「後期」高齢者の「好奇」心とは(一)

 このところ毎日暑い。夏本番の到来である。「暑いねえ」と言葉を交わしたところで涼しくなるわけでもないから、言っても詮なきことと頭では分かっているのだが、それでもつい口に出る。誰の作かは不詳だとのことだが、「いうまいと思えど今日の暑さかな」といったところか。昼日中などはまさに文字通りの炎昼である。先日団地の新聞にちょっとした文章を書く機会があったので、その最後に、最近亡くなった俳人鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)の一句「三伏や弱火を知らぬ中華鍋」を添えておいた。

 三伏とは初伏、中伏、末伏のことで、夏の暑い季節の始まりから終わりを指す。初夏と仲夏と晩夏のようなものか。初夏と晩夏には味わいがあるが、仲夏には何の趣も感じられない。「弱火を知らぬ中華鍋」などと表現されると、暑さも極まった感じがする。星野立子の「蓋開けし如く極暑の来たりけり」なども、とんでもない暑さの夏がついに到来したことが何とも上手く表現されている。いよいよ暑い夏の蓋が開いたのである。プールに浸かりながら、この私も生意気に一句詠んでみたくなった。「酷暑来てプールの底に潜みけり」などはどうだろうか。このところ、プールの水もひんやりどころかすっかり温まっている。生ぬるい風呂のようで、あまりいい気分ではない。

 夏の風物詩と言えば甲子園であり、高校野球である。昔ブログを始めたばかりの頃の2018年8月に、「金足農業高校の校歌の作詞者について」と題した一文を掲載したことがある。6年前の夏に金足農高が甲子園で旋風を巻き起こし、並みいる強豪校を破って決勝戦にまで進出した。それをきっかけに、同校の校歌の作詞者である近藤忠義のことが気になったので、調べてみたのである。その中身については、先のタイトルで検索してもらうことにして、最近になってこの文章の閲覧者が急に増えてきたことを知った。

 現在使っているグーグル・アナリティクスによれば、ブログの閲覧者の数だけではなく閲覧されている記事のタイトルも知ることが出来るので、それで増えてきたことを知ったというわけである。今年金足農高が秋田大会を制し、6年ぶりに甲子園に戻ってくることになったので、その余波で閲覧者が増えているのであろうか。6年前の甲子園では、現在オリックスに所属する兄の吉田輝星選手が活躍したが、今年は彼の弟がエースで登場するとのこと。東北の人間としては兄同様の活躍を期待したいし、あの反り返りながら全力で歌う校歌をまた聞きたいと思ってもいる。

 話を元に戻そう。暑い夏にいささか込み入った文章を綴る気がしないので、暑気払いを兼ねてまったくの雑談のような話を、4回に渡って書いてみることにした。真面目に書いた一文もあるにはあるのだが、これを載せるのはもうしばらく後にする。今回からは適当に書いた文章が続くので(いつもそうだろうと言われかねないが…)、どうかさらりと読み流していただきたい。最近、友人のFがとんでもない事態に遭遇したことを知った。きっとがっかりしうんざりしていることだろう。悩みや苦しみや哀しみは誰にでもあるに違いない。勿論この私にもある。真面目に格闘しても、どうしようもないことばかりである。気が滅入りそうな時は、時の流れに身を任せて適当にやり過ごすしかなかろう。それも案外生きる上での大事な知恵なのではあるまいか。

 近年は、出掛けるときには帽子が欠かせなくなった。昔は帽子を買っても人目が気になり恥ずかしくてなかなか被りにくい時期もあったが、すっかり頭が禿げ上がった身となってからは、もはやそんな暢気なことを言ってはいられなくなった。私の夏の必需品である。寒かったり涼しい季節にはハンチングを被っているのだが、夏にハンチングはどうにも暑苦しい。薄い生地のハンチングもあるにはあるのだが、こちらはあまり気に入らない。そこで、今はどこに行くのにも麦わら帽子を被っている。

 今麦わら帽子と書いたが、世の中ではパナマ帽と言っているものである。本物のパナマ帽はエクアドル産のトキヤ草を使って作られているとのことで、それなりの値段がする。私が被っているものは勿論ながら本物のパナマ帽などではなく、化学繊維を素材として作られた中国製のものである。だからかなり安い。汗で汚れてしまうので長年使