早春の上州紀行(一)-「近代化遺産」を訪ねる旅へ-

 専修大学の社会科学研究所は毎年度夏と春に調査旅行を企画しており、そこに私がよく顔を出していることは、既にブログでも何回か紹介済みである。そして、出掛けるたびに旅日記や紀行文、見聞録とでも言ったような、そんな類のあまりまとまりのない文章を綴ってきた。いまさら言うまでもないことではあるが、研究所の調査旅行は物見遊山ではないのだから、そこには何らかのテーマが掲げられることになる。当然のことであろう。これまでは4回にわたって北前船の航跡を辿る調査旅行を続けてきたのだが、その企画も昨年終了した。そんなわけで、今年からは新しいテーマでの調査旅行となるわけである。どんなものになるのか少しばかり気になってはいた。
 
 私はと言えば、研究所の調査旅行であればどこにでも出掛けて行くほど真面目な人間ではないので、参加するかしないかはテーマ次第のところがある。このところの私の最大の愉しみ事は、老後の道楽として始めたブログを書き継ぐことなのだが、そんな人間からすると、ブログに投稿し続けたくなるようなテーマが設定されるといいのだが、などと勝手に思っていた。企業や産業あるいは自治体の現状などに関する実態調査だと、研究者を廃業した身としては、どうしても文章を綴る意欲が沸きにくい。新しいことに関心を持つことが、何となく億劫になってきているからだろうか。しかしながら、歴史に関わるようなテーマであれば何故だか心が動くのである。生来の性癖とでも言えばいいのか。研究所から送られてきた企画書には、今回の調査旅行の趣旨が次のように書かれていた。

 2021 年度春季実態調査は、「近代化遺産を通して学ぶ社会変化」をテーマとする。JR 高崎駅を起点として群馬県内の近代化遺産を訪問し、近現代における社会変化について考える企画としたい。今回の実態調査は、2020 年度春季実態調査と同様に、できるかぎり「密」を回避しつつ実施したい。個別の企業や事業所への訪問が限定されるもと、施設見学を中心としつつも特色あるプログラムとなるよう企画を検討してきた。

 初日は JR 高崎駅に集合し、著名な世界遺産である富岡製糸場を訪問する。続いて、こんにゃくパークを訪問し上州の歴史と食を実感する。二日目は、「織都」桐生市を訪問し、近代化遺産とまちづくりについて、地元で活動してきた人々の案内のもとで学ぶ。三日目は、現代にも活きる「織」につながる「糸づくり」について碓氷製糸での見学から実態を学び、午後は鉄道遺産を活かした碓氷峠鉄道文化むらを訪ね「鉄分を補給する」企画としている。

 社会科学研究所としては、群馬県は実態調査での「未踏地」であり、コロナ禍での制約が近代化遺産と北関東へ目を向けるきっかけとなった。2022 年度夏期実態調査は、継続企画として桐生地域から足尾や日光方面への企画を構想中である。実態調査について制約の大きい状況が続いているが、多くの先生方に関心を持っていただければ幸いである。

 以上が、研究所から参加予定者に送られてきた企画書の全文である。別に小生のような年寄りの興味や関心などが考慮されて設定された企画だというわけでは、勿論ない。だが、何とも嬉しくなるようなテーマではないか。キーワードは「近代化遺産」であり「社会変化」である。しかも、このテーマに関する調査がこれから先も続くとある。そうであるならば、この機会にあれこれ資料を収集して、読んだり調べたりしながら毎年ブログに雑文を綴れそうな気もしてきた。調査旅行への参加意欲が一気に高まったことは言うまでもない。年寄りなのに(いや、年寄りだからか-笑)相変わらず「現金」なのである。

 そんなわけで、研究所で研究会担当を務めておられる教員の方々に、素直に感謝の意を表することにした。それにしても、群馬が社研の実態調査において「未踏地」であるとか、碓氷峠鉄道文化むらを訪ねて「鉄分を補給する」といった表現には、苦笑を禁じえなかった。何となく秘境にでも出掛けるかのような書きっぷりだったし、「鉄分」の補給といった言い回しにも、遊び心がたっぷりと滲み出ているように思われたからである。私はこうした真面目一辺倒ではない、ゆとりや軽みのある文章が大好きである(笑)。

 上記のような経緯があって、3月の1日から3日にかけて群馬県内をあちこち廻ってきたので(最終日には、群馬と埼玉の県境にほど近い埼玉県の深谷に一人で泊まったのだが、そのわけについては後ほど触れる)、「早春の上州紀行」と題してこれまでのように何回かに分けて雑文を綴ってみることにした。調査旅行に出掛けて移動しながら目的地を順次訪ねていくのであれば、旅日記も旅程に沿って綴っていけばいいので、ある程度書きやすいのだが、一定のエリア内で関連施設をあれこれ見学している場合には、どうもこれまでと同じようには書きにくい。一工夫必要である。もっとも、私のような年寄りが書く雑文なのだから、どう工夫したところでそれほど面白いものになろうはずはないのだが…(笑)。

 群馬県の旧国名は上毛野国(こうずけのくに)であり、その異名が上州あるいは上毛となる。ついでに書いておけば、群馬県の群馬は馬とは何の関係もない。昔の車郡の「くるま」に由来しているとのこと。上州と上毛を群馬の人はどう使い分けているのかよくは知らないが、私にとって馴染みがあるのは上州の方である。では、上州と聞いて人は何を思い浮かべるのであろうか。私の場合は、上州国定村の国定忠治であり、上州新田郡三日月村の木枯らし紋次郎(原作・笹沢佐保)である(そう言えば、上州屋と称する釣具店も近くで見掛けたことがある)。本人は小心者の秩序派に過ぎないので、その結果逆にアウトローに親近感を抱いてしまうのであろうか。あるいは、ただの俗物だからなのか(笑)。

 高崎から両毛線に乗ると、桐生駅の近くに国定という名前の駅があるので、忠治はこの辺りで生まれたのであろう。赤城山からさほど離れていない場所である。役人に追われて赤城山に立て籠もった忠治が、子分たちを前に「赤城の山も今宵かぎり」と語る科白は、よく知られている。紋次郎が生まれたという三日月村は、創作上の架空の村であるが、新田郡は今では太田市に合併されており、駅名に名前を残してはいないものの、実在した村であり町である。忠治も紋次郎も、一昔前であれば誰もが知っていたはずだが、今時の若い人たちにはまったく馴染みのない存在となっているのかもしれない。

 1970年代初頭の木枯らし紋次郎人気にあやかって、太田市にはテーマパークまで作られたらしいが、今はどうなっていることやら。紋次郎に倣って、「あっしにはかかわりのないことでござんす」と言うしかないのだが…。群馬では新田と言えば新田義貞が想起されるようである。だが、こちらの人物には私はまったく関心が沸かない。楠木正成なども同じである。両者ともに歴史上の人物として著名ではあるが、私にとってはどうでもいい人物に過ぎない。もしかしたら、昔からの皇室嫌い、皇国史観嫌いと関係があるのかもしれない。こちらが狷介で偏狭な人間なので、それもやむをえなかろう(笑)。