「労働の世界」の変容とその行方(一)

 私は昨年の3月に、勤務先であった専修大学を定年退職した。私が所属していた経済学部では、『専修経済学論集』というタイトルの紀要(大学や研究機関などで定期的に刊行する論文集のことである)が年に3回刊行されており、その3月号は、定年で退職する教員の退職記念号として編集されることになっている。退職する教員に縁(ゆかり)のある教員が論文を執筆するのが習わしなのであるが、私は自らの退職を記念して、この号に何か書いてみようと考えたのである。そんなことを考える人は、恐らく数少ないのではあるまいか(笑)。論説ではなく研究ノートにしたのだが、そうしたのは、もはやきちんとした論文などは書けそうにないと思ったからである。退職を機に研究者を廃業することにしたのは、そんな思いがしばらく前から強まってきたためである。毎度同工異曲のものを書き連ねていることに、我ながらうんざりしてきたと言えばいいだろうか。

 ところで、「『労働の世界』の変容とその行方」と題した研究ノートの最後に、以下のような「追記」を書き加えておいた。折角なのでそのまま紹介しておこう。「筆者は、現在の判型に移行してからの『経済学論集』にまだ投稿したことがない。せめて定年退職前に一度は投稿しておかなければと思い、多忙な年度末に無謀を承知で本稿をしたためてみた。これまでの主張を繰り返している個所がほとんどで、いささか気が咎めないでもなかったが、上記のような個人的な思いに免じてお許し願いたい」。「敬徳書院」のブログの熱心な読者など、言うまでもなくごくごく少数に決まっているが、そうした方々には、この同じ言葉を、ここでも繰り返しておかなければならないだろう、前置きはこのぐらいにして、早速本題に入ることにしたい。

 はじめに

 本稿の課題は、この間大きな社会的関心を集め続けてきたわが国における労働問題の見取り図を、この20年程のタイムスパンのなかで、できるだけ広い視野から描き出してみることにある。研究と銘打つのであれば、テーマを絞り込んで精緻に描き出すことが大事な作業となるに違いないが、現在の筆者にはその気力も体力も能力もない。そこで本稿では、取り敢えず可能な作業として、余り細部には拘らずに問題の所在の概略を俯瞰することにしたい。見取り図を描くとは、そうした作業のことを言うのであろう。7~8年前に似たようなテーマで一文を草したことがあるが、それを下敷きにしながら、可能な限りその後の新たな状況やデータを付け加えつつ、描き直してみることにしよう。

 一頃書店に足を運べば、格差や貧困をテーマとした書籍がそれこそ山をなしていた。格差論や貧困論があたかもバブルのような観を呈していたのである。その後も、トマ・ピケティの『21世紀の資本』(みすず書房、2014年)が出版されて大きな話題となったし、そのピケティの序文も付いたアンソニー・B・アトキンソンの『21世紀の不平等』(東洋経済新報社、2015年)なども注目を集めた。それ故、先のような状況は今でもあまり変わってはいないのかもしれない。だとすれば、ここに描き出そうとする見取り図などは、屋上屋を架すようなものに違いなかろう。そこにいったいどれほどの意味があるのか、といった戸惑いも当然ながら襲ってくる。そうした戸惑いを抱えながらの見取り図であることを、まず始めに断っておきたい。

 先に結論めいたことを述べておくならば、本稿では、労働の世界の変容を表現するキーワードとして、「社会」の衰退に注目するとともに、そうした衰退からの脱却の方向として、「社会」の再生に注目している。ここで言う「社会」とは、下部構造としては、人々の日々の労働と生活に基礎付けられた分業の網の目としての「社会」であり、そしてまた上部構造としては、下部構造の上に成立する自己と他者との持続可能な交流や交感や交歓の場としての「社会」である。そうした「社会」の有り様はさまざまであろうが、より良い「社会」とは、持続可能性を持つとともに他者に対する想像力を土台としているはずであり、言い換えれば、排除ではなく包摂を重視しているようにも思われる。

 わが国における格差や貧困の深刻な様相をきわめて象徴的に示したのは、しばらく前に大きな話題となった「蟹工船」(1929年)の驚異的なまでの売れ行きであったかもしれない。10年前の時点で、新潮文庫だけで発行部数が104刷138万部に達していたというのであるから、今更ながら驚かされる。特高に逮捕されたその日のうちに、凄まじい拷問によって虐殺(1933年2月20日)されたプロレタリア作家小林多喜二の作品が、一見(あくまでも一見でしかなかった訳ではあるが)大した屈託もなく大衆消費社会において私的な自由を謳歌しているかに見える現代において、このような形で再び若者たちの関心と共感を呼ぶことなど、いったいどこの誰が予想し得たであろうか。

 プロレタリア文学に対する関心はその後も続き、2013年からは楜沢健編の『アンソロジー・プロレタリア文学』(森話社、全7巻、現在4巻まで刊行中)も出始めた。他にも同じ楜沢の『だからプロレタリア文学』(勉誠出版、2010年)や、綾目広治他編の『経済・労働・格差 文学に見る』(冬至書房、2008年)なども刊行された。2000年には、荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書)が刊行されているが、そのあとがきを見ると、「プロレタリア文学は、もうだれにも読まれなくなってしまった」と書かれていた。そう書かれてから、「蟹工船」がブームとなるまで、それほど大した時間は経過していない。予想を遙かに超える展開である。

 楜沢は『だからプロレタリア文学』のはしがきで次のように述べる。「『就活』のためのお辞儀と敬語のマナーは口うるさく教えても、労働法を教えない学校や大学が恐いように、夏目漱石や村上春樹はくりかえし読み返しても、プロレタリア文学を見失い、忘れ、読み返そうともしない社会は、同じように恐い。『労働者』」や『プロレタリア』という言葉をもはや死語だと冷笑する社会は、ほんとうに恐い。忘れてはならない、見失ってはならな怒り、屈辱、苦さ、悲しみ、嘆き、笑い、喜び、そして感動を忘れないためにも、見失わないためにも、その生成の瞬間に向きあうためにも、われわれは何度でもプロレタリア文学に立ち返らなければならない」と。傾聴に値する一文なのではあるまいか。

 サラリーマン向けのビジネス誌なども、いささかショッキングなタイトルの特集号を次々に刊行した。労働の世界に起こった「異変」が広く世間の注目を集め、いわゆる売れ筋のテーマとなっていたからであろう。そのタイトルだけでも目に付いたままに拾い上げてみると、「雇用漂流」、「雇用大淘汰」、「雇用破壊」であり、「若者危機」、「娘、息子の悲惨な職場」であり、更には「家族崩壊」、「あなたの知らない貧困」といった具合であった。ごく最近では、「絶望の非正規」(『週刊東洋経済』2015年10月17日号)などと銘打ったものもあった。

 格差や貧困がもはや否定しようもない現実となっていることは明らかであったが、今日までの事態に関して筆者が敢えて一言触れておきたいと思うのは、わが日本社会は、労働問題さえも瞬く間に消尽してしまうような、余りにも貪欲なまでの消費社会だということである。ネーミングの妙と話題性のみが競うように取り上げられ、新聞や雑誌の記事となって溢れ、論文が次々と書かれ、関連書籍が読み切れないほど出版され、事態がいったいどこまで改善されたのかがほとんど不明なままに、あっという間に忘れ去られて次の新奇な話題へと移っていくのである。確かに貪欲ではあるが、他面では軽薄でもあろう。

 こうした、絶えず新奇なものばかりを追い求めようとする「市場」指向の潮流(それは後に触れる新自由主義の申し子でもある)は、マスコミやャーナリズムの世界にとどまらず、アカデミズムの世界にさえ跋扈していったのであるが、こうした潮流こそが、格差や貧困を広げてきた真因を見失わせただけではなく、格差や貧困の解消に向けての地道で持続的な取り組みを、きわめて脆弱ものに押し止めてきたようにも思われるのである。やみくもな熱狂であり、たちどころの忘却である。

 翻って、筆者の職場である大学に目を転じてみよう。そうすると、格差や貧困をめぐる話題が、どこか余所の世界の話なのではまったくないことがよくわかる。他大学同様わが大学にも、非常勤の教員と非正規の職員が大量に存在しているからである。そして、現実には非常勤の教員の存在無しに大学教育が成り立ち得ない状況にあるにも拘わらず、終身雇用慣行と年功賃金と社会・労働保険に守られた専任の男女の教員と、そうした保障の無い非常勤の教員との間には、きわめて大きな身分上の格差がある。職員の場合も同様であって、非正規の職員は複数の雇用形態に区分されて、労務費コストが最小限になるような「雇用ポートフォリオ」(各種の雇用形態の「最適」な組み合わせのことである)の下で有効に活用されている。

 大学には、高額の教育費負担が生み出す深刻な問題もある。学費に毎月の仕送りが加われば、親の教育費負担は生活を圧迫するほどのものとなる。親の負担が大きくなれば、それを少しでも軽くしようとして、アルバイトに励まざるをえない学生が増加し、かれらのアルバイトに従事する時間は長くなっていく。ローン化した奨学金の支給だけでは、こうした事態を防ぐことは困難であろう。更に付け加えておけば、親の所得水準に規定された「文化資本」の違いが、子供の大学進学を左右するような状況、即ち大学進学率格差さえもが浮かび上がってきているのである。そのことが、『学歴分断社会』(ちくま新書、2009年)の著者である吉川徹が指摘しているのは、まさにそのことである。

 似たような状況は、どのような産業や業種にも当たり前のようにあるのだろう。所属する企業の経営状況や収益指標には関心を払っても、「社会」の有り様を問うことの少なかったわれわれは、格差や貧困を見過したり、あるいはまた止むを得ないものとして「受容」してきたのであるが、その積年の弊によって、今まさに「社会」そのものが衰退の危機(それは社会統合の危機でもあるわけだが)に遭遇しているようにも思われる。

 では、格差や貧困はどのようにしてここまで広がり、また深まったのであろうか。リーマン・ショック時には、「百年に一度」の「アメリカ発」の「金融恐慌」といった誰もが口にする枕詞を添えることによって、あたかも眼前の事態が不可避ででもあったかのような物言いが広がっていたが、それは余りにもいい加減に過ぎていたと言うべきだろう。当時表面化していた労働問題などは、「派遣切り」の急速な広がりを除けば既にそれ以前に出揃っていたのであり、こと改めて登場したようなものなどでは更々なかった。だからこそ、この間猛威を振るってきた労働の分野における新自由主義の改革がもたらしたものを、今改めて問い直してみなければならないのである。