武日光駅から特急に乗って浅草に着き、そこから地下鉄とバスに乗り次いで帰宅した。帰りの車中では、さすがに連日騒いだ疲れが出たとみえてうとうとした。そして、祭りの後の寂しさのなか、ぼんやりと人生の行く末を思った。

 帰宅したら、毎年誕生日近くに作成している「裸木」の第6号が完成し、翌日には届くとのメールがあった。冊子のタイトルは、ちょっと格好を付けて『遠ざかる跫音』としてみた。今回初めて表紙の後に写真を入れることにし、お気に入りのものを2葉載せてみた。毎年完成した際には、宣伝も兼ねて何かしら書いているので、今回もそうしようと思っている。

 ところで、調査旅行に出掛ける直前に、ごくごく短い文章を書いてくれと頼まれた。今年私は、地元で開催された年金者文化展に写真を出品させてもらったのだが、そのことに関して感想を求められたのである。このところ風景写真にいたく興味がわいて、気になる光景に出会うとカメラを向けている。以前からそんな振る舞いはなくもなかったが、それがだんだんと高じてきたのである。今回の調査旅行でも、あちこちでたくさんの写真を撮った。晴れた日の写真もいいが、雨曇りの時にも味わい深い写真が撮れる。だから、空模様はそれほど気にはならなかった。

 こうなると、ある友人が言ったように、「カメラ小僧」ならぬ「カメラ爺(じじい)」である(笑)。勿論ながら、カメラを手にうろちょろしていると、ちょっとばかり恥ずかしくはあるのだが…。小僧という言葉との対で言えば、禿げ頭の私などは差し詰め「カメラ坊主」であろう。日頃「敬徳書院」店主を自称しているこの私であるが、「店主」を「坊主」と間違えた御仁もおられた。そこまで視力が低下しては、クルマの運転などおぼつかなかろう。免許証を返納したとのことなので、一安心ではあったが(笑)。この秋には、区民文化祭にも写真を出品したいと思っている。そんなこんなで、写真にまつわる話もそのうち書き留めておきたいと思っている。。

 だから、ブログに投稿してみたい話には事欠かないのであるが、それらはすべて次回以降の愉しみとさせていただくこととし、今回は「運転免許証更新始末記」の続編を書いてみることにした。何故かというと、昨日調査旅行から帰ってきたばかりで、まだ頭が非日常から日常に戻りきっておらず、これまでのブログ三昧の暮らしから心身がいささか遊離しているように感ずるからである。

 では何故そうした時に「運転免許証更新始末記」の続編なのかということだが、調査旅行中の雑談の中でクルマにまつわる面白おかしい話を思い出し、披瀝したばかりだったからである。忘れないうちにここに書き留めておきたくなった。40年以上クルマに乗っているが、私の運転の腕前など今でも何とも怪しいものである。だから、ぶつけたりぶつけられたり、あっちこっち擦ったりを繰り返してきた。幸いにも大きな事故に見舞われたことはないが、小さな事故であればあげるのに事欠かない。

 それどころか、駐車違反やスピード違反で罰金を払ったことも何回となくある。ある時などは、取り締まりの女性の警察官に職業を尋ねられ、大学の教員であることを告げたところ、「先生がこんなことをしてちゃ駄目じゃないですか」と一喝されたりもした。またある時は、もらいたての原稿料を懐にして、本屋に本を買いに行っているうちに、自分のクルマがレッカー車で運ばれてしまい、駐車違反の罰金に加えてレッカー代とクルマの保管料まで支払ったこともあった。原稿料が雲散霧消したので泣けてしまった(笑)、

 それだけ悪質な駐車違反だと思われたのであろう。私の方は、それほどとんでもない場所に駐車したつもりはまったくなかったのだが…。今こう書いたが、知人のXさんによれば、「そんなつもりはなかった」といった誰もが口にする台詞など、どこにも通用しないとのことだった。たしなめられたのは、私の口から不用意に飛び出すセクハラ発言についてではあったが…(笑)。

 それはともかく、悪質な違反者には講習が義務付けられており、それをいつ何処で受けたのか今ではすっかり忘れているが、私もその講習を受ける羽目になった。担当の教官の方は、まったく同じ話を毎日繰り返しているようで、熱意もやる気も工夫も感じられない話しぶりであった。単調な作業の繰り返しであれば、そうなるのもやむを得ないのかもしれない。単調労働と言うとコンベアラインでの作業をすぐに思い浮かべるが、勿論それだけではないのである。

 今ここで取り上げたいのは、講習の際に感じた教官のやる気の感じられない話しぶりではない。それを聞いている受講者の側の話である。やる気のない話はどうしてもつまらなく感じられ、退屈してくる。そうなると、居眠りしたくなったり、ジュースを飲みたくなったり、外で一服したくなったり、隣の人と話したくなったりした。私は、大教室での講義の際に学生たちがやりたくなっている(あるいはやっている)ことをすべてやりたくなっていたのである。日頃ひとに話を聞かせている人間が、ひとの話を聞かなければならないという逆の立場に身をおいた時に、その理由が初めて納得できた。

 そこである時の講義の冒頭で、交通違反で講習を受けてきたことを話し、逆の立場になってみてみんなと同じことを感じたと、伝えてみた。イントロがそんな話だったので、何人かの受講生は興味を持ったようだった。そこでついつい一捻りしたくなり、「つまらない話ややる気のない話を聞かされていたら、居眠りや私語も仕方ないのかもしれません。私としてはそうならないように努力したいと思っていますが、私がまだ何もしゃべっていないのに、居眠りしてる人や私語をしている人がいますね。」と言ってみた。センスのいい学生が、何人か笑ってくれた(笑)。