「ものを読む」ということ(三)

 今回の投稿は前回との繋がりを意識して、俳句に関連した話を投稿してみたい。「『ものを読む』ということ」というタイトルではあるのだが、読みたかったのに読めなくなってしまった話を書くことにする。知り合いに多辺田政弘さんという方がいた。いたと過去形で書いたのは、すでに2017年に亡くなっているからである。

 彼とは元同僚の間柄であり、彼が病のために定年前に退職した後も、時々会って四方山話をするような関係が続いた。多辺田さんは、大学では「環境経済論」を担当していたが、彼はそうした専門分野の研究で著名であっただけではなく、俳句についても造詣が深く、俳号を青魚(せいぎょ)と称してたくたくさんの句を詠んだ。青魚は、「鯖(さば)を読む」から思い付いたとのことだった。鯖を青と魚に分けて青魚とし、読むを俳句を詠むにかけたのであろう。

 時々彼から詠んだものを送ってもらったが、なかなかいい句が揃っていた(素人の分際なのに、相変わらず偉そうな物言いであるー笑)。その数がかなりなものになっていたので、句集でも作ってまとめたらどうかと何度か勧めた。しかし、彼にはその気はまるで無かったようで、その断り振りは遠慮と言うよりも拒否に近かった。

 俳句が一瞬一瞬の情景を切り取っていくのに似て、作句の一瞬一瞬を座で愉しめばいいのであって、それを形にして残そうなどと考えるのは邪道だと思っていたのであろう。「邪道」とまで言ったかどうか自信がなくなっているが、少なくとも「自分はしない」と断言していた。

 彼の俳句の愛好者である私としては、まとめておいてくれると便利なんだがと思っていたのだが、彼の持論にも一理あるような気がしたので、それ以上強くは押さなかった。私の手元に残されていた彼の句は、私の性癖やあれこれの複雑な事情が重なってあらかた消え失せてしまっている。今となってみると、やはりあの時もっと強く勧めておけばよかったのかもしれない。

 手元に残っているのは、送られてきた彼の句に対する私の感想めいたものを記した一通の手紙のみである。私はもらった手紙やハガキにはパソコンで返事を書くので(自分の書いた物を残しておきたいからである)、それがファイルに残っていたのである。日付は 2006年3月29日となっているから、今から15年近くも前の手紙である。以下にその手紙の全文を紹介してみる。

 春爛漫の気持ちのいい季節になりましたね。わが団地は一応名前が「メゾン桜が丘」と言うだけあって、なかなか立派な桜の木が何本かあります。そんなわけで、窓辺からちょっとした花見を楽しんでいます。その後いかがお過ごしですか。町田では久方ぶりにくつろいだ話ができてとても楽しかったです。大学ではたまに飲み会に行っても大学がらみの話ばかりで、何となく欲求不満になります。もう少し「馬鹿」な話でゆったりと座談ができるといいんだけどね。

 せっかく受け取った一年間の句作に何のコメントもせずにいて申し訳ない。ようやくゆとりができてきましたので、お待ちかねの「青魚秀句10選」をお送りします。かみさんは早々と返事を出したらしく、そしてまた大先生直筆の素早い返事をもらって、そのことを僕に自慢しておりましたが、小生としては単純に猫がいればいい句だとかいうわけにもいきません。やはりそれなりの読み手としての自負もありますから(エヘン!)。当初は作り手の状況をあれこれ読み取ろうとしていましたが、よくよく思い返してみると、実は選んでいる読み手の状況が浮かび上がってこなくもありません。小生が選んだのは以下の句です。

●「のし餅のぶっきら棒に切られおり」
 正月はいかにも華やいだ時節なのに、そこに何とはなしに違和感を感じざるをえない自分がいる。我が身はぶっきら棒に切られている餅のようでもあるのだろう。正月の醸し出しているもう一つの側面を鋭くえぐり出している。

●「桑植うる紡ぎ織りなす夢あらば」
青魚には珍しくとても綺麗な句のようでもある。昔自分もいろんな「夢」を描いていたなあと懐かしくなり、素直な気持ちになれる。桑-蚕-絹ときて「紡ぎ織りなす」とつながるのか。今となっては「夢」は「夢」のままに終わったのかもしれないが、その方が味わいは深い。

