素人写真考(下)

 本来であれば、纏めて1回で終わりにしたいところであったが、どうしても終わらない。今年からは、読みやすさや書きやすさを考えて、ブログの原稿を2,500字程度に押さえようと思っているので、やむなく(上)(下)に分けることにした。締まりのない文章が際限なく続いてしまうのは、やはりまずい。話を元に戻そう。この私は、自分の撮ったお気に入りの写真を日々眺め、悦に入りながら毎週ブログを書いているのである。ブログも写真も老後の道楽にすぎないから、こうなると究極の自己満足のような暮らしっぷりである(笑)。

 権力の座に綿々と居座り続けたり、自己の優位性を背景にパワハラ発言をしてみたり、過去の自慢話を喋り散らかしたりして自己満足に耽るような老害老人と比べれば、誰にも迷惑を掛けることのない何とも可愛い気のある自己満足ではないか。こんなふうに、一人ギャラリーで自己満足の極みのような暮らしを続けていると、俗事がどうでもよくなりいつの間にやら心が穏やかになる。世の中では、自己満足という言葉は否定的な意味合いで使われることがほとんどだが、あらためてよくよく考えてみると、自分が満足できるものをもっているということは、実は案外幸せなことなのかもしれない。最近とみにそんなふうに思うようになってきた。

 不満足な自己から脱皮しようなどともがいて、あくせくしながら暮らすよりも、他人の評価などお構いなしに自己満足に耽っているのも、それはそれでいいのではないか。汚すほどの晩節でもないのだから、気儘に生きるのが肝要なのであろう。私の場合、自分に必要なものを自分で調達しそれに満足しているのだから、自己満足すなわち自足でもあるだろう。素人写真は、そんなことさえも教えてくれているようである。「自己満足ですが、それが何か?」とでも言おうか(笑)。

 まあこんなふうにして写真を楽しんでいるのだが、1年に3回ほどその写真が個人ギャラリーをはみ出すことがある。3つの写真展に出品させてもらっているからである。最初の頃は、恥ずかしげもなく素人写真を衆人環視の場所にさらしてもいいものやらとの思いもあった。実に真っ当な羞恥心ではある(笑)。だが、後期高齢者に近付いてからは、そうした羞恥心がすっかり吹き飛んでしまった。自分のやりたいことをやりたいようにやってみる、それでいいではないか、そんな気分になってきたのである。身の程を知らぬ図々しさである。

 一つは、年金者組合が毎年8月に長津田にある区民文化センターみどりアートフォーラムで開催している、年金者文化展である。この話はしばらく前のブログに詳しく書いたので、今回は割愛する。残りの二つは、11月の末から12月の初めに掛けてアートフォーラムあざみ野で開催された「青葉区民芸術祭」と、年が明けて1月の下旬から2月の初めに掛けて開催された「都筑区民文化祭」である。芸術祭といい文化祭といいなかなか立派なネーミングであるが、要は作品展である。ともに無審査だから、出品すれば作品はすべて展示してもらえる。出品できるのは1葉だけで、額の大きさにも制限が設けられている。

 写真出品者の多くは、地元の写真サークルに所属しているようで、私のような無所属の個人出品者は少ない。出品するとなると、メールまたは郵送での申し込み、写真の搬入と搬出、そして開催中に会場受付を担当することになる。都筑区の場合は、これに加えて事前の説明会に参加することが義務付けられている。写真愛好家は多いはずだから、出品者も多いのかと思っていたが、それほどの人数ではない。会場受付の当番の際には、一緒に当番となった方と雑談を交わすのが常だが、その時の話によれば出品者は減り気味だとのことであった。写真サークルに所属している人でも、全員が出品するわけではないらしい。周りに年季の入った上手い人が多いと、ついつい出しそびれるのかもしれない。

 私は一人で参加しているだけなので、誰に遠慮することもなく出品している。会場受付の際には他の方々の写真をじっくりと見て回るのだが、自分の写真が上手いなどとは勿論思いもしないが、取り立てて下手だとも思はない。多くの写真は美しい花や可愛い生き物だったり、山や川や滝のような優美な景色だったり、四季のさまざまな風物だったりする。そうした写真の中にも、見ているこちらを釘付けにするようなものはある。そして感心もするのだが、だからといって、自分もそうした写真を撮りたいと思うわけではない。

 写真を見に来場した人が、友人と交わしている会話を聞くともなく聞いていると、「綺麗!」や「上手!」といった感嘆詞が発せられることが多い。だが、この私は綺麗にも上手にもそれほどの関心がない。私が興味や関心を抱くのは、写真を通じて撮影者が表現したいものが鮮明に描き出された物語性のある作品である。本来であれば写真に付け加えられた説明文であるキャプションを読みたいところなのだが、それはない。あるのはタイトル名だけである。仕方がないからそれを読むのだが、撮影者のこだわりを感じさせない、そのままの(つまりベタな)タイトル名が余りにも多いように私には見える。残念である。

 素人の写真愛好家が何を偉そうに語っているのかとお笑いの向きも多かろう。大いに笑っていただきたい(笑)。青葉区に出品したものには「果て行く夏に」というタイトルを付け、都筑区に出品したものには「混沌とした未来へ」といったタイトルを付けてみた。前者に関して言えば、終わりがないかとさえ思われた炎暑の夏も、自然の摂理に従って確実に移り変わっていくことを表現したかったし、後者に関して言えば、都会のど真ん中に飾られた超近代のアートが、戦争、貧困、災害に見舞われ続けている混沌とした現代社会の有り様を映し出している、そんなことを表現してみたかった。上手く表現できているかどうかは知らないが…。来年の作品展にも是非チャレンジしてみたい。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/02/06

果て行く夏に

 

混沌とした未来へ

 

夢見る頃を過ぎても

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