久しぶりの同窓会に顔を出して(上)

 このところ冬晴れの気持ちの良い日が続いていたが、今日は一転して如何にも冬といった曇天の寒空である。この間いささか緊張を強いられた用件に追われていて、気持ちをブログに向けにくい状況が続いたが、それも昨日片付いたので、ようやくゆったりとブログに向かい合えることになった。年寄りの雑文書きを目指している私にとっては、こうした余裕を持てること自体が思いの外嬉しい。余裕というものは、時間の絶対量のことではなく、気持ちの落ち着きのようなものを指すのだろう。

 こんな時に、のんびりした気分でコーヒー片手に同窓会にまつわる話などを書いてみるのも悪くはない。当初は先頃開かれた同窓会の話だけを書くつもりでいたのだが、のんびりした気分で書いていると、話があちこちに飛んでしまう。締まりなく書いていたら、大分長い文章になってしまった。そこで、仕方がないから(上)(中)(下)の3回に分けて掲載することにした。落語で言う「枕」の部分が長くなるのは、さまざまな出来事に事寄せてついつい自分語りを始めてしまうからであろう。いつもの癖なので、治そうにもなかなか治らない。もしかしたら、本気で治そうとは思ってはいないということなのかもしれない。

 私が卒業した中学校の同窓会が、5年ぶりに田舎の福島で開かれた。今月の12月2日のことである。市内にある稲荷神社の側の立派な結婚式場で開かれたのだが、会場には「福島大学学芸学部附属中学校第15回卒同窓会」と書かれた横断幕が張られていた。何時も附中、附中と呼んでいたので、正式の名称に学芸学部が入っていることなどすっかり忘れていた。この結婚式場は冠婚葬祭業を営む同級生のS君が経営する会社が所有しているので、便利なこともあって利用させてもらっているのであろう。ここで同窓会が開かれるのは確か3回目となるはずである。私は1回目は欠席したが前回の2回目は出席した。3回目となる今回も出席するのを愉しみにしていた。

 最後の同窓会になるかもしれないとの話も漏れ聞こえていたので、往復葉書の案内状をもらうとすぐに出席の返事を出した。返信用の葉書には近況報告を記入する欄があるので、いつも少しは考えてから短い文章を書く。私はその文章をパソコンで書いて葉書に貼り付けているので、これまでにどんなことを書いたのかは、探せば直ぐに見付け出すことができる。自分の書いた文章を残しておきたくてそんなことをしているわけだが、もしかしたら自己愛が強すぎる行為のような気もしなくはない(笑)。2012年に開かれた第1回目の同窓会の近況報告には、以下のようなことを書いた。

 折角同窓会の連絡をいただいたにもかかわらず、野暮用続きでどうしても正月福島に帰省できなくなり、たいへん残念です。次回を楽しみにしております。簡単な近況報告をさせていただきますと、勤め先の仕事がまだ続いており、若い学生を相手に日々悪戦苦闘しております(笑)。中学時代は目立たない存在でしたから、すっかり禿げ上がった今の自分では、いったい誰なのか皆目見当が付かないでしょうね。

 孫3人の祖父さんですが、ひょんなことからカミサンとダンスを始め、現在C級で時々競技会にも出場しています。原発事故以来、これまで以上に福島への愛着が強まり、田舎には機会を見て顔を出すようにしています。福島の大事故が収束もしないうちから再稼働するような政治が続いていますので、これまで原発問題に関心が薄かった我が身を反省しつつ、脱原発の声をさらに大きくしなければと思っています。福島もだいぶ冷え込んでいるはずですので、皆様お身体ご自愛下さいますように。

 懐かしさのあまりなのだろうが、今読むと書かずもがなのことを書いているような気がしていささか恥ずかしい。この同窓会は中学校卒業後50年という節目の年に開かれたこともあって、だいぶ大勢の方が顔を出したようだ。私は上記の近況報告に加えて、住所欄にメールアドレスも付け加えておいた。それを見た同級生のYさんが、懐かしく思って私にメールをくれた。このYさんは、私が初めてラブレターのようなものを書いた人である。

 それをきっかけに付き合いとも言えぬような淡い付き合いが始まったのだが、私が恋に恋していただけだったからなのか、あるいはまた、もっと広い世界に飛び出したくなっていたからなのか、盛り上がりに欠けてしまって何時しか自然消滅した。Yさんに悲しい思いをさせたのはこの私の方だったから、メールをもらって何とも複雑な思いだった。この50年ぶりの同窓会の後、幹事のK君から懐かしさがたくさん詰まった郵便物を受け取った。そこで次のような礼状を書いた。

 先日は欠席した私にまで同窓会の写真や名簿、近況の便りなどをお送りいただき、ほんとうにありがとうございました。もっと早くにお礼の返事を出さなければならなかったのですが、期末試験、入学試験と続いてばたばたしていたためにすっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。50年ぶりの同窓会だったにもかかわらず、大勢の方々が参加されて大いに盛り上がった由。その様子が、こちらにも伝わってきました。それとともに、この間さまざまな人生があったことも窺われ、ひととき感慨に耽りました。

 今回の同窓会は、K君を始め幹事の皆様方のご苦労なしには開けなかったはずです。多くの人に連絡を取るだけでも、かなりたいへんな仕事になりますから。そしてさらに、今回のような事後報告までしていただき、頭が下がります。次回は3年後に開催されるとのこと。その時には万難を排して参加させていただきます。それまでお互いに元気でいたいものです。お身体ご自愛下さい。

 50年ぶりの同窓会の余韻や反響が大きかったこともあったのか、2014年の年明けには3年2組だけの同級会が、駅前の飲食店を貸し切って開かれた。この時の近況報告には次のようなことを書いた。「幹事の皆様方ご苦労様です。昨年の同窓会は都合がつかず出席できませんでしたので、今回は出席させていただきます。そんな気持ちになったのは、やりかけの仕事が一段落したこともありますが、少々無理をしてでも出かけないと、みんなに会う機会を逸するような気がしたからです。仕事はまだ続いていますが、前期高齢者になったこともあり徐々に隠居気分になってきました。これからは、あまりあくせくせずに『晴耕雨読』の日々を過ごしていければと願っています」。

 同窓会の場合には.名前も顔も知らぬ人が大勢いるものだが(交際範囲の狭かった私のような人間は、特にそうである)、同級会であればいくら何でもそんなことはない。一人一人の近況報告を直に聞くことができたので、懐かしさは一入(ひとしお)であった。私は先のYさんに会えるかもしれないと思って顔を出したが、彼女は生憎と欠席であった。正月に出掛けるのは難しかったのかもしれない。級友たちとの別れ際に、こんな同級会がまたできたらいいのだがなどと勝手なことを思ったりした。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2023/12/14

師走の福島にて(1)

 

師走の福島にて(2)

 

師走の福島にて(3)