メダカを追って

 今日は月が変わって霜月11月の1日である。昨日の総選挙の結果を眺めていて、いささか不可解かつ陰鬱な気分になった。個人的には、小選挙区では野党共闘の候補を、比例では野党共闘に力を尽くしてきた共産党を応援していたからである。地元での結果は、立憲民主党の中谷一馬候補(比例で復活)も、これまで比例で議席を得ていた日本共産党の畑野君枝候補も、残念ながらともに惜敗した。

 よく分からないことに直ぐに結論を出して解釈したがるのが、政治に少しは関心を払う私のような人間の悪い癖である。分からないことは分からないと言っておけばいいのであろう(笑)。世の中に不可解なことなどあれこれある。最悪なのは、分かった振りをすることである。そのうち、今回の選挙結果の意味を自分の頭でゆっくりと落ち着いて考えてみることにしたい。気分を変えるために(もしかしたら変え過ぎているのかも-笑)、前回のグッピーの話に続いて、今度は同じ小魚でもメダカの話を投稿してみることにした。原稿自体は既に大分前に出来上がっていたものである。

 しばらく前に、小僧や小娘総勢4人を引き連れて、メダカを獲りに行った。場所は、横浜線の鴨居駅から歩いて10分ほどの所にある「江川せせらぎ緑道」である。電車で行けば直ぐだし、ましてやクルマで出掛ければあっという間に辿り着く、そんな近場である。しかし私は、あえて歩いて目的地に向かうことにした。もともと自分が歩くことが好きだということもあるし、子供たちと一緒に歩いていると、あれこれと思いもかけぬ発見があって結構面白いからである。しかも地図を見ればわかるように、目的地は鶴見川の土手を歩いていけば辿り着ける場所にあり、クルマは土手を走らないので安心である。

 実はここには、以前年上の小僧二人と一緒に来たことがある。その時は、私の自宅からすべて歩き通したので、行きだけでかなりの距離を歩いた。帰りは、もと来た道を再び歩いて帰るような元気は残っていなかったので、電車で帰宅した。その際に、この「江川せせらぎ緑道」の外れにある水辺に、メダカや川えびがたくさんいることがわかったのである。その時も何匹か捕ったので、獲物はジップロックというビニールの袋に入れて持ち帰った。四角い虫籠だとがさばって持ち運びには不便だが、ビニール袋だとその不便さはない。カバンに入れることもできる。

 下の小僧が、「氷を入れておかないと水が熱くなって死ぬよ」と言うので、水筒から氷を出して入れておいたのが良かったのかもしれない。帰宅しても獲物は元気なままだった。そのうち次女から、自分の家の子供二人もどこかに連れて行ってくれと頼まれた。頼まれたと言うよりも叱られたといった方が正確かもしれない(笑)。私が、姉の家の二人ばかりを可愛がっていると思ったようである。こちらにその気はないのだが、当事者には当事者なりの言い分があるのだろう。その背景をあれこれ考えてみても詮無いので、余計なことは考えずにまとめて面倒見ることにした。じいさんやばあさんにも、それなりに気を遣わなければならないことはある(笑)。

 そこで今回の「江川せせらぎ緑道」行である。次女の家は鶴見川の側にあるので、そこから5人で川沿いの土手を歩き始めた。途中道路を渡る際に、ちび助が危うくクルマに轢かれそうになるハプニングがあった。この辺りが何とも危なっかしいところである。知識欲は旺盛で物知りのような顔付きではあるのだが、何せ「社会性」が弱くて「自分本位」である。頭でっかちとでも言えばいいのか。まあかく言う私も、周りからは同じような人物として見られているに違いないのではあるが…(笑)。

 引率するじいさんの言うことを聞かなければどやしつけることをきつく宣言して、あれこれとたわいもない言葉を交わしつつ延々と歩いた。途中に橋が二つあったし、もうすぐ3番目の橋が近付いていたから、下の小僧にとっては結構な距離である。しばらく歩いたら鶴見川と恩田川の合流地点が見えてきた。前々回のブログに、「こどもの国」に出掛けた話を書いたが、長津田駅とこどもの国駅を結んでいるのがこどもの国線であり、途中駅は恩田駅のみである。恩田川の名称は、昔の恩田村から取られたのであろう。初秋の午後の日差しを浴びて、二つの川が交わった辺りの川面はキラキラと輝いていた。感傷的な気分で眺めているのはこちらのみで、連れの4人はワーワーキャーキャー騒いでいるだけである。情緒もへったくれもない(笑)。

