冊子を作るということ

 毎年9月の誕生日を前に、シリーズ「裸木」と名付けた冊子を作成し、知り合いにこちらから勝手に贈呈させてもらっている。9月1日付けで刊行するためには、7月に入ったらその準備に取り掛からなければならない。載せるべき原稿は揃っていたものの、そのままにしてぼんやりと過ごしていたら、毎年世話になっているYさんからメールがあった。直接そう書いてあったわけではないが、その意味するところは、そろそろ準備していただかないと間に合わないですよという督促であった。

 そこで、この間第9号となるシリーズ「裸木」の冊子作りに精出していたというわけである。改めて振り返ってみると、たかが冊子を一冊作るだけなのに、やるべきことは実に多岐にわたる。思いつくままに書き出してみよう。まず最初に冊子のタイトルを決めなければならない。第9号となる今回は、「カメラを片手に」としてみた。タイトルなどは、著者が思いつくまま勝手に決めているように思われるかもしれないが、そうでもない。日頃の自分の思いを表したくて、どうしようかとあれこれ考える。

 ついでに表紙の色も決めなければならない。9冊目となると気に入った色も使い果たした感があるので、こちらもあれこれ考えることになる。第1号から第4号までは比較的濃いめの表紙の色にして、タイトルや著者名などを白抜きにしていたが、第5号からは比較的淡い表紙の色に変えて、タイトル等は黒にしてきた。今回の色はマラカイトグリーンと決めたが、タイトルなどを黒にするか白にするかは、実際の表紙の色を見てから最終的に判断することにした。

 当たり前だが、私のような人間がマラカイトグリーンがどんな色かを知っているわけがない。手元にある新井美樹『色の辞典』(2018年、雷鳥社)を広げながら、気に入った色を選んだのである。小型の辞典なのにじつによくできた本である。解説文を読むと、「日本で孔雀石と呼ばれている銅鉱物マラカイトのような光沢のある深く鮮やかな緑色」とある。どんな色の表紙になるのか今から楽しみである。

 次は冊子の中身の組み立てである。こちらはそんなに大きな苦労はない。三部構成で作ることはこれまでと同じなので、各部ごとにタイトルを決めた。第一部は「暮れなずむ日々から」、第二部は「カメラを片手に」、第三部は「旅の空から」としてみた。第一部には日々の雑感を載せ、第二部には写真にまつわる話を載せ、第三部にはこの間調査旅行に出掛けて見聞きしたものを旅日記として載せてみた。中身は既にブログに書いた文章を纏め、余分な箇所を削除し、気に入らない表現を修正するだけである。

 そのうえで、今度ははしがきとあとがきを書くことになる。両方ともに近況報告を兼ねたようブログの文章を活用しているので、改めて書き加えなければならない文章はごくわずかである。今回書いたはしがきの一部だけを、以下に紹介してみる。

 シリーズ「裸木」は今号で第9号となる。当初から10号をもって終刊とすることにしているので、いよいよ終わりも見えてきた。今号のタイトルは「カメラを片手に」としてみた。これまでのシリーズ「裸木」のタイトルとはだいぶ趣が異なっている。意味ありげでもないし重くもないし静かでもない。今回あえて「カメラを片手に」などとやたらに軽いタイトルにしたのは、喜寿を過ぎるまで生きてきたのだから、この際世間のさまざまなしがらみから自らを解き放って、自由に気儘に伸び伸びと振る舞ってみたくなったからである。カメラを鞄に放り込んで、軽やかな足取りで外に出てみたくなったということか。カメラ小僧ならぬカメラ爺の出現である。
 今号もこれまでの号と同じように、ブログに書き散らしてきたものを三部構成にして纏めてみた。(中略)毎週飽きもせずに書いている私のブログの文章を丁寧に読む人など、そうそういるはずもないが、冊子にすればもしかしたら手に取ってもらえるかもしれない。ブログの時よりも少しばかり改まった雰囲気になるからである。いつもいつもそんな淡い期待を抱いてここまでやってきた。今号では、タイトルを「カメラを片手に」としたこともあって、巻頭の写真をこれまでよりも数多く掲載してみた。それ以外に取り立てて変わったことはない。近況報告も兼ねて、2025年5月に「夕映えの暮らしから」と題して書いて一文を以下に紹介し、はしがきの代わりとしたい。

 これで冊子の形は出来上がった。今回は、冊子のタイトルにも関わるので、冒頭に写真を多めに入れることにした。そのためには、写真の選定作業に取り掛かからなければならない。撮りためた写真の中から、少しはよさそうなものを16葉選び、それぞれに簡単なキャプションをつけることになる。この作業はなかなか面白いので、やけに熱を入れてしまった。出来上がったら先のYさんにギガファイル便で送るのである。

 残された作業はあとわずかである。既に出来上がっている贈呈先の名簿を点検して新たな名簿を作り直し、同封してもらう挨拶文を書くだけである。この一年で亡くなった方もおられる。新たに付け加えたくなった人もいる。まさに様々な人生である。まったくの老後の道楽で作っているようなものを勝手に人に送りつけるのには、少しばかり勇気がいる。もらって嬉しいと感ずる人ばかりではないだろうと容易に想像できるからである。

 そんなわけで、今年も以下のような一文を付け加えておいた。「毎年書き添えていることではありますが、私の方から勝手に贈らせていただくものですので、目を通して感想の一つも送らねばなどとは、どうか決して思わないでください。余計なことかとは思いましたが、一言付け加えさせていただきました」。暑いさなかの校正が済めば、後は冊子の完成を待つだけである。