「裸木」第5号を手にして

 8月の末にシリーズ「裸木」の第5号が出来上がった。毎年9月の誕生日前には完成させようと心掛けているので、今回もずれることなく出来上がってほっとした。シリーズ「裸木」も今回で第5号となる。我ながら飽きもせずによく続いているものである。今回のタイトルは、何時ものようにあれこれと考えて『逍遙の日々へ』としたのだが、その意図するところについては、この後にふれる。

 今回変わったことと言えば、4号までは表紙の文字を白抜きにしていたが、今回は黒の文字にした。シリーズものの冊子なので、できればこれまでと同じように白抜きにしたかったのだが、気に入った表紙の色にしようとすると、白抜きでは文字がどうしても霞んでしまう。そこで黒の文字にしたのである。私はどちらかと言えば原色系の色が好きなので、そのためこれまでは表紙にそうした色を使ってきた。いま原色系の色が好きだと書いたが、正確に言えばクリアな、激しい、大胆な色使いが好きなのである。

 原色と言えば、一般には赤、青、黄の3色を指すが、光の場合は赤、緑、青である。黄はまだ使っていないが、これまでに赤も青も緑も使ってしまったので、これからは表紙の色を中間色にするしかない。そんな気分になったのは、年も取って柔らかな中間色も悪くはないなどと思い始めたからでもあろう。そうなると、白抜きの文字ではどうしてもだめなのである。文字を白にしようとすると、表紙の色はかなり限定される。しかし、文字を黒にすれば表紙の色はかなり多様になる。いろいろな色が使えるので、バリエーションが広がるのである。そんなわけで、今回から表紙の文字の色を黒にすることにした。表紙の色の多様性の方を大事にしたのである。

 表紙の色をどんな色にすればいいのかを考えるのも、冊子を作る愉しみの一つである。今回その愉しみを味わうために、新井美樹『色の辞典』(雷鳥社、2018年)を手にしてみた。著者はグラフィックデザイナーでありまた水彩画家でもあるので、辞典とは言っても無味乾燥な本ではまったくない。広げるとわくわく浮き浮きするような本、言い換えれば遊び心に溢れた本に仕上がっている。ハンディーな本にするために活字が小さいのだが、そこだけが年寄りにとっては難点と言えば言えなくもなかったが…。

 著者は、「はじめに」で次のように書いている。「色彩の感覚は、時代や文化、個人によっても流動的な ものです。その曖昧さが逆に楽しいともいえます。美し い色、美しい色名、そのひとつひとつが持つ美しい物語 を、個々の感覚で味わい楽しんでいただけると幸いです」。流動的で曖昧な色の感覚を、「個々の感覚」で味わい楽しむことが大事だと言うのである。実に多種多様な色を扱っているだけあって、何とも柔らかな姿勢である。次号の中身も定まらぬうちから、この本を広げて次号の表紙の色をあれこれ考えたりしたのが、何ともお笑い草ではあったが…(笑)。

 さて、表紙の話はこのぐらいにして、肝腎の第5号『逍遙の日々へ』の中身である。「はしがき」に以下のような文章を載せてみた。冊子を贈呈された方々にとっては、既に目を通された文章ではあるのだが(勿論読んでもらえればの話ではあるが-笑)、そんなに大勢の方々に贈っているわけではないので、あらためてブログで紹介させてもらうことにした。これを見て『逍遙の日々へ』を読んでみようなどと思われたならば、ホームページから連絡していただきたい。知り合いの方であれば、贈呈させていただくつもりである。

 シリーズ「裸木」もこれで第5号となる。老後の道楽にしてはよく続いているものである。もしかしたら、老後の道楽に過ぎないと開き直っているので、ここまで続いてきたのかもしれない。これまでの冊子と同じように、今号もまた、ブログに綴ってきた文章を、少しは読めるものとなるように整理した(つもりである-笑)。その意味では、ブログあってのシリーズ「裸木」ということになるだろう。

