早渕川の源流を探して

 我が家の場合、朝食は私が作り夕食は家人が作るといった分担が、いつの間にか出来上がっている。私が作る簡単な朝食など、夕食と比べれば作るなどと言えたようなものではないが、それでも、そんなふうに周りに言うと意外にも感心される。そのぐらい男は食事に無関係なことが多いからなのであろうか。朝食を準備する際の負担があまり感じられないのは、その内容が基本的に同じだからである(笑)。勿論時々に変化はするが、その変化は僅かなものなので、さて何を作ろうかとあらためて考える必要はない。

 では昼食はどうしているのか。昼食はそれぞれが勝手に、家であるいは外で食べている。雨が降った時やブログに熱中している時は、家で簡単に済ますことになるが、そうでなければ外で食べることも多い。そうしないと、一日中家に閉じこもることになりがちだからである。昼食を食べに電動自転車に乗ってあちこちの飲食店に出掛けることもあるし、買い物に出掛けたついでに外食することもある。その場所はいろいろだが、いずれにしても、外に出れば日々の暮らしに変化が生まれる。例え小さくても、その変化が愉しみになったりもするのである。

 私のお気に入りの場所の一つに、市営地下鉄のセンター南駅とセンター北駅の間にある蕎麦屋がある。比較的いい値段の店なので、たまにしか顔を出さない。しかし、たまにだからこそ何時も美味しいということもあるのだろう。この店は、じいさんとばあさんが二人でやっている店だということもあって、昼の11時から13時までの2時間しか開いていない。何とも風変わりな店である。出掛けたときは何時も天ざるを注文するので、メニューを開ける必要もない(笑)。昔ゼミの卒業生にこの店を教えてもらったが、その時以来の客である。

 今年の夏の初めに、この蕎麦屋で昼食をとり、自転車に乗って帰ろうとして早渕川に架かった境田橋を渡った。その時ふと川の土手を走ってみたくなった。特段の理由はない。たんなる気まぐれである。旨いものを食べて満足したし、天気も上々だったし、閑だったからであろう(笑)。早渕川の土手を上流に向けて走り始めた。人も自転車もほとんど通らないし、暫く走っているうちにのどかな田園風景が現れたので、何とも爽やかな心地であった。

 こんなところに緑一面の田圃が広がっているとは思いも寄らなかった。さらに走っているうちに、何処まで辿れるのか気になり始め、行けるところまで行ってみたくなった。クルマではなく電動の自転車だからこそできる冒険である。細い道でも走ることができるし、何処にでも停まれるのが素晴らしい。しかしながら、そのうちに土手が切れて川を見失ったので、それ以上の探索は諦めてあちこち彷徨いながら自宅に戻った。

 そんな体験をしたものだから、早渕川の源流が何処なのかが気になり、地図を広げて調べてみた。そうしたら、源流はあざみ野駅から5つ目ほどのところにあるバス停のすぐ側のようなのである。山があるわけでもないし、池があるわけでもない。どうしてこんなところが源流なのか不思議であった。そして、どんなふうになっているのか見てみたくなった。年を取っても気持は相変わらず少年のままである(笑)。映画『スタンド・バイ・ミー』(監督ロブ・ライナー、1986年)の年寄り版とでも言おうか(笑)。そんなわけで、何時か小僧たちを連れて探索してみたくなったのだが、その機会は程なくやって来た。

 9月の下旬に二人を連れて先の境田橋に向かい、前回と同じように早渕川の上流に向かった。季節は初秋だというのに、この日は30度を超える真夏日で酷く暑かった。前回緑一色だった田圃はもう黄色に染め上げられていた。美しい実りの秋である。土手からは小僧たちが住む団地も見えた。川には鯉が泳いでいたので、お菓子の残りを投げてみた。二人は止めた方がいいと言っていたのだが…。水面のお菓子は鯉が、途中の土手に落ちたお菓子は鳩が食べた。そんなことをして遊んでいたら、直ぐ近くに「魚や鳩にエサをやらないで下さい」と書かれた看板があったので、小僧たちは大笑いしていた。「監視カメラで撮影しています」とまであったので驚いた。何とも息苦しい時代ではある。

 あまりの暑さなので、持参した水筒の水は直ぐになくなった。仕方がないので何度も自動販売機にお世話になった。冷たい水やお茶が直ぐに手に入るので、この時ばかりは自動販売機様々であった。土手の側にあった自動販売機の脇には、壊れかけたベンチまで置いてあった。年寄りの私には、何だか心憎いほどの気配りのようにさえ思われた(笑)。毎度のことだが、2人は何を買うのか、どう分けて飲むのかで大騒ぎである。3人で腰掛けて冷たい飲み物をごくごくと回し飲みした。息を吹き返すとはこうしたことを言うのであろう。

 早渕川は途中の幹線道路や高速道路付近では暗渠となるので姿を消したが、あざみ野駅に向かって歩くうち、また地表に現れた。しかしもう土手と呼べるようなものではなく、フェンスのある細い川縁に変わっていた。川幅が大分狭くなっていたからである。あざみ野駅の側で遅い昼食をとり、今度は駅から向ヶ丘遊園駅行きのバスに乗って目的地の「保木(ほぎ)入口」に向かった。バスを降りて近辺を探しているうちに、かなり細くなった早渕川を見付けた。そこをさらに遡ると、田舎の小川のようになってきた。

 この辺り一帯は小高い丘となっており、今のように開発されるまでは木々の多い小山だったのかもしれない。調べてみると、「保木」とは崖の意味だとのことだから、恐らくそうだったのであろう。近くで農作業をしている人に尋ねたところ、早渕川の源流はその先の排水溝ですよと教えてくれた。その排水溝の側には崖があり、その崖には小さな穴が沢山あいていて、その穴から絶え間なく水が滴り落ちていた。この丘には地下水が流れているのであろう。ついに源流を発見したのである。難行苦行の末に辿り着いたので、何だかやけに嬉しかった。暑さですっかり乾いた排水溝が、崖の下まで来て濡れ始めそして流れ始めるのである。その境目が夏の光に照らされて鮮やかな対照をなしていた。

 帰りは、バスで来た道を歩いてあざみ野駅に向かうことにした。途中にあった覚永寺と玉泉寺に立ち寄ってみたかったからである。歩いていると、青々と繁ったサツマイモ畑や里芋畑があった。畑の緑もじつに美しい。そして畑の先には秋の空が広がっていた。午後の日差しは暑さを増したかのようだったが、雲だけはもう秋のものだった。覚永寺は幹線道路からかなり離れたところにあったので、落ち着いた古刹かと思ったが、特に見るべきものもない平凡過ぎる寺だった。一休みできるような木陰さえなかったので、残念であった。

 玉泉寺は小さなお寺だったが、木陰となった石段で一休みできた。時折涼風が流れていたので、疲れた身体を休めるにはちょうどいい場所だった。小僧2人に、家人の祖母がよく言っていたという「一風千両」という言葉を教えてやった。静かで心地のいい時間だった。玉泉という言葉はもともとは清らかな泉といった意味のはずだが、比喩としては何かが湧き出る源という意味でも使うらしい。早渕川の源流を探す旅の終わりに相応しい場所だったかもしれない。あざみ野駅に戻って、駅のパーラーでアイスクリームを食べた際に歩数計を見たら、何と19,000歩近くに達していた。これまでの最高記録だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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