夏の花・夏の雲
今日は9月11日、天気は雨、気温は21度。秋雨前線が停滞しているとかで、このところ連日雨の日が続いている。猛暑日が続くのも困りものだが、ここまで一気に冷え込むと、何だか調子が狂ってくる。蝉の声も聞こえなくなり、虫の音に替わった。先日までは半袖のシャツに半ズボンという出で立ちだったが、ここまで冷え込んではそうもいかなくなった。この長雨で、今年の夏はすっかり終わることになるのだろう。こんな日には、行く夏を惜しんで夏の出来事を振り返ってみるのも悪くはない。
今行く夏と書いたが、逝く夏という表現もある。前者は季節の移り変わりを淡々と表現しているだけだと思うが、後者であれば二度と戻ることのない想い出深い夏といった趣がある。ちょっとばかりドラマティックなのである。今年の夏は福島に出掛けて思い出の地を巡ったので、その夏が過ぎることを行く夏ではなく逝く夏と表現したくなる。そしてまた、この夏には大学時代の友人であるHが亡くなり、さらには労働科学研究所時代の先輩であるIさんも亡くなった。そんなことも逝く夏の思いを深くしているに違いなかろう。
雨の日に家に籠っていて、この夏私がどんなことをして過ごしていたのか振り返ってみることにした。ブログのタイトルを「夏の花・夏の雲」としたのは、この夏は足繫く散歩に出掛け、花や雲の写真をよく撮ったからである。夏に花など咲いているのかと最初はいぶかっていたが、歩いてみると結構咲いている。花壇があれば別だが、そうでなければ公園に咲いている花は少ない。だが戸建ての家の玄関先には鉢植えの花がよく飾られている。当初の散歩コースは近くにあるあちこちの公園だったが、何回か出掛けていると撮る写真もなくなってくるので飽きてくる。
そこで、散歩コースを公園から住宅街に切り替えてみた。家々が建ち並んだだけのところを散歩するのは面白みに欠けそうだが、花を探して歩いていると意外にも飽きがこない。近隣には団地も多いが住宅街もたくさんある。知り合いに言わせると、団地は現代の長屋のようなものなので、まあそれほど面白みはない。しかしながら住宅街に住んでいる人には、花好きの人が多いようで玄関先に花のある家が多い。そんなわけで、この夏は花の写真をたくさん撮った。
私は花自体を撮りたいと言うよりも、花の咲いている家を撮りたい方である。好きなのは風景の中の花である。スマホをかざせば花の名前がわかる機能があることをしばらく前に知ったが、名前を知ることにはそれほど熱心ではない。向日葵やユリ、朝顔などは当然として、日日草、マリーゴールド、ペチュニアぐらいであれば知っている。立ち木では百日紅(さるすべり)か。散歩していて、この木を植えている家が意外に多いことも知った。
住宅街を歩いていると時にユニークな意匠の家を見ることがあり、家という建築物にも興味が沸くようになった。スタンダードな家とは違ったところが面白いのである。どんな年齢どんな職業の人が、どんな考えでこうしたユニークな家を建てたのか、そんなことを思い浮かべていると飽きがこない。旅に出ると、ごちゃごちゃした路地裏や廃屋などをよく撮るが、都会にはそうした場所は少ない。ニュータウンなどと称しているところであれば、尚更であろう。整ってはいるのだが深みがないのである。旧くなれば少しが味が出てくるのかもしれない。
それともう一つ付け加えておきたいのは、このところ雲の写真もよく撮るようになったことである。雲は季節ごとにその表情を変える。正岡子規は、「春雲は綿の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如し」と書いたようだが、確かにそんな気もする。私がとりわけ好きなのは夏の雲である。「岩の如く」に力強さを感じるので、見上げているこちらが元気になるのである。それとともに、幼き頃の夏休みの想い出を想起させるからである。
夏の花を探して散歩しているうちに、突然原民喜の小説「夏の花」を思い出した。この小説は、作者自身の広島での被爆体験をもとに描かれており、原爆投下直後の地獄のような惨状を淡々と描いたものである。「原爆文学」の原点として今でも高い評価を受けているから、読まれた方も多いかもしれない。彼自身は被爆から5年後に自ら命を絶った。タイトルにある「夏の花」は、この作品の冒頭に登場している。そこだけ紹介してみよう。
私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。ポケットには仏壇からとり出した線香が一東あった。八月十五日は妻にとって初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑わしかった。恰度、休電日ではあったが、朝から花をもって街を歩いている男は、 私のほかに見あたらなかった。その花は何という名称なのか知らないが、黄色の小辨(こべん)の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかった。
炎天に曝されている墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々しくなったようで、私はしばらく花と石に視入った。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納っているのだった。持って来た線香にマッチをつけ、黙礼を済ますと私はかたわらの井戸で水を呑んだ。それから、饒津(にぎつ)公園の方を廻って家に戻ったのであるが、その日も、その翌日も、私のポケットは線香の匂いがしみこんでいた。原子爆弾に襲われたのは、その翌々日のことであった。

