年が明けてから
年が明けて2020年の新年を迎えた。今日は6日だからそろそろ正月気分も抜けつつある。暮れに家人がインフルエンザに罹ってダウンしたので、一人でテレビを見ながら年越しの料理を食べ、元日の雑煮の準備をした。このところ料理にも興味が沸いて少しばかり精を出していることもあって、料理を作ることに対する「壁」が低くなってきたような気がする。それほど苦にはならなかった。インフルエンザが私にうつらなかったのが、不幸中の幸いだったのかもしれない。
大晦日に見たテレビは、競馬の番組とクラシックの番組である。何とも奇妙な取り合わせではある(笑)。競馬に関して言えば、これまでに馬券を買ったこともないし、競馬場に出掛けたこともない(学生の頃に福島競馬場でアルバイトをしたことはある)。そんな人間のくせに、馬がゴールを目掛けて疾走する姿を美しく感じ、いたく感動させられるのである。あれは走ると言うよりも、駆けるあるいは跳ぶと言った方がいいのかもしれない。
昔見た山田洋次監督の「学校」(1993年)で、夜間中学に通う田中邦衛演ずるイノさんという人物が、「オグリが」、「オグリが」と熱く語るシーンが思い出された。イノさんは、自分の果たせなかった夢を、オグリキャップに託していたのかとも思う。ディープインパクトの勇姿も印象深かった。圧倒的な強さである。高校時代の友人二人も昔競馬が大好きだった。あの頃彼らは何を考えていたのだろう。地域の知人にも競馬ファンがいる。今度どんな思いなのか聞いてみることにしよう(笑)。
ところで、今年の年賀状には次のような文章を書いた。いつもよりもあっさりした年賀状になった。「これまで、年賀状に大分長い文章を綴ってきた。自分の思いを吐露する機会が、あまりなかった所為もあったろう。しかし、昨年の8月からブログらしきものを始め、毎週のように雑文を書くようになったので、わざわざ年賀状にあれこれと吐き出す必要もなくなった。/春になれば退職後3年目に入るので、隠居暮らしも徐々に板に付いてきたような気がする。今取り組んでいるのは、「敬徳書院」の店主としてブログを綴り、冊子を纏めたりするだけではなく、老後の「運動」不足を解消するために、地元の社会「運動」に顔を出し、酒の肴に旨いものを食べたくて、地域の料理教室にも通い始めた。いずれも老後の道楽である(笑)。/この一年が、皆様にとって良い年となりますことを、心から願っております。」
元旦には、息子が久し振りに顔を出した。元気にやっているようなので何よりである。翌2日は娘が坊主二人を連れてきた。新年の挨拶かたがたお年玉の集金に来たのである(笑)。次の日の3日には、私の気分転換も兼ねて娘と坊主二人を浅草に誘ってみた。お好み焼きやもんじゃ焼きを食べ、仲見世や新仲見世の通りをぶらつき、煎餅や芋羊羹やアイスクリームを食べ歩いた。坊主二人は、刀や手裏剣や忍者グッズに興味があるらしく、嬉しそうな様子だった。上の坊主が、「あれ、日光で買ってきた修学旅行のお土産がここにも売ってるよ」と驚いていた(笑)。浅草寺での参拝は人混みの多さに圧倒されてカットした。そもそも、参拝にそれほどの興味はなかったのだが…。
通りでは、「東京大衆歌謡楽団」が昭和の懐メロを歌っており、大勢の年寄りやそれに準ずるような人々が輪を作っていた。私と同じような世代か、それよりも少し上といった感じである。そんな楽団の存在を私はこの日初めて知ったが、なかなかの人気者らしい。私の住む近くにあるセンター北やセンター南のような、新しくて綺麗ではあるけれど何とも薄っぺらな街にはまったく似合わないが(因みに、最寄り駅の「都筑ふれあいの丘」などという駅名も、私は好まない)、下町には実によく似合っている。
4人で立ち止まってしばらく聞いていたが、春日八郎の「お富さん」や岡晴夫の「憧れのハワイ航路」といったよく知っている曲が歌われ、フィナーレを飾ったのは小坂一也の「青春サイクリング」(1957年)だった。この曲を作曲したのが、あの古賀政男だとは何とも意外だった。周りの聴衆は 手拍子をたたき一緒に歌っている。楽しそうである。嬉しそうである。皆苦労の多い人生を歩んだに違いないはずだが、その苦労も忘れて、自分の若かりし頃のことを懐かしく思いだしていたのであろうか。近くにいたおばさんは、嬉しさ余ってなのか下の坊主にクッキーをくれた(笑)。
私はと言えば、そんな思いで歌を聴いていたからなのであろうか、何の脈絡もなく井上陽水の「人生が二度あれば」が頭に浮かんだ。その三番の歌詞には、「若い頃のこと」を「夢見るように」「想い出してる」とある。人生は二度とない。先の見えた父と母は、過ぎ去った過去を夢見るように想い出すことになるのであろう。なにやら感傷的で切ない気分になった。
父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃のことを 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
今年の正月は連日いい天気が続いた。そのため、住まいのベランダからは毎日のように富士を望むことができた。霊峰富士を崇めるような気などまるでないが、丹沢山系の背後に聳える真っ白な富士の姿は美しかった。富士を眺めながら、「志の気高さ」と「心映えの美しさ」を忘れぬように最期まで生き抜いてみたいなどと願った。せめて正月ぐらいは、こんなたいそうなことを願っても罰は当たるまい(笑)。