届けられた友人からの手紙(下)

 前回友人からもらった手紙の前半部分を紹介したのだが、それを読んだだけでも、彼が多方面に該博な知識をもった人物であることがよく分かるだろう。こちらは中学校時代に抱いた印象のままに現在の彼を見ていたから、大いに驚いたのである。ではどんな人物だと思っていたのか。当時の彼は、背が高くスポーツ万能の少年で(たしかバスケットボールに熱中していたのではなかったか)、クラスの女性にも人気があった(ような気がする-笑)。つまり、私のような奥手で内向的な人間とは異質な存在だとばかり思っていた。中学校を卒業してから60年近くも経つのだから、人は変わって当然なのだが、同窓会ではどうしても昔の話ばかりしがちなので(そんな話が無難だと思うからなのかもしれない)、そこに気付けないのである。まあそんな話はともかく、手紙の後半部分を紹介してみる。

 金メダルかじりの市長は私のところの市です、面目ありません。別に謝まらなくてもいいのですが、流石に彼の人気も陰りが見えてきてますので…。彼の名古屋弁はどうもわざと悪く汚く使っているらしいのです。ポピュリズム政治家らしいと云えば、王道ですネ。そして「聖徳記念絵画館の絵画」の話です。ルーヴル美術館のダヴィッド作「ナポレオン一世の戴冠式」も大きいだけで空虚さが悪目立ちしてます、こういうところの大きな絵とは大体がそんなもんです。中野京子『怖い絵のひみつ』(KADOKAWA、2017年)も含めてダヴィッド評価は余り芳しくありませんが(好きだったらゴメンなさい)絵の腕はメッポウ立つけど心の卑しさは如何ともしがたし。

 戦争と芸術(家)の関係は難しいですネ。活動の幅を制限される(幅さえ認められない)ことを考えると身震いします。藤田嗣治が従軍画家として「アッツ島玉砕」を描きましたが、玉砕を称揚する眼で見れば戦意高揚画ですが、平常心で見ればそこに神兵や英霊など見つけることは出来ないのにと思われます。似たような話は私達学生の頃にもあって、フォーク歌手の高田渡が自衛隊勧誘の謳い文句をそのままにシニカルにパロディ化して、自衛隊に入ると死んじゃうヨと「自衛隊に入ろう」(放送禁止指定になりました)を歌ったら、その歌詞を額面通りに受け取って入隊した若者がいたり、自衛隊の広報から正式採用の依頼が来たりのドタバタがありました。藤田は戦後、(共産党系の)「赤い美術界」から激しく糾弾され日本を離れ渡仏してしまいますが、芸術批判の名を借りた政治闘争には、戦中虐げられた憎しみや藤田の華々しい活躍に嫉妬した気持ちが形を変えて入っていたように感じます。イデオロギーが作り出す「正しい考え」のこわさも充分に感じられますが…。

 「桜が死と強く結び付けられるようになる」話ですが、確かに太平洋戦争での多くの日本軍兵の死(軍が殺した命は無関係?)になぞられてから、それと「同期の桜」なんぞも同様にですが、上代(古事記・日本書紀)からすでに桜の美しさに戦慄を覚えその背後には死を暗示するような狂気・異常さが桜の花にはちらついていたようです。大昔から現在まで桜の異様さは際立っていたらしいです。今も中島みゆきは「…春はあやまちの源/私たちは春のために失ったものを怯えてる」と歌えば、井上陽水も「…だって人が狂い始めるのは/だって狂った桜が散るのは三月」とうなってますもんネ。佐藤優や池上彰の「訳知り」顔や「(ためらいのない)わかりやすさ」はチョット気持ちの悪さに直結してます。

 「遺産ブーム」が「骨董ブーム」に似ている。確かにそうですネ。既に日本全体が成長から成熟に向かっている(本当だといいのですが)、親の残した遺産で食いつないで行こうと政府も官僚も国民も気付いているからでしょうネ。本当に食いつなげれば万々才ですが…。「○○遺産」がうさんくさいのは、根っこに西洋文明至上主義があって設備・機械・技術など目に見えてつかめる物だけを持ち上げて、働くことの喜び、苦しみ、悲しみなど働き手の思い・感情はスポイルされているもんネ。文明だから当然「効率=善」だし、そこに日本の国策としての殖産興業が加わり、富岡製糸場の工女達も技術の伝達者・指導者として結局は資本の側に取り込まれて行くことに知らず知らずにうちに言い様のない恐れを感じてたのかも知れません。

 工女たちの「お嫁に行っても活かす場がない」と任期前に辞めてしまう事が多かったそうですが、野本寛一『民俗誌・女の一生』(文春新書、2006年)を読んでいたら、なるほどと思える記述に出会いました。少なくとも戦前の農家の女性(嫁)は、機織りは女の誇り高い仕事で家族の着る物を自分が織りあげる達成感充実感は何ものにも変えがたいものだったようです(実際は繊維素材の栽培から仕立てまでですから厳しいい苦しい仕事だったと思われます)。たとえつらい生活であっても、機械に従属した他働的な不自由な働きよりもまだましと思ったのかも知れません。

 随分と長い文になってしますみません。多分遅過ぎた返礼を何とかごまかしたい魂胆だと、今気が付きました。少しは分かってください。Yahoo!検索では大層な言われ様(私はまだ検索してませんが)らしいですが、これからも好好爺になぞならずに(ことさら嫌われなくてもいいですが)意地悪爺さんをつらぬかれる事を祈ります。

 以上が手紙の後半部分である。読んでみると、私の知らなかったような話があれこれと出てくる。手紙に登場する武澤信一、池田小百合、野本寛一といった方々をこれまでまったく知らなかった。だからなのか、私のものの見方や考え方が(広く言えば感受性が)、もしかしたら一面的なのかも知れないとの思いも抱いた。誰の意見にも偏りがないことなどはあり得ないから、あって当然だし、現在の私の偏りを変えるつもりもないのだが、観察眼だけはいつも複眼的であるべきではないか。少なくともそう心掛ける必要があるようにも思われた。この手紙には以下のような追伸も書き加えられている。

 ブログをのぞかせてもらったら台湾紀行とありました。私も元気な時によく台湾に行ってました。友達が居たこともありましたが、台北中心に台南、高雄など良からぬ遊びなども含めて楽しみました。残念ながら東海岸方面には行けてません。映画監督のホウ・シャオシェンの撮影地巡りや食べ歩きなど今でもいい思い出です。アミ族の女性は美人が多かったなどとニヤついてます。写真、大分上手になったように感じました。湿っぽい感じがよく出ているものが多かったです。頑張ってください。蚕にまつわる話や長田弘などまだまだ記したいことがありますが、それは次回(あるかなぁ?)までとします。お元気で!   

 この私が、写真の腕が「大分上手になった」と褒められて喜んだことは言うまでもない。相変わらず単細胞な人間である(笑)。「湿っぽい感じがよく出ている」との評が嬉しかったのである。カメラの撮影技術にはとんと関心がないのに、撮影者の私と撮影対象との間に流れている情感だけはいつも気になるのである。元々が情緒的で湿っぽい人間だから、文章もそうならざるを得ないし、写真もまたそうなっていくのであろう。昨日関東地方も梅雨に入ったとのこと。さらに「湿っぽい感じ」の文章や写真になるに違いあるまい。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/06/28

市営地下鉄中川駅の近辺にて(1)

 

市営地下鉄中川駅の近辺にて(2)

 

市営地下鉄中川駅の近辺にて(3)