晩夏の佐渡紀行(完)-旅の終わりに-

 余りにも長々と駄文を連ねてきたので、この佐渡紀行もそろそろ稿を閉じなければならない。閉じるに当たって出来うれば纏めとなるような文章を載せたいと思ったのであるが、それがなかなか浮かんでこない。何とも困ったものである(笑)。雑文の宿命のようなものであろうか。仕方が無いので、自戒も込めつつここでも宮本常一の文章を借りることにした。彼には全15冊にも及ぶ『私の日本地図』(同文館)という著作があり、その7巻目が「佐渡」(1970年)である。そのあとがきで次のように書いている。

 佐渡へ観光客をもっとたくさんつれて来るには接客のための女を入れなければいけないと言っている島の人が近頃は多いそうである。そんなことをしなくても明るく健康な島にしたいものである。(中略)自分たちの島だから、島民全体の住み心地のよいところにしなければならぬ。媚びを売るのは都会の人の仕事にしておいて、島民は素朴にはつらつとして胸をはってあるく方法を考えるべきではないかと思う。それが島の外の人たちのつよい魅力にもなるのである。佐渡はよい島である。そこにしっかりと根をおろして生きている人もりっぱである。その人たちが主体になることが大切である。

 如何にも真っ当な指摘であり、佐渡に生きる人々を励ます一文である。こうした文章を読むと、今回の佐渡紀行は、ロマンチストなのにリアリストであり、リアリストなのにロマンチストでもあった宮本に教えられた旅だったような気がしてくる。きっとそうだったのであろう。そうした思いが更に強くなったのは、『宮本常一 旅の手帳)<庶民の世界>』(八坂書房、2011年)に収録された二つのエッセーにも触発されたからである。1964年の「佐渡の八珍柿」と1967年の「佐渡人のくらし」がそれである。

 「佐渡の八珍柿」の始めには、「私の見たいのは名所旧蹟や風景のすぐれているところでもない。田や畑や雑木林や住居や道や、人びとの生活しているさまである。その土地に人はどんなにして住みつき、どんなに生きてきたかを見たい」と書かれている。彼の眼差しは、本の副題にもあるように「庶民の世界」に向けられていたのである。そのうえで、次のように書いている。

 佐渡の人は勤勉である。ただ働くだけではない。勉強もよくする。この島にいいは高校だけでも六つあって、たいていの者が高校は出ている。同時に島の外へも流れ出る。そのためにも高校を出ていなければならないと皆考えている。島にのこっている者は何とかして島をよくしようとして一生けんめいで」あるのだが、「写真家たちは佐渡のうらぶれたところばかり写真にとりたがってやって来るそうである。町の人たちは島を海のはてのさびしいところと人にも思いこませないと承知しないようだ島の識者は苦笑していた。

 何とも興味深い一文である。筆者のような都会からの来訪者などは、島の識者に苦笑される存在であるに違いない。物見遊山とまでは言わないにしても、それにかなり近い観光客に過ぎないからである。だからこそ、地元に生きる人間を見ようとして歩き回る宮本の姿勢から、改めて学ばなければならないのであろう。そしてまた、彼のバイタリティーの在処を探してみなければならないのであろう。

 目に見えているものの奥に息を潜めている何ものかを感じ取とうとすること、もしかしたらそこにこそ旅の極意はあるのかもしれない。旅に出掛けた年寄りに求められているものは、そうした極意に少しでも近付くための、落ち着きのある眼差しなのではあるまいか。生意気にも、ふとそんなことを思った。

(追 記)

 延々と9回にも渡って書き綴ってきた「晩夏の佐渡紀行」も、今回で最後となる。もしも、飽きもせずに読んでくれた方がおられたならば、この場を借りて改めて感謝したい。第1回目の投稿は2月9日だったので、今日までのこの2ヶ月間は、日本で新型コロナウイルスの感染拡大が大きな話題となった時期と、ちょうど重なっている。学校が休校となり、週末の外出の自粛が求められ、そして緊急事態宣言が発令されるに至った。

 そんないささか騒然かつ鬱々とした世の中にあって、「晩夏の佐渡紀行」などを書き綴っているのは、如何にも「浮世離れ」した所業と言う他はないだろう。書いている本人がそう思っているのだから、読んでいる方は更に強くそう感じたに違いない。「浮世離れ」とは、世間の常識からかけ離れた言動や事柄を指したり、あるいは、あまり周囲のことを考えず、ひたすら我が道を行くマイペースの人のことをいう。

 似たような言葉に「世間離れ」という言い方がある。しかし両者は微妙に違っている。「世間離れ」は、俗世間の常識などを軽んじて、別の世界を楽しむことを言うようだし、「浮世離れ」は、世事に疎くまた無関心なために、結果として世間の常識からかけ離れていることを言うようである。私の場合は、常識を軽んじてはいないけれども世事には疎い人間なので、どちらかと言えば「世間離れ」ではなく「浮世離れ」の方である。

 ところで、「浮世離れ」の浮世という言葉は、もともとは「憂き世」とも書いていたぐらいだから、辛く苦しくうんざりするこの世の中、つまり日頃の仕事や暮らしに追われて悩みの尽きない日常の有様を表している。そうであれば、「浮世離れ」はたんに常識外れを指しているだけではなく、あえて「憂き世」を離れることと理解しても構わないであろう。私が大事にしたいと思っているのはこちらの方である。そんなことを考えつつ、長々と書き綴ってきたという訳である。
 
 この間の世の中の動きを眺めていると、有象無象の方々(有象無象と書いてからかっておきながら、方々という言い方はないであろうが、これは皮肉である-笑)が、有象無象のメディアで、有象無象のあれこれについて喋り散らし、書き散らしているようにも見える。何とも見るに堪えない光景であり、文字通りの「憂き世」である。世の中をそれほど熱心に観察している訳ではないから、まったくの個人的な感想に過ぎないのではあるが…。

 大事なことは、感染症に造詣の深い専門家のアドバイスに敬意を払い、やるべきことをきちんとやり、やってはいけないことを可能な限り避けることなのだろう。そんな訳で、年寄りの私は不要不急の外出を極力避けることにしたのだが、そうしたら、自分の行動の殆どが何やら不要不急のようにも思えてきた(笑)。考えてみると、案外いろんなことが不要不急なのかもしれない。新たな発見である。

 こうした時期だというのに、私の住む横浜では、カジノの誘致に向けてこれまでの計画通りに粛々と準備を進めていくのだという。そのために4億円も使うらしい。とんでもない「おもてなし」だと言う他はない。市民に不要不急の外出の自粛を求めるだけではなく、市長もまた不要不急の施策の実施を自粛し、増大する感染者への対応に専念していただきたいものである(笑)。それが年寄りのマナーやエチケットやモラルと言うものではなかろうか。もっとも、有象無象の一人に過ぎない私のような年寄りなどが言えた義理ではないのかもしれないが…。