管理組合の仕事を終えて

 先月の5月18日には最後の理事会があり、翌週の25日には総会があった。理事長の任期は、前年度の総会後から今年度の総会までとなっているので、総会を終えればようやく「自由」の身となる。理事長の仕事が大変だということだけではなく、それにともなううんざりするような人間関係から解放されることになるので、文字通り待ちに待った総会という訳である。誰に遠慮することなく自由に語り、あれこれ批判(あるいは非難か)されることもなく自由に書くことができるのは、何と素晴らしいことか。初夏の爽やかな蒼空に向かって、「私は自由だ!」と叫びたいような気分である(笑)。

 自由の身となって、ゆったりとした環境が戻ってきたので、まずは楽しみながら本を読みたくなった。これまでは気持ちがささくれだっていたので、そんな時には、たとえ読んだとしてもお手軽な本しか読めないし、ましてや、文章を味わいながらの読書とはとてもならない。そこで、この機会に少し変わった本を読んでみたくなり、松本清張の『小説日本芸譚』(新潮文庫、1961年)、藤沢周平の『喜多川歌麿女絵草紙』(文春文庫、2012年)、そして松永伍一の『老いを光らせるために』(大和書房、1996年)を手にしてみた。

 前2冊は、人気作家の作品だけあって、とても面白く、そしてまた興味深く読ませてもらった。心が和むとはこのことである。もう1冊の松永の著作は、タイトルからしてもしかしたら私の好みとは違っているような気もしたが、案の定やはりそうだった(笑)。名は体を表すということなのか。名の知られた詩人でもある作者の著作だというのに、そこに孫が実名で登場していたのにはいささかうんざりした。さらには、略歴を見たら、「著書は○○○○など百余冊がある」などと記されていたのでびっくり仰天である。何とも解り易す過ぎて、可愛い年寄りだなあなどと思ったのである(これは皮肉である-笑)。にも拘わらず、こんなふうに好き勝手に読書していると、自由の日々が戻ってきたことが実感出来て何とも嬉しかった。

 そんな話はともかくとして、総会では、まずは理事長が今期の活動に関して総括的な報告を行うことになっている。6月4日に同じタイトルで投稿した際には、私が書いた報告部分のみを、団地名や個人名を削除して、投稿の中で利用させてもらった。しかしながら、複写が禁止されている議案書を、たとえ一部ではあれブログに載せたことが問題だと宣うような、何とも神経細やかで粗探しの好きな「正論」の人がいるらしく、問題になりそうな気配だということが風の噂で伝わってきた。

 私の書くような、取るに足らぬ(そしてまたつまらぬ)ブログなどを読んで、そんなことを気に掛けるような暇な人がいるらしいことに、正直言って驚いた。それでも、皮肉交じりに言えば、この団地に「敬徳書院」のブログを読んでくれる人がいることがわかって、そのこと自体は喜びに堪えない(笑)。どうせ読むなら、もっと別な面白いものを読んでいただきたかったのではあるが…。

 私は自分が書いた文章にはこだわりを持つ方で、たとえ議案書に載せるような事務的な文章であったとしても、できるだけ丁寧に自分の言葉で書くようにしている。どんな文章であっても、文章をしたためれば、そこには自ずと書き手の人間性が現れることになる、そんな気がしているからである。「文は人なり」とは言い得て妙である。

 それはともかくとして、気にする人に気にするなと言ってもどうせ理解は得られ無いであろうし(笑)、真面目に相手にする気も起こらなかったので、黙って放っておこうかとも考えた。だが、こんな馬鹿馬鹿しくも愚かしいことで新しい理事長の頭を煩わせることになるとしたら、まったく申し訳ない気もしたので、議案書の部分のみをさっさと削除させていただくことにした。これが削除済みのものである。「子供」の割には、何とも「大人」の対応ではある(笑)。この筆禍事件(いったい何が「筆禍」で何が「事件」なのやら)をきっかけに、団地の住民の方々に「敬徳書院」のブログに関心を持っていただけるとしたならば、それに勝る喜びは無い(笑)。
 
(追 記)

 総会の閉会間際には、理事会に対する要望書が読み上げられたり、私が、「自分のペットを飼いたいがために理事長に立候補した」などといった、誹謗中傷にも似た発言があったりして、最後の最後まで荒れ続けたこの1年であった。どのみち人の口に戸は立てられないので、私は尋ねられたことに対しては必要最小限のことを述べたものの、それ以外のことに関しては特段のことは言わなかった。そんな発言に、いちいち反論する気も起きなかったからである。

 しかし考えてみれば、自分もそうであるように、他者に対して自由にものを言う人は、他者からも自由にものを言われる人でもあり、そのことを当然のこととして認める人でなければなるまい。発言者にその程度の覚悟と度量があったのかどうかは、寡聞にして知らない。恐らく無かったのではあるまいか。