春を探しに(下)
冬晴れの日が続いたので、このまま春になるのかもしれないなどと淡い期待を抱いたりもしたが、そうはならなかった。寒波が襲来したとかで何日かやけに寒い日が続いた。寒の戻りというものであろうか。2月8日は総選挙の投開票日だったが、その前日から雪が舞い始めた。朝目を覚ましたら、外は一面の雪景色である。5~6センチは積もっていただろうか。前回雪が積もったのはいつのことだったか。長いこと見ていないような気もしたので、やたらに新鮮に映った。
雪によって周りの景色は文字通り一変していた。白と黒のみの世界が墨絵のようであまりにも美しい。幽玄の美とでも言おうか。こんな機会を逃す手はない。朝食後カメラを鞄に入れて早速写真を撮りに出掛けた。雪がまだ降り続いているときに年寄りが外に出るなど、物好きの極みではある。寒さで風邪をひいたり、滑って転んだりしないように気を付けつつ、近隣を歩いてみた。シャッターをたくさん切ったお陰か、何枚かいい写真が撮れたような気がした。
雪から連想したことだが、誰もが知っている童謡に「ゆき」(作者不詳)がある。わざわざ触れることもなかろうとは思ったが、念のために歌詞を掲げておく。
一 雪やこんこ霰やこんこ。 降っては降ってはずんずん積もる。 山も野原も綿帽子かぶり、枯れ木残らず花が咲く。
二 雪やこんこ霰やこんこ。降っても降ってもまだ降りやまぬ。犬は喜び庭駆けまわり、猫は火燵で丸くなる。
年寄りであれば、きっと猫派が多いのであろうが、写真を撮りたいと思っている私は違う。犬派である。何とも子供じみているので、自分でも笑ってしまう。ところでこの童謡だが、「雪やこんこ」ではなく今の今まで「雪やこんこん」だとばかり思っていた。この間ふとしたことが切っ掛けで、文・池田小百合、絵・内田正泰の『童謡・唱歌』(春陽堂、2004年)を手にすることになった。ブログの文章を綴るためにネットで調べていて、この本の存在を知り購入したのである。歌の背景を様々な資料にあたって実に丹念に調べ上げており、著者の仕事ぶりが並々ならぬものであることがわかる。興味深く読んだ。
それによると、「こんこ」は雪が降り積もる光景を描いた言葉ではないとのこと。「国文学者の池田弥三郎によれば、この語源は、雪の降りしきる擬音ではなく、 『こうこ=来い』の意味で、どんどん降って来いと雪に呼びかけているのだそうです。なんとも不思議な、心ときめく魅力を持った言葉です」と書かれてあった。今頃になってこんなことを知り、こちらもまた不思議な気持ちになった。もしかしたら、こうした思い込みはあちこちにあるのかもしれない。
歌の一曲一曲に添えられた絵を担当しているのは、内田正泰である。彼の名は以前から知っていた。はりえ画家として著名な方だからである。昔銀行に置いてあったパンフレットの表紙に、彼の作品が使われていた。その作品は、郷愁を誘う日本の原風景を描いた実に素朴なものだった。いたく心惹かれたので、その後彼のことが気になり、とうとう作品集を4冊も買ってしまった。タイトルだけ並べてみると、『四季の詩』、『日本の詩』(ともにクレオ)、『こころの詩』、『光と風の詩』(ともに日貿出版社)である。
彼の作品集を広げていると、昔の田舎の風景が、何とも言えない懐かしさで蘇ってくる。私が好きなのは夏の情景を描いた作品である。遠い昔の夏休みの思い出が深く心に刻まれており、いつまでも色褪せることがないからであろう。できることなら、彼の作品にあるような風景をカメラで切り取ってみたいと思っているのだが…。しかしながら、そうした風景はもはや思い出のなかにあるだけなのかもしれない。
一人歩いていて、心行寺の雪を被った梅も美しく心に残ったが、とりわけいい写真が撮れたと思ったのは、枯れ枝に止まった烏である。正確に言えば、枯れ枝ではなく裸木である。ただ一羽泰然(あるいは飄然)と枝にとまる烏の姿が、何となく自分のように見えなくもなかった。この烏から、今度は文部省唱歌の「冬げしき」(作者不詳)を思い出した。この歌は三番まである。これも歌詞を紹介しておく。朝、昼、晩と描き分けられた田舎の情景の静けさが、身に染みるかの如くである。
