「裸木」第6号を手にして

 今月9日の夕刻に、参加していた社会科学研究所の調査旅行を終えて帰宅した。人影もまばらな日光では、すでに秋色が山の木々を覆い始めており、半袖シャツでは涼しく感じるほどだった。だが、戻ってきた東京は出掛ける前の夏の日差しのままであった。本格的な秋の到来には、もうしばらく時間がかかるのであろう。家に帰還したのは夕刻であったが、それでもまだ十分に明るい。帰りに日光から乗った電車はスカイツリーのすぐ側を通ったので、その雄姿を初めて間近で仰ぎ見た。想像以上に立派なタワーであったが、今の私にはそれだけでもう十分であり、上ってみようなどといった好奇心はとうに失せている。

 夕食後にパソコンを開いてこの間届いたメールを眺めてみた。4日ほどパソコンを開かなかったので、それなりにメールは溜まっていたが、確認しなければならない大事なものなど、ごくわずかである。「支払い方法を更新してください」とか「カードの利用を一時停止させていただきました」といった、どうでもいい怪しげなメールばかりがずらりと並んでいる。しかしそれにしても、これほどまでに迷惑メールが届く社会は、もはやそれだけで病んでいるのかもしれない。

 それはともかく、そのなかに「裸木」の第6号が明日届くとのメールがあった。ようやく出来上がったことを知って、少し嬉しかった。メールで知らせがあったように、翌日大分重たい荷物が我が家に届いた。毎年私の誕生日前に冊子を作成することにしており、今年も何とか間に合ったというわけである。完成した冊子を手に取って撫で回してみた。いやはや何とも子供じみた所業である(笑)。いまさら言うまでもなく、冊子の作成などまったくの老後の道楽ではあるのだが、その道楽を続けていくためには何らかの縛りが必要である。毎週のようにブログを書き、それを元にして毎年冊子を作るというのが、今のところの私の縛りである。

 冊子が出来上がって嬉しいのはいつものことだが、今年は格別な思いもあった。何故かと言えば、この9月でいよいよ後期高齢者となり、またこの間病院通いも始まっていたからである。他にも今年は特別なことがあった。前号まで印刷と製本を頼んでいたのは、エスコムという昔からの知り合いの会社だったが、そこが店仕舞いすることになった。そこで、これまでの仕事をエスコムの犀川さんから娘さんのYさんに引き継いでもらい、Yさんを間に立てて別の会社に印刷と製本をお願いすることにした。最初はどうなることかと少しばかり心配したが、これまでと同じように対処できるとのことだったので、ほっとした。

 簡便なネット印刷にすれば、安くそしてまた早くできそうであったが、それでは今のような冊子の装丁を維持することは難しいとのことだった。シリーズ「裸木」と称していることもあって、私としてはきちんとした同じスタイルの冊子を作りたかった。道楽なのだから、ただ安ければいいとは思っていなかったということか。その旨をYさんに伝え、何度か打ち合わせを繰り返して、ようやく完成までこぎ着けることができた。

 いつもいつも誤植が見つかるので、今回はそれをなくしたいと思い、入念に校正を繰り返したつもりだったが、それでも誤植はあった。しかもあろうことか目次にである。それを指摘するメールを知り合いからもらって、初めて気が付いた(笑)。その後他にも何カ所か見つかった。何とも迂闊であり粗忽である。そんなわけで、今回も誤植のない冊子を作ることができなかったので、その愉しみは次号にとっておくことにした。それにしても、誤りのないものを作るというのは大変な作業である。

 Yさんとの打ち合わせの過程で、「ページが空くので、写真を入れてはどうでしょうか」との提案があった。打ち合わせの際の雑談で、写真に興味があるなどと語ったからであろう。最初は断ったのだが、「2ページを空白にしても写真を入れても値段は変わりません」とのことだったので、貧乏性の私は、それならと空いたページに写真を2枚入れてもらうことにした(笑)。

 今回の冊子のタイトルは『遠ざかる跫音』である。「足音」ではなく「跫音」と旧漢字にしたのは、抽象化されたイメージを大事にしてみたかったからである。簡単に言えば格好を付けたのである(笑)。このタイトルについては、「寂しすぎる」とのコメントもあった。そうかもしれない。載せることにした2枚の写真であるが、海の果てと空の果てを思い描くことのできる写真を選んでみた。今回の出来映えに満足したので、それに味を占めて次号にも写真を載せるつもりである。「はしがき」には以下のような文章を書いた。

 今回の裸木第6号のタイトルは、「遠ざかる跫音」としてみた。このところ、身近な人が何人か亡くなったりしたこともあって、そうした人々のことを想い出すことが多くなってきたからである。そこには、もうすぐ後期高齢者となる私自身の気の弱りのようなものも、潜んでいるに違いなかろう。今回も、ブログに書いた文章を整理して、これまでの各号と同じように三部構成としてみた。毎回同じスタイルだと気持ちが落ち着くし、何となく作りやすく感じられるからである。

 第一部は「『わが町』から」と題して、住処に関わりのあるあれこれの出来事を載せてみた。どれ程のことが書かれているわけではないが、その中では「横浜市長選挙騒動記」などは少しは面白く読んでもらえるかもしれない。続く第二部は、「店主の日録から」と題して、あれこれの身辺雑記を纏めてみた。それなりにではあるが、冊子のタイトルを意識してはいる。私としては読み物らしき文章を収録したつもりであるが、果たしてどんなものであろうか。かなり愉しく書けた気がするのは、「『飲み会』三態」である。愉しくと言うのは、面白可笑しくではなく、文章にあまり淀みが生じなかったという意味である。内容は思いの外ほろ苦いはずである。

 最後の第三部は、あれこれ調べながら書いた旅日記のような文章を載せてみた。たんなる旅日記には終わらぬように、少しは工夫を凝らしたつもりであるが、果たしてどうだろうか。私は毎年のように専修大学社会科学研究所の調査旅行に同行させてもらっており、その度ごとに旅日記を綴ってきた。「仲春の加賀・越前・若狭紀行」は、2021年の旅日記である。そして、「『「敬徳書院』」の扁額のこと」は、私が勝手に店主を自称している「敬徳書院」の来歴のようなものを、纏めたものである。

 何時も想うことだが、老後の道楽で作られたようなものを、喜んで読む人などごくごく僅かであろう。当然である。私にとっては、ブログに文章を綴ることも、それらを整理して冊子にすることも、自分の性に合っていていつまで経っても飽きないのである。不思議と言えば不思議であるが…。自分自身の楽しみで作っていることを、これからも忘れずにいたいと思っている。

PHOTO ALBUM「裸木」(2022/09/17)

酷暑の夏に(油壺にて)

 

少年時代(油壺にて)

 

夏の思い出(横須賀にて)