ガーデン、公園、庭園、そして里(下)

 散策にまつわる話の続きである。3回目は庭園に出向いた。目指したのは、石川町駅の側にあるイタリア山庭園である。ここに出掛けることになったのには、訳がある。最初から行こうと思っていたわけではない。この私は、散策以外にも興味があればふらりとあちこちに出掛ける。同じ団地に住むSさんから、彼が所属する写真サークルの展覧会の開催通知を受け取った。こんな時は、余程のことがない限り出掛ける。こちらが律儀な所為もあるが(笑)、Sさんは写真愛好家を通り越して半ばプロのような写真家なので、いい写真を見ることが出来るだろうと思っているからである。

 これまでにも何回か出掛けたが、期待が外れたことはない。桜木町の「横浜市民ギャラリー」で開かれていたので、そこでモノクロームの写真を見たついでに、他の階にも顔を出してみた。そうしたら、片岡昇さんという方の油絵と水彩画と写真展の案内状が置いてあった。こうしたところには実に多くの案内状が置いてあるのである。何故片岡さんのものを手にしたかと言えば、作品展のタイトルが「何処より」となっており、以下のような気になる文章がしたためられていたからである。

 中島みゆき「時代」、松山千春「人生 (たび) の空から」。 この曲が発売された当時、同年代で同郷の若者がどんな経験をつむとこんな歌が書けるのだろうと、とても違和感を感じていた。 それから半世紀、 今なら口ずさむこともある。この歌には 「孤高」 の強さと寂しさを感じつつ、少しの憧れもある。生き様を振り返り、 旅 (人生) の終わりが近づいてきたことを実感しながら少しでも孤高を表現できたならいいなと思いつつ作品を仕上げている。

 片岡さんの作品展は、石川町駅から坂を上り山手イタリア山庭園の向かい側にあるギャラリーで開かれていた。そこで、どうせならこのイタリア山庭園の散策に出掛け、合わせて片岡さんの作品展に顔を出すことにした。この庭園であるが、入口で手にしたパンフレットによると、「明治13 (1880)年から明治19 (1886)年まで、イタリア領事館がおかれたことから『イタリア山』と呼ばれています。イタリアで多く見られる庭園様式を模し、水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園で、バラや四季折々の花を見ることができます。『ブラフ18番館』は平成5(1993)年に、『外交官の家』は平成9(1997)年に、移築復元されました」とあった。 

 直ぐに目に付くのは「外交官の家」である。明治政府の外交官であった内田定槌(うちだ・さだつち)の邸宅を移築したとのことだが、実に華やかで堂々とした邸宅である。中に入るとどの部屋も広々としており、まさにこれぞ洋館といった趣である。国の重要文化財に指定されているとのこと。ここには喫茶室もあったので、広々とした庭で旨いコーヒーを飲んだ。天気のいい日に花と洋館を眺めながら芝生で飲むのだから申し分ない。気分だけは上流階級である(笑)。もう一つの「ブラフ18番館」だが、名前が何ともユニークである。ブラフなどと言うとはったりや虚勢しか思い浮かばなかったが、昔、山手が外国人の居留地だった頃、この高台はBluff(ブラフ=切り立った崖)と呼ばれていたらしい。それがこの名の由来だとのこと。

 イタリア山庭園の眺めを堪能した後、片岡さんの作品展が開催されていたギャラリーに向かった。先に紹介したような文章からも垣間見られるところだが、同年配の好人物とお見受けした。丁寧に作品を紹介してくださり、あれこれと四方山話を交わした。家人は私以上に「感心屋」なので(昔私は周りからそう呼ばれたことがあるー笑)、片岡さんも話し甲斐があったのであろう。行きは坂道を上るのは大変だろうと思いタクシーを使ったが、帰りは下りなので坂道を歩いて石川町の駅に出た。駅前にトルコ料理の店があったので、初めてだったがものは試しと入ってみた。予想を超えて旨い昼食となった。

 自宅に戻るには石川町から関内に出て、そこで市営地下鉄に乗り換えるのだが、構内の途中にホームレスの人たちが寝泊まりしている段ボールハウスの群れが見えた。そう言えば、関内と石川町の間には横浜のドヤ街として知られる寿町がある。東京の山谷や大阪の釜ヶ崎と並ぶ寄せ場である。近くにはオシャレな店が建ち並ぶ元町があるが、駅を挟んだ反対側にはドヤ街があるので、その対称が何とも印象深い。今日などは真夏日となり、熱中症への警戒が呼びかけられている。だが、ホームレスの人たちはどうすることも出来ない。何とも厳しく物悲しい日本の現実である。

 最後に取り上げるのは里である。出掛けた先は、開成町の紫陽花の里。開成町と言っても、多くの人はその場所がどこか直ぐには分からないであろう。足柄上郡にある開成町で、小田急線の小田原行に乗ると新松田駅の隣に開成駅がある。ここはたまたま新聞の記事で見つけたのだが、急に行ってみたくなったのである。大勢の人が来る「あじさいまつり」は既に終わっていたが、人影がまばらな方がゆっくりと紫陽花を観賞できて好都合である。

 町田から50分近く乗って新松田駅に着いた。小田急線もこのぐらいの時間のると、大分離れたところに来た感じがした。駅に着いてバスに乗ろうとしたが、出発したばかりで大分待たされることになるので、ここでもタクシーを利用した。クルマがあればもっと簡単にこれそうな所のようだが、なければないでどうにかなる。たいした時間もかからずに「あじさいの里」の入口に着いた。廻りは一面の水田で、人家は遠くに見えるだけである。緑に囲まれた山の先には富士山が見えた。どこから見ても田舎である。そして、どの農道にも紫陽花が咲いていた。道を尋ねた際にもらったリーフレットには、次のようなことが記されていたので紹介しておく。

 広大な田園とあじさいのコラボレーション。開成町の”あじさいの里” には、各地のあじさい名所にはない風景が広がっています。本来は山あいの半日陰の場所が適しているといわれるあじさいを、広々とした田園で育てるのには実はとても手間がかかるのです。植栽から遅霜対策、草刈り、水やり、剪定など、あじさいまつりに向けてきれいな花を咲かせるための様々な作業は、開成町の住民をはじめとするボランティアの協力のたまもの。愛情を込めて一株一株たいせつに育てたあじさいの晴れ姿を、どうぞゆっくりとお楽しみください。 

 紫陽花というと鎌倉の明月院が直ぐに思い出される。確かに古刹の紫陽花も悪くはないのだが、昔出掛けて余りの人の多さに辟易した。ゆっくりと写真と撮る気分になれなかったからである。しかしここではまったく違った。実にのんびりとしたものである。水路には勢いよく水が流れ、小さな水車もあった。難があるとすれば、木陰の休憩場所が直ぐには見当たらなかったことか。案内板に沿ってしばらく歩いていたら、そんな場所が見つかった。ここまで来ると人影はまるでなく、静かである。聞こえるのは水音のみ。何とも幸せな気分である。帰りはバスで新松田に出て、町田駅の側のイタリアンレストランで遅い昼食を摂った。食事は美味しかったのだが、そこにはもう里の静けさはなかった。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/07/12

イタリア山庭園にて(1)

 

イタリア山庭園にて(2) 

 

開成町のあじさいの里にて(1)

 

開成町のあじさいの里にて(2)

 

 

 

こちらが