2025年1月26日 / 最終更新日時 : 2025年1月26日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(七)-大原孫三郎と労働科学研究所のことなど(上)- 水島から倉敷に戻ったこの日は、調査旅行の最後の晩だということもあって、地元の居酒屋で皆で楽しく飲み食いした。水島の続きから言えば、朝鮮焼肉にビールというのも悪くはないと思ったが、折角瀬戸内に来たのだからということで、魚 […]
2025年1月21日 / 最終更新日時 : 2025年1月27日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(六)-水島の公害に挑んで(下)- 今回の水島を巡る研修では、みずしま資料交流館(あさがおギャラリー)を訪ねて、福田憲一館長からレクチャーを受けた。話のタイトルは、「『一医療従事者』が取り組んだ『環境問題』の経験から~患者の想いに寄り添って~」となってい […]
2025年1月13日 / 最終更新日時 : 2025年1月17日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(五)-水島の公害に挑んで(上)- 水島にコンビナートができあがったことによって、地域社会には大きな変化が現れた。先に紹介した「みずしま財団」の『水島の公害と未来』によれば、魚が湧いて出てくるとまで言われた海が汚染され、1961年ごろから水島沖でとれる魚 […]
2025年1月7日 / 最終更新日時 : 2025年1月7日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(四)-水島コンビナート瞥見- 三日目は、今回の調査旅行のメインとなる水島地区の見学である。倉敷の美観地区から僅か20キロほどの距離であるが、両地区の様相は余りにも対照的である。この日はじつに盛りだくさんのスケジュールであった。出掛けた先を列挙してみ […]
2025年1月1日 / 最終更新日時 : 2025年1月13日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(三)-旧野崎邸と下津井を訪ねて- 年が改まって、今日は2025年の元旦である。このところ好天が続いていることもあって、今朝も雲一つない冬晴れである。何とも清々しい。この年齢まで生きてくると、新年を迎えたからと言って何か気持ちが改まるようなこともない。い […]
2024年12月25日 / 最終更新日時 : 2024年12月25日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(二)-繊維の「産地」児島地区へ- 翌日二日目は、朝早くホテルを発って瀬戸内市にある備前長船(おさふね)刀剣博物館に向かった。素人の私には何処に刀剣の需要があるのか分からなかったが、同行のメンバーによれば、どうもあるところにはあるらしい。刀剣にはその精巧 […]
2024年12月18日 / 最終更新日時 : 2024年12月19日 keitokushoin 旅日記 処暑の岡山・倉敷紀行(一)-日本遺産のまち・倉敷へ- あれだけ厳しかった残暑の名残りなど跡形もなく消え去り、師走に入って冬が大分が深まってきた。9月の初旬に社会科学研究所の調査旅行で倉敷に出掛けてきたが、処暑の頃のあの暑さが嘘のようである。調査に出掛けてからまだ3ヶ月程し […]
2024年12月9日 / 最終更新日時 : 2024年12月9日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(完)-旅の終わりに- 長らく書き継いできた「盛夏の北海道アイヌ紀行」も、ようやくにして最終回まで辿り着いた。アイヌに関して何も知らなかった私のような人間が、一体何を書いたらいいのか当初迷わないでもなかったが、旅の前後に買い込んだ何冊かの本や […]
2024年12月4日 / 最終更新日時 : 2024年12月6日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(九)-啄木と武四郎のこと- 今回のブログでは、釧路と繋がりの深い二人の人物に触れてみることにした。その二人とは、石川啄木と松浦武四郎である。まずは石川啄木(1886~1912)から。釧路では、釧路市立博物館の見学の後、旧釧路新聞社の社屋を復元した […]
2024年11月28日 / 最終更新日時 : 2024年12月4日 keitokushoin 旅日記 盛夏の北海道アイヌ紀行(八)-帯広から釧路へ- 帯広では、馬の資料館を見た後帯広百年記念館にも立ち寄った。この記念館は広々とした公園の敷地内にあった。ここで注目すべきは、開拓当時の様子が詳しく紹介されていたことであろう。この私でさえ先人たちの並大抵ではなかった苦労が […]