様々な出会い、様々な人生(中)
前回の古本屋の話の続きである。店の中にも掘り出しものがあるかもしれないと思い、せっかくだからと入ってみた。そうしたら、中はいわゆるエロ本と呼ばれる成人雑誌やアダルトビデオだらけだったので、びっくりした。客が店内に入りやすいように一工夫されていたということか。さらに驚いたのは、ちらほらといた客のほとんどが私のような高齢者とおぼしき人々だったことである。若い女性の裸の写真を年寄りが眺めている光景を、できたらカメラに収めてみたかったが、それは無理というものだろう。店主が年寄りのインテリのように見えたのも何だか妙だった。
客が年寄りだけだったのは、当然だったかもしれない。よくよく考えてみれば、このインターネットの時代に若い男たちがわざわざエロ本屋に顔を出すはずもなかろう。若い時分であればこの私も雑誌を手にとって広げたはずだが、今となってはその元気すらない。店にいた高齢者の面々は、年はとっても性欲だけはしっかりと保持しているようだが、こうしたところにたむろする彼らの人生とは、果たしてどんなものだったのであろうか。今更ではあるが、残された人生に幸多かれと祈るばかりである。
神田の古本屋での奇妙な体験があったからなのか、「高齢社会の性を考える」とサブタイトルのついた『熟年恋愛講座』(文春新書、2004年)まで読むことになってしまった。著者の小林照幸については、『父は、特攻を命じた兵士だった』(岩波書店、2010年)の著者として知っていただけだったが、そんな本を出すような人だから、もしかしたらこの本も面白いかもしれないと思ったのである。読んでみて一驚した。高齢者たちの性は枯れるどころの話ではない、真っ盛りである。高齢者施設を舞台にした「老いらくの恋」は、慎みなどそっちのけで何とも生々しいのである。あまりにも生々しすぎて、いささか鼻白んだりもしたわけだが…。
私は地元の年金者組合の組合員になっているが、最近受け取った組合のチラシに、80代の半ばかと思われるFさんが次のようなことを書いていた。ご自身の回顧談にあった一節である。「基本的本能である食欲と性欲。私の性欲は、男性の機能は衰えても興味そのものは衰えません。女体の絵画や写真には魅かれます。男女のセックスには興味が薄れ人間の身体の線の美しさに興味が増しました。女性への憧れは内容が変化しただけで基本的には衰えていません。女性との対話や飲食は特に楽しいです」。何ともあっけらかんとした率直な物言いなので、こちらにも驚いた。そのFさんは最近自宅で転倒し、頭に大怪我を負ったとのことだった。早く元気を回復して、政論だけではなく性論の続きを開陳してもらいたいものである。
6月に入ってから団地の知り合いとの飲み会もあった。気心の知れた人たちとたわいもない話をしながら酒を酌み交わすのは、なかなか愉しいものである。しかしながら、年をとってくるとどうしても一人ひとりの話が長くなっていく。俗に言う話題泥棒が横行するからである。語りたいことがたくさんある人ほど、聴いてくれる人は少なくなりがちである。聞かされ続けることに対する警戒心が生まれるからである。話の面白さは参加者どうしの遣り取りにあるはずだが、それがうまくいかなくて、聞き続けなければならない羽目に陥ることがよくある。何とも残念である。周りをよく観察していればわかることだが、若いときの弱点は高齢者になるとやたらに増幅してくる。己自身を知ることがなければ、バカ老人への道をまっしぐらに進むしかない。
話のなかでご本人の口から出たのだが、モザイク画の作家であるGさんが、なかなか大変な病に冒されているとのことだった。もう元気になるというわけにはいかないような話だったが、深刻ぶって話をしたわけではない。その落ち着きに感銘を受けた。少しでも長生きしてもらいたいと思ったのは、私だけではなかろう。このGさんは、高齢者のあるべき姿を生身で示しているので、私にとっては憧れのような存在だった。芸術に身を捧げてきた人は、自分の人生をいったいどんなふうに閉じようとしているのであろうか。今度会ったらそんな話を是非とも聞いてみたい。
私は近況報告のついでに、この間頭を悩ましてきたことに触れてみた。セクハラおやじやエロぼけじじいの予備軍とも言えそうな人の話である。その人にも同情の余地がないわけではないが、妙になれなれしく妙に接近しすぎであり、そしてまた妙にはしゃぎすぎることが気になるのである。分からないで無自覚にやっているのか、それとも分からない振りをして自覚してやっているのか。そんな曖昧模糊とした慎みを忘れた振る舞いにも、その人の若い頃からの人生が見え隠れしているのではあるまいか。恐らく同じようなことを昔からやってきたのであろう。
先の勢古は最近『バカ老人たちよ!』(夕日新書、2024年)という本を出した。それを読むと、世間にはセクハラおやじやエロぼけじじいの正規軍がおり、さらにその裾野には、予備軍がうじゃうじゃしていることがよく分かる。かくいう私も予備軍の一人なのであろう。別に枯れなくてもかまいはしないが、高齢者もまた慎みやたしなみや落ち着きの片鱗ぐらいは必要だ、そんな自覚ぐらいは持たねばなるまい。そうしたものは一体どこへ行ってしまったのであろうか。どうにかならないものかとも思うが、予備軍という存在もまたその人自身が選び取った人生なのだから、私などがぼやいたとしてもどうしようもない。もっともこの私にはぼやく資格もないわけだが。
この本には、「女性がひとりでいるところ」には、「旅先でも本屋でも喫茶店でも飲み屋でも、寄ってくる男はいる」。「なかにはいい人もいる、などとつまらんことを考えずに、ほとんどが『あわよくば…』と舌なめずりをしているバカ男だと思ったほうがいい。相手が老人だからと信用してもいけない。なんの人間的成長もない、ただのエロじじいの場合が少なくないからである」などとも書かれていた。自分もそんな人間のひとりだからなのか、書かれていることが分かりすぎるほどよく分かり、思わず笑ってしまった。このブログの読者にもそしてまたその周りにも、こうした人種の一人や二人は必ずやいるに違いない。