真夏の昼の夢
参議院選挙もようやく終わった。選挙結果が自分の期待したものにはならないことなど、もはや当たり前の事態なので、これまではたいして驚きもしなかったが、今回はさすがに違った。あまりにもひどい選挙結果である。参政党が大躍進したうえに苦戦を予想されていた共産党は惨敗を喫し、参政党の代表などは今ではメディアの寵児である。その主張がとんでもなくすごい。「日本人ファースト」などは序の口で、今では平気で戦前回帰を呼号している。沈没する日本に苛立って、大日本帝国の「栄光」にすがろうとするかの如くである。
リベラルはもちろんのこと、保守をもすっかり通り越している。右翼あるいは極右とでも言えばいいのか。それと比べれば、石破総理の歴史認識の方ずっとまともである。令和天皇もきっと驚いていることだろう。こんな政党に、日本の国民があれだけの支持を与えるとは。私のような旧くて頑固な人間には、なかなか理解できない。唖然とするばかりである。神奈川でも参政党の候補者が当選したが、警察官出身のこの候補者も、共産党を殺人者の集団の如くに罵倒し、言いたい放題である。いつからそんなに偉くなったのか、と皮肉りたくもなる。
しかしながら、よくよく考えてみれば、こんな候補者を当選させたのは、誰あろう他でもない私の周りにいる普通の県民であり区民であり市民なのである。そんなわけで、かなり暗然とした気分で二日ほど過ごした。しかしながら、私は根っからの単純な人間なので、いつまでも選挙結果に落ち込んでいることがばかばかしくなってきた。関西弁で言えば「勝手にさらせ」、フランス映画のタイトル風に言えば、「勝手にしやがれ」とでも言いたいほどである。そこで、気分を転換するためにジムに出掛けた。様々なマシンを動かしてたっぷり汗をかき、プールで身体を伸ばしてゆったりと泳いできたら、すっかり気持ちが落ち着いた。ジムの新たな効用の発見である。
この間、シリーズ「裸木」の第9号となる『カメラを片手に』の初校の校正に、取り組んできた。もう既に何度も読んだ文章を読み直すのだから、どうしても飽きてしまう。当然であろう。しかしながら、そんな面倒な作業もきょうですっかり終わり、編集作業をお願いしているYさん宛にレターパックで投函したので、あとは打ち合わせの連絡を待つだけである。ようやくほっと一息ついたら、無性に大の字に寝転んで昼寝がしたくなった。大暑の候となり、連日真夏日や猛暑日が続いているので、知らず知らずのうちに疲れがたまっていることもあるのだろう。
リフォームが済んで綺麗になった部屋でうとうとしていると、開け放しにした窓から微風が入ってきて、頬を撫でていく。時雨のような蝉の声も絶えることなく響いている。何とも幸せな気分である。今回取り組んだ最後のリホームでは、白を基調にしてあれこれと手を加え、徹底した断捨離も行ったので、以前よりも見た目には大分涼しく感じるようになった。『徒然草』の第五十五段でも、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比(ころ)わろき住居は、堪へ難き事なり」と書かれているが、確かにその通りであろう。昨今の日本も、堪えがたいのは冬ではなく夏である。
気分が落ち込んだ時には、これからの楽しいことでも考えながらうとうとするに限る。そこでまず考えたのは、終刊号となるシリーズ「裸木」の第10号のことである。いつものように三部構成とするつもりなので、一部には何を載せようか、二部にはどれを載せようかとあれこれ考えを巡らした。三部に載せる二つの旅行記は、既にブログに掲載済みなので、もう出来上がっているようなものである。二部には、これまで冊子に載せきれなかったもののなかから、比較的出来のいいものを選んでみるのも悪くはない、などと思った。終刊号らしくていいかもしれない。
そこでタイトルである。これまでと同じようなものでもいいかと思ったが、どうせなら終刊号らしいタイトルにしたくなった。しかし、なかなかドンピシャなものが浮かばない。あれこれとない知恵を絞っていたら、ふと「何処から、そして何処へ」などというものが頭に浮かんだ。シリーズ「裸木」の終刊に、我が人生の終焉を重ね合わせてみるのも悪くはなかろう。気障だと言われかねないタイトルではあるのだが、今更他人の目を気にしても仕方がない。では、そんなタイトルに相応しい表紙の色は何だろう、そんなことを考えるのも楽しい。第9号の続きなのだから、グリーン系統の色にしてみるのもいいのかもしれない。
終刊号を考えることよりもさらに楽しいのは、その後の道楽を何にするかに思いを巡らすことである。これを機に道楽三昧の暮らしからすっかり足を洗うという選択肢もなくはなかったが、どうせここまで続けてきたのだから、新たな老後の道楽を見付けて無理することなくのんびりと続けてみるのも悪くはなかろう、などという気になってきた。何か面白いことがないと生きていてもつまらない。それに、いつまでもしつこかったり往生際の悪いところが、何となく自分らしい気もしないではない。
では、新しい老後の道楽とはどんなものか。今ぼんやりと頭に浮かんでいるのは、写真が40ページ文章が40ページ程度の写文集のような冊子を作ることである。計80ページだから、現在のシリーズ「裸木」の半分ぐらいの厚さである。判型は今と同じ大きさにし、表紙の色は最近好きになってきたライトグレーで統一するのもいいのかもしれない、などと思った。毎号色を変えたりはしない。その代わり、毎号の表紙にお気に入りの写真を入れるのはどうだろう。
この写文集も、これまでと同じようにシリーズものとして作ってみたいので、シリーズ「裸木」になぞらえてシリーズ「晩景」としてみてはどうかと考えた。晩景という言葉も以前から好きだったからである。文章部分は40ページほどしかないので、たいした量ではない。そこで今回のシリーズ「裸木」の第9号となる『カメラを片手に』が出来上がったら、ブログの投稿頻度を毎週から月2回に変えるのもいいかもしれないと思ったりもした。こんなふうにあれこれと思いを巡らしているうちに、いつの間にかうとうとした。真夏の夜の夢ならぬ真夏の昼の夢だったのかもしれない。もしかしたら正夢になるかも。