瀬戸内周遊の旅へ-2017年暮、鞆の浦、尾道、松山-(完)

 私自身に向かう旅へ

 ところで、せっかくの機会なので子規についても一言触れておきたい。『坂の上の雲』の副主人公でもある彼は、生涯松山藩士にこだわり続け、志士に憧れて身を立て英雄的な人間になるのが夢だったようである。当時の若者が、そうした立身出世の功名心に駆られたとしても何の不思議もないが、彼はそのなかでもとりわけ野心家で、出自としての階級への拘りも強かったという。子規の側にいたのは漱石であり、同じ松山出身の高浜虚子であるが、二人はともに子規を冷静に観察している。虚子の観察に関しては、『回想 子規・漱石』(岩波文庫、2002年)が詳しい。

 「漱石文学に秘められた男たちの確執の記憶」を副題にした、みもとけいこの『愛したのは、「拙にして聖」なる者』(創風社出版、2003年)を読んで初めて知ったのであるが、明治24年11月の漱石から子規への手紙には、次のようなことが書かれている。

 「君の議論は工商の子たるが故に気節なしとて四民の階級を以て人間の尊卑を分たんかの如くに聞こゆ君何が故かゝる貴族的の言辞を吐くや君若しかく云はゞ吾之に抗して工商の肩を持たんと欲す」。漱石25歳の時の手紙である。気骨と同様の意味である気節の有無を、出自に関わらしめて論じている子規を鋭く批判しているのである。さすが漱石と言うべきであろうか。

 旅の最後の日に松山城に登ったが、この日は前日の「坂の上の雲ミュージアム」で感じた虚しさからも解放されて、何とも清々しい朝を迎えた。松山城は、城郭も城壁も美しい城だった。こんなところに来てまで、何か資料はないかと探すのもどうかとは思ったが、城の側にあった売店で中村英利子編著の『漱石と松山』(アトラス出版、2001年)を購入した。何時までも治らない何とも悪い癖である(笑)。それによると、「漱石が松山の嫌なところをあげるとしたら、おそらくその『よもだ』だったに違いない」とあった。

 松山の方言である「よもだ」とは、いい加減とかずぼらという意味らしいが、『坊ちゃん』において、「不浄な地」と評され、「船が岸を去れば去る程いい心持ちがした」とまで書かれた松山で、「坊ちゃん列車」が走ったり、「坊ちゃんまんじゅう」が土産となっているのも笑える話ではある。こうしたところにも「よもだ」的なものが現れているのかもしれない。妙に納得出来る指摘であった。

 ところで、『坊ちゃん』には清(きよ)という印象深い下女が出てくる。「拙にして聖」なる人物のように見えるこの清は、虚子の本名である清(きよし)から採ったのだろうというのが、先のみもとの見立てである。そうなのかもしれない。

 子規と虚子の関係についても、道後温泉が昔は熟田津と呼ばれていたことについても(寺尾さんには、「それは常識だよ」と笑われてしまったのだが-笑)、道後温泉の側にあった松ヶ枝遊郭についても、私の前の仕事先であった労働科学研究所の略称である労研を冠した、松山の「労研饅頭」についても、触れたかったのだが、最早紙幅は尽きている。

 そしてまた、壮大な「坂の上の雲ミュージアム」を作ったにしては(これは勿論皮肉である!)情けないほどに貧弱な松山市の歴史認識(友好都市の韓国・平沢(ピョンテク)市に、従軍慰安婦問題を象徴する少女像が設置されたことを受けて、本年4月に中学生の交流事業が中止された)についても、一言言いたかったが、それも叶わない。そろそろこの冗漫な文章にも区切りをつけなければなるまい。

 子規の後継者と目された虚子のよく知られた作品に、「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」という句がある。胆力を感じさせる何とも力強い句である。われわれは、正月を挟んで去年と今年を区切ったりしているが、それは世間の約束事に過ぎないのであって(私にはまるで興味がないが、平成から新元号への改元なども同じようなものであろう)、宇宙や自然の摂理と同様に、自分の暮らしや生き方、そして思想や哲学なども、年を跨いだからと言って何一つ変わるものではなかろう。そんな人生の構えのようなものを詠んだ句なのではなかろうか。

 これは虚子76歳の時の句だということだが、とてもそんな高齢者が詠んだとは思えない潔さが横溢している。若い頃には、同じ虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」や山口誓子の「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」などが気に入っていたが、年を取って来ると、先のような句に惹かれる自分がいる。最早変わりようのない我が身が実感されるからである。

 現代はよく変化の激しい時代だと言われたりする。私自身は、変化にただただ追随する気などまったくないけれども、変化をそれ自体として丸ごと拒否しようなどとも思わない。日頃肝に銘じているのは、変化というものには軽佻浮薄に堕しかねない危うさが孕まれてもいることを、いつも忘れないで生き続けようとすることである。

 そんな変化の時代だからこそ、そこに棒のように真っ直ぐで変わらぬものを発見し、見つめ続けようとする姿勢が、ますます大事になってくるのではあるまいか。生きる構えに「貫く」ものがなくては、自分の人生に自分なりの決着を付けることさえ難しかろう。古希を迎えた私の心中にも、「棒の如き」に変わらぬものは依然としてある。これからは、それを大事にして最期まで生きて行くことになるのだろう。