 第5号のタイトルは「逍遙の日々へ」としてみた。気儘にふらついている日々を綴っているので、散歩とか散策とか閑歩などでもいいかと思ったが、これだとあまりにも身近で狭い世界のようにも感じられる。また徘徊なども頭をかすめたが、今これをタイトルに使うにはいささか自虐が過ぎるような気もした。使うならもう少し先であろう(笑)。そんなこんなで、逍遙に落ち着いた。柄にもないことではあるが、いささか古風な表現なので品良く思えた節もある。

 これまでの冊子と同じように、今回もまた三部構成としてみた。私としては、シリーズ「裸木」と称しているので、できるだけ冊子の形式を同じようにしたい気持ちがあるからである。第一部では、「気儘な逍遙から」と題して、この間出掛けた遠近さまざまな場所の見聞記を載せてみた。記録を中心としたたんなる旅行記に終わらないように、わずかばかりの工夫を施してみた。旅情のようなものを感じ取っていただければ、私としてはたいへん嬉しいのであるが…。

 続く第二部では、「自画像を描く」ということで、読書や美術や映画にまつわる話などを集めてみた。逍遙には、自分の「外」に向かうものだけではなく、「内」に向かうものもあるはずである。逍遙が「内」に向かえば、そこに浮かび上がってくるのは、言ってみれば自画像のようなものとなるのではあるまいか。自分の姿は鏡でしか見ることができないわけだが、読書や美術や映画にまつわる話などは、言ってみれば自分自身を映し出す鏡のようにも思われる。もっとも、あれこれ書いている本人には、うまく像を結んでいるのかどうかさえわからないのではあるが…。

 最後の第三部は、「晩夏の佐渡紀行」としてみた。タイトル通りの内容である。2019年の9月に、「北前船の足跡を辿るPart3」といったテーマで、専修大学の社会科学研究所が夏季実態調査を実施したので、この調査に私も参加させてもらった。その報告書のようなものとして纏めたのが、この一文である。もともとは、同じタイトルで研究所の月報(No.679/680)に掲載されたが、今回あれこれ加筆、修正を施してここに載せてみた。中身は第一部と同じような性格のものだが、比較的長めの文章となったのであえて別立てとすることにした。

 以上のような文章を「はしがき」の冒頭に書いておいた。これを読めば、出来上がった冊子がどんなものかおおよそのところは分かるだろう。また、この冊子を知り合いに贈呈するに当たって、何時ものように添え文を入れておいた。老後の道楽で書き散らしただけのものを、たとえ知り合いとはいえ他人に送り付けるのが何とも気恥ずかしいからである。そう思うなら贈呈などするなと例の山藤章二さんには叱られそうだが、それができないのが俗人の浅ましさである(笑)。冷笑かたがたお読みいただきたい。

 なかなか収束が見通せないコロナ禍のなか、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。感染しても入院さえままならぬような状況が続いておりますが、私の方はワクチンの接種も無事に済み、これまでのところ何とか普段通りに過ごしております。

 老後の道楽として始めたブログ三昧の生活もすっかり板に付き、雑文を書き散らして自粛暮らしの無聊を慰めております。世俗の塵埃にまみれた話題からできるだけ身を離し、「焦らず、慌てず、諦めず」を座右の銘として、生き抜いてみたいものだと勝手に夢想しております。

 しばらく前に読んだ本の中に、「人の生くるや柔弱(じゅうじゃく)、其の死するや堅強(けんきょう)」という老子の言葉が紹介されていました。生きている人間の身体は柔らかですが、死ねば堅くなります。柔らかくてしなやかなものは生の側に、堅くて強いものは死の側に属するということなのでしょう。これは肉体だけではなく、精神についてこそ言えそうな気がします。柔弱がよいというにとどまらず、柔弱をいかに保っていくのか、そのことを考え続けることが肝要なのでしょう。年寄りにとっては尚更です。

 毎年誕生日近くに作成している「裸木」の第5号が、今年も無事出来上がりました。ひとに贈呈するようなものなどでないことは、重々承知しておりますが、お近付きの印として、あるいはまた小生が元気でいることをお知らせする粗品として、まことに勝手ながら贈呈させていただきます。傍迷惑も省みずにお送りするものですので、読んで感想の一つも送らねばなどとは、決して思わないでください。念のために一言付け加えさせていただきました。

 皆様もくれぐれもお身体ご自愛下さいますように。