名前の表記のことなど

   この間大分重苦しい話が続いたので、がらりと気分を代えて何時もの調子に戻りたくなった。シリーズ「裸木」の第7号が完成したことは、しばらく前のブログで触れたが、完成した冊子をまず最初に手にするのは言うまでもなくこの私である。そして、最も熱心に読むのもこの私である。そうするとどんなことが起こるか。誤字、脱字やだぶりに加えて表記の不統一などが、必ずと言っていいほど見つかるのである。そもそも冊子を通読するような読者などほとんどいないだろうし、そのうえさらに先のようなことを気にする読者など皆無だろう。そのぐらいのことはよく分かっているのだが、何故だか気になるのである。

 何故気になるのだろう。こちらが神経質な所為なのか。もしもそうであるならば、校正の段階でもっと念を入れなければならないはずなのだが、そこまで念が入っているわけではない。そうなると、先のような誤りが生じてしまうのは、こちらが比較的ずぼらな所為でもあるのだろう。神経質なくせにずぼら、あるいはずぼらなくせに神経質だということだから、先のような事態が生まれるに違いない。常日頃家人から煩く言われていることではあるが、何とも困ったものである(笑)。

 これまでに7冊の冊子を作ったわけだが、誤りのない号など1冊もない。ちなみに昨年の第6号の場合、目次内に誤りが見つかったほかに、4カ所も直したくなるところがあった。目次内の誤りについては、ある読者の方から指摘されたりもしたので、とても残念な気分であった。せめて一度ぐらいは誤りのない冊子をつくってみたいのだが、それがなかなか難しい。この先果たしてどうなることやら。まあ、どうにもならないのだろうが…(笑)。

 既に触れたように、冊子はほぼブログの文章で成り立っている。だから、ブログに載せる際にも文章を読み直している。さらに、冊子にする際にも当然ながら校正を行っている。今回などは先のような気持ちでいたものだから、校正の時間にゆとりを持たせようと思って、いつもよりも早めに原稿を送付して校正刷りを3回も読み直してみた。3回目にはもう誤りはないだろうと思っていたが、そうでもなかった。やはり見つかるのである。例えば、田舎に顔を出した話を書いていて、「帰郷」と書くべきところを「帰京」と書いていた。これでは意味は逆である。

 そんなことを冊子の編集をお願いしているYさんに話したところ、「文章を書く人は、原稿を読んでしまうからじゃないでしょうか」との話だった。確かにその通りかもしれない。文字を追うのではなく、文意を追ってしまうから、校正の専門家であれば見逃さないところを見逃してしまうのであろう。今回は3回も校正を重ねたと書いたが、同じ文章を読んでいるとすぐに飽きて眠くなってしまい、校正作業になかなか身が入らない。おまけにこの夏の酷い暑さである。今回もまた何処かに誤りが見付かるのではあるまいか。こう書いたところ、直ぐに誤りは見つかった(笑)。情けない限りである。

 表記の誤りから話を広げてみたいのだが、しばらく前にこんなことがあった。通院中の大学病院の診察券が新しくなった。その理由は忘れたが、後期高齢者となったためだったかもしれない。あるいはまた、マイナンバーカードと健康保険証を紐付けることなどにも関係があったのかもしれない。私の名前は「祐吉」だが、受け取った保険証には「祐キチ」と印字されていた。両親が名付けてくれた名前なので、勿論ながら愛着はある。そして気に入ってもいる。有り触れているわけではないが、奇をてらっているわけでもないところが好きなのである。

 ただ、それは私の内面に拘わることなので、他人様がそれをどんなふうに読もうが記そうが、それほど気にはならない。名前はある種の符丁に過ぎないだろうと思ってもいるからである。この病院では昔「スケヨシ」さんと呼ばれたこともある。その時は自分が呼ばれたとは思いもしなかった。そして今回の「祐キチ」事件である。これまでによくあったのは、「祐吉」の「祐」の字の方の誤りである。「裕」であったり「佑」であったりした。特に「裕」が多かった。裕福だの余裕だのと他にもよく使われている字なのでので、ポピュラーなのであろう。「裕」に比べれば「祐」や「佑」の使い道はほとんどない。わずかに祐筆や天佑があるぐらいである。

 電話で名前を伝える際には、「祐は示偏(しめすへん)に右です。吉は大吉、小吉の吉です」と言ったりしてきた。最近は「示偏に右」では危ういような気もしだしたので、「カタカナのネに右です」と言うことが多くなった。それはともかく、「祐キチ」と書かれた保険証を渡された際には、それほど気にもせずに黙って受け取ったのだが、それからしばらくして、「ユウキチ」ならまだしも、いくらなんでも「祐キチ」はないんじゃないかと思えてきた。そんな表記の診察券をもらったことなど、勿論これまでに一度もない。

 そこで病院の総合案内所で何とかなりませんかとお願いしたところ、「申し訳ありませんが、パソコンで吉が出ないのです」との返答だった。不思議に思ってその理由を詳しく聞いてみた。そこで初めて知ったのだが、「吉」は士(さむらい)の下に口と書くものだけではなく、土(つち)の下に口と書くものがあり、健康保険証にある土(つち)の下に口と書く吉が印字できないとの話だった。私の場合はその吉だったのである。そうであれば、「祐キチ」でもやむをえない。

 これまで私は長らく士(さむらい)の下に口と書いてきたので、今回の「祐キチ」事件で初めて自分の名前の正しい表記を知ったことになる。何とも驚きである。土(つち)の下に口と書いた記憶はこれまでに一度もない。一応念のためと思って健康保険証(正確には後期高齢者医療被保険者証という長い名前である)をまじまじと見たところ、確かに土(つち)の下に口の吉だった。ついでに記しておけば、「お薬手帳」の方の吉は士(さむらい)の下に口だった。その後、必要があって戸籍謄本をもらいに区役所に出向くことがあったが、そこに記されていた吉も当然ながら同じだった。今の今まで、何も気付かずに私は自分の名前を間違って記し続けてきたのである。そんなこともあることが不思議だった。

 今更正しく記そうなどとは思ってもいないので、私はこれまでと同じように士(さむらい)の下に口と書くはずである。先に触れたように、名前は符丁でもあるのだからまあそれでいいような気もする。しかしそれにしても、「スケヨシ」と呼ばれたり、「祐キチ」と書かれたりするのって一体どうなんだろう。何故だか笑える、とりわけ「祐キチ」が…。どうせなら、この際だから、皆に笑ってもらえるような後期高齢者を目指すのも一興ではないか。何やらそんな気もしてきた(笑)。

 名前まで 溶け出すほどの 炎暑果つ (祐キチ)

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/11/03

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