一 さ霧消ゆる湊江の 船に白し朝の霜 ただ水鳥の声はして 未だ覚めず岸の家
二 烏啼きて木に高く 人は畑に麦を踏む げに小春日ののどけしや かへり咲きの花も見ゆ
三 嵐吹きて雲は落ち 時雨降りて日は暮れぬ 若(も)し燈火(ともしび)の漏れ来ずば それと分かじ 野辺の里
冬の歌と言えば「冬の夜」(作者不詳)というものもある。これもよく知られた唱歌である。登場するのは、「燈火ちかく衣縫う母」であり、「囲炉裏のはたに縄なう父」であり、そして「居ならぶ子ども」である。「外は吹雪」なのだが、田舎の家のなかは何とも暖かで平和な世界である。しかしながら、そんな世界にも戦争の影は忍び寄っている。父は「過ぎしいくさの手柄」を語っており、子どもたちは眠さを忘れて聞き入っているからである。
そのいくさとは、日本を列強のような「一等国」に押し上げた日露戦争である。そのために無理が重ねられ数限りない悲惨な事態が生み出されたが、それらはすべて手柄話として回収されてしまっている。先の著作によると、戦後になって「過ぎしいくさの手柄を語る」は「過ぎし昔の思い出語る」に改作されたという。戦前の唱歌が、政治的な意図と無関係に存在していたわけではない。
一 燈火ちかく衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る 居並ぶ子どもは指を折りつつ 日数数えて喜び勇む 囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪
二 囲炉裏のはたに縄なう父は 過ぎしいくさの手柄を語る 居並ぶ子どもはねむさ忘れて 耳を傾けこぶしを握る 囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪
雪が降った後しばらくして、今度は突然4月のような陽気となった。寒暖の差のあまりの大きさに驚くばかりである。その日も家に籠っているのがもったい気がして外に出てみた。今回はいつもの道を避けてこれまで縁遠かったところに入り込んでみたのだが、そうしたら、住宅街の中に小さな梅林が二つも見つかった。ともに梅の木の高さは低い。中に足を踏み入れることを遮るようなものは何もなかったので、梅林の中に身を置いてみた。
天気は陽春の候のようであり、まさに春うららである。伸びやかな気持ちで梅を眺めていたら、かすかにそよ風が吹いた。そうしたら何とも言えぬ柔らかな梅の香が漂ってきた。これがそうなのかと思い、深く息を吸い込んでみた。この香りをどう表現すればいいのかよくわからない。馥郁(ふくいく)などといった表現は、こんな時にこそ使うものなのか。寒さに耐えた梅だけが持つ清楚で懐かしい香りである。もうこの香りを味わっただけで満足した気分だった。
その後緑道に出て、いつものようにのんびりと散策した。ここにはごく小さな川ともいえぬような川が流れている。その水の流れが陽光に照らされて少し光っていた。さらさらと流れていたので、まさに「春の小川」である。帰宅したら、夕飯に菜の花のおひたしやホタルイカやカツオのたたきが並んだ。きっと家人もそうしたものに春の到来を感じたに違いあるまい。立派なレストランでの豪華な料理など、年金暮らしの今の私にとってはまあどうでもいい存在であり、とうに関心の対象外である。時折季節のものを旨いと思って食べることができるならばそれで十分であり、そしてまた、それこそが本物の贅沢というものなのかもしれない、そんな気がした。
前回のブログで、戴益(たいえき)という詩人の詩「探春」を引いておいた。そこには、「春は枝頭(しとう)に在りて 已(すで)に十分」とあった。それをなぞるならば、「贅は夕餉(ゆうげ)に在りて 已に十分」とでもなろうか。何か人生訓のようなものを垂れたいなどと、大それたことを考えたわけではない。そうではなくて、日常の生活の細部に美や贅を発見できるような鋭く細やかな感性が、老後の暮らしにとっては思いの外重要なのではないか、そんな他愛のない当たり前のことを言いたかっただけである。来週は調査旅行で和歌山と奈良を訪ねることになっている。果たしてそこにはどんな春が待っているであろうか。

