晩夏の佐渡紀行(七)-宿根木を探訪して-

 続いて、小木地区にある宿根木集落の探訪記を記しておきたい。相川を巡って翌日に訪ねたのが宿根木である。ここはどんなところなのか。宿根木のホームページには次のようなことが書かれている。ここに記されているような三つの文化圏については、先に紹介した青野も指摘しているので、かなり昔から言われてきたことなのだろう。

 佐渡の文化は、俗に「国仲の公家文化」、「相川の武家文化」、「小木の町人文化」に大別される。国仲のそれは、中世の頃から配流の島となり、順徳天皇、日蓮、日野資朝、世阿弥など中央からの流人の影響で形成されたものである。相川と小木は、戦国時代から近世初頭にかけて、金山と廻船による商品経済への移行が佐渡を大きく変えて、金山直轄地の「相川」と廻船港「小木」を成立させた。

 宿根木は、「小木の町人文化」形成に先駆けて、中世の頃より廻船業を営む者が居住し、宿根木浦は、佐渡の富の三分の一を集めたと言われるほど栄えた。やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木港へ移行すると(佐渡の金銀は小木港から出雲崎に運び出されたー筆者注)、宿根木の者は、船主が先頭となり十数人の船乗りと共に、全国各地へ乗り出して商いを続けた。村には船大工をはじめ造船技術者が居住し、一村が千石船産業の基地として整備され繁栄した。その時代の集落形態が今日見られる宿根木の町並みである。

 村を流れる称光寺川と平行し、数本の小路が海へ向かい、それに面して家屋が肩を寄せ合い建っている。約1ヘクタールの土地に110棟の建造物を配置する高密度である。建物の外壁に船板や船釘を使ったものもあり、千石船の面影をしのべる。宿根木集落の特徴は、家屋の密集性にある。

 ざっとまあそんなことが記されている。宿根木にいた船頭たちは、初めは小さな中古船を入手して船持ち船頭になり、船を大きくしつつ資金を蓄えて新たな船を造るまで成長していくことになる。海運力をつけた船頭たちは、春に大阪に上り、秋に北海道に下るという「北前稼ぎ」に進出していくのである。こうして江戸後期の宿根木の海運業の姿が完成するのである。このような展開は、北前船の寄港地となったところはだいたいどこも似たようなものであったろう。そこまでは同じようなものなのだが、違いが生ずるのは歴史的な遺産の保存状況である。

 北前船で財をなした豪商の館の跡などはあれこれの所に残されているが、宿根木のように集落全体が当時の面影を残しているところはそうはない。われわれは今回の調査旅行で富山市の岩瀬地区にある森家も見学した。この森家は北前船の廻船問屋で、国の重要文化財に指定されている。行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元では北前船のことを「バイ船」と呼び、往復で儲かるので「のこぎり商売」とも言われたらしい。何ともユニークな表現ではある(笑)。

 残されている家屋や蔵は、北前船による蓄財がもたらした立派なものであり、岩瀬地区も落ち着いた町並みに整備されていた。風情も感じられるのであるが、しかしそれ以上のものではない。時代の流れに浸食されているために、往時にタイムスリップしたような感じが余りしないからであろう。館長の名調子の説明も、あまりに手慣れ過ぎているので私のような捻くれた人間は素直には聞けない。笑いを取ろうとの思いが強すぎ、それが耳障りだからであろう(笑)。

 こうしたところと比較してみると、宿根木の良さが際立ってくる。小さな集落ではあるが、そこを気儘に歩いてみると何とも言えない郷愁に誘われるのである。この宿根木が、昔廻船業で栄えたところであったとはにわかには信じ難い。狭く入り組んだ道路とも呼びがたい路地、びっしりと並んだ板張りの古い家々、瓦や石を載せた家並み、そのどれもが懐かしく感じられた。

 こうした集落のありようもまた意図して作られた(あるいは維持された)ものであり、自然のままでなどあるはずはないのに、作られていることを余り感じさせないところが宿根木の良さなのであろう。もしかしたら、旅情に浸りすぎたために、冷静な観察眼が曇ってしまっていたこともあったかもしれない。

 取り残された集落であった宿根木が、突然時代の脚光を浴びるようになったのは、この集落が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されてからである。それ以来、古い景観を維持し再現するために、さまざまな補修や改修の工事が行われてきているのだという。観光客は従来からあった町並みに歴史を感じ、昔の面影を探すようになるのであるが、今度は集落の方もそうした観光客の眼差しに寄り添う形で、過去の姿に町並みを変えているようなのでる。

 観光シーズンともなれば、日中は狭い路地に観光客が溢れ返るとのことであるから、宿根木に懐かしさを感じた私などは、さだめし観光客の眼差しで宿根木の表面を撫で回しただけの存在であったに違いない。この辺りのことに関しては、博物館で入手した『宮本常一写真で読む佐渡』の①マスツーリズムと、②観光以降の2冊の冊子に収録された宿根木関連の論文を目にして、あらためて気付かされたことではあるのだが…。