 目的地の「江川せせらぎ緑道」を流れる江川であるが、もともとこの川は水田に水を供給していた農業用水路だったらしい。昔はこの辺り一帯に水田が広がっていたというのだが、今ではその面影は何処にもない。その後都市化が進んで江川の利用価値が低下し、生活用水が流れ込むなどして水質も悪化したらしい。ごみも捨てられたりしたので、一時は埋め立ても検討されたようだが、江川に愛着を抱いていた地元の人たちの長年の努力もあって、現在の姿に至ったとのことである。今流れているのは、近くにある都筑水再生センターの水で、高い水質が自慢なのだという。小川のような江川には大きな錦鯉が群れをなして泳いでおり、なかなか見事である。

 錦鯉が泳いでいる江川の流れが終わるところまで行くと、浅瀬になりそこにはメダカやエビがいる。屈んで手を伸ばしても捕れなくはないが、裸足になって川に入り、すくった方が格段に捕りやすい。みんなを川に入れて捕りだしたのだが、これがなかなか面白い。メダカは動きが素早いから、そう簡単には捕れない。捕れるたびに歓声が上がって連中も楽しそうである。大袈裟に喜び、大袈裟に褒めてやっているうちに(笑)、私も童心に返って川に入りメダカを掬いたくなってきた。こんなことをするのは久し振りである。こけの生えた石はヌルヌルしており、その感触が昔を思い出させた。上の小僧はザリガニまで捕ったが、これは家では飼えそうにないので逃がしてやった。

 メダカ獲りの後、近くにあった公園のブランコで遊び、もと来た道を再び歩いて帰ってきた。夕暮れが迫るなか柔らかな夕陽に照らされた雲を眺めていたら、夏がすっかり過ぎ去ったことが実感された。何となく私の時代が終わりを告げつつあるようでもあった。連れて行った4人はお喋りや追いかけごっこや草むらでのかくれんぼに余念がない。そんな連中を眺めるともなく眺めていたら、何だか4匹のメダカのようにも思われた。何時までも帰ってこないので心配になったのだろう、娘が自転車に乗ってわれわれを迎えに来たところに出くわした。みんな揃って家路に向かう、何とも心穏やかな川縁の晩景であった。

 ところで、前回グッピーについてウィキペディアで調べたことを紹介したので、メダカについても調べてみる気になった。そうしたら、飼育が簡単であるため、金魚と同様に観賞魚として古くから日本人に親しまれており、ヒメダカのように品種改良されたメダカが広く流通していること、現在までに確認されているメダカの種類は500を越えること、名前の由来は、目高と書くだけあって目が大きく頭部の上端から飛び出しているためだとのことだった。

 面白かったのは、各地での呼び方である。メダカは日本各地に広く分布しているものの、旧来から統一した名称はなかったという。そのために、各地でさまざまに呼ばれており、方言名は世界の魚類でもっとも多く4,680も収集されており、短いものでは「メ」「ウキ」から始まり、長いものでは「オキンチョコバイ」や「カンカンビイチャコ」などというものまで記録されているとのことである(こんなことを調べて本にしている人がいることに驚いた。本物の好事家であろう)。ここに紹介されていた二つの長い名前が何とも笑える。どんな由来でこんな名前が付いたのやら。

 捕ってきたメダカや小エビであるが、別々に飼うのは面倒なので、グッピーと同じ水槽に入れて飼っている。3世代同居ならぬ3種類同居であるが、今のところ特に問題はなさそうである。「オキンチョコバイ」や「カンカンビイチャコ」などといった妙な名前で呼ばれていたことを知って、水槽のメダカをあらためて眺めていたら、これまで以上に愛着がわいてきた。そのうち連中にも教えてやるつもりである。あるいは、連中をそんな名前で呼んでやるのも一興かもしれない(笑)。

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