●「花散りて我に帰りし野山かな」
 一時の色とりどりの花に充ちあふれた季節も終わり、また元の静かな山に戻っていく、そんな情景を「我に帰りし」と表現しているところが何とも秀逸。俗世間の栄達などに流されたままではいられない達観した人生観照の目が、いかにも鋭い。

●「春愁やもの食うときの親不知」
 春は明るい季節でもあるが、その明るさにはいささかの愁いが含まれている。明るい春に染まりきれない自分を、「もの食うときの親不知」によって自覚しているのである。心の違和感と身体の違和感をうまくつないでいる。何とも大人の句である。

●「心太つるり可もなく不可もなく」
 夏の暑い日にところてんを食べる。あまりにのどごしがよくつるりと入っていく。そこには、可もなく不可もない中年の日常が感じられる。そうした日常を可としているわけでもなく、また不可としているわけでもない。そのまま受け入れざるをえないのである。

●「われにまだ夢見る力夏の雲」
 わかりやすい句でありすぎるので、選ぶのにいささか躊躇。しかし、あまりの懐かしさで、どうしても選んでしまう。暑い夏、真っ青な空、力強い入道雲とまさに絵のような句。そんな情景に単純に感動し、我が身を奮い立たせようとしている自分が健気か。

●「梅雨冷や北のシマエビ紅点して」
 梅雨時のちょっとした肌寒さを感じさせる日、シマエビを店先ででも見たのであろうか。ほのかな紅が暗くよどみがちな気分を少し明るくしてくれる。ほっとした気持ちがよく表現されている。明るいもののなかにも暗いもののなかにも染まりきれない複雑な自分。

●「北風や言い訳許すはずもなく」
 冷たく強い北風が吹いている。その冷たさや強さを「言い訳許すはずもなく」と表現しているのが並ではない。言い訳をしたくもある自分であるが、そんなことは許されないのだとあえて言い聞かせてもいるようだ。そんな人が僕は好きである。

●「冬葱や意外と甘き私生活」
 長く伸びた真っ白な冬の葱。その凛とした姿に甘さはいささかも感じられない。なのに、すき焼きの鍋にでも入れてみれば、とても甘く旨い。そのズレを「甘き私生活」と冷やかして楽しんでいる。作者の感受性に奥行きの深さが感じられてとてもいい。

●「年流れ埴谷全集店ざらし」
 今の若い人はもう誰も読まなくなったであろう埴谷雄高全集が、御茶ノ水の古本屋で店ざらしに。そこに時代の変化と長い星霜を感じ、感慨にふけっている。「年流れ」には不満が残るが、こうした感慨は同世代に共通するはず。時代の変化に立ちすくんでいる自分がいる。

 以上が青魚こと多辺田政弘さん宛の手紙である。彼の句も、そしてまたその句を味わって記した私の感懐も、何だかやけに懐かしい。彼が元気でいたら、今頃いったいどんな話をしていたことだろう。お互いの老後の道楽を巡って話が弾んだに違いない。私が今のような道楽に耽っていることを知ったら、「祐吉も好きだねえ」などと言ってきっと冷やかしたはずである(笑)。

 彼が大学を早期に退職することになったので、当時学部長をしていた私は、定年退職者に対する献辞の最後に、多辺田さんについても一言触れた。どうしても触れておきたかったのである。その一文も紹介しておく。定年退職者であったある先生が、その一文を褒めてくれたのが何故か妙に嬉しかった。

 またこの同じ時期に、「環境経済論」や「地球環境問題」を担当してきた多辺田政弘教授も専修大学を去る。体調が思わしくなく、納得できる授業を続けることが難しくなったためである。多辺田教授とはほぼ同世代であり、ひところ飲んで騒いだ仲なので、寂しさは思いのほか募る。今後は、懸案の著作をまとめ、陶芸や俳句に加えて料理にまで「芸域」を広げたいとのことである(魯山人にでもなろうというのか?)。多辺田政弘には、金はなくとも「自分に従った」生き方がよく似合っている、そう思ってわが身を納得させるしかないのだろう。

 私の好きな彼の春の一句。
  そう言えば春になくしたものばかり   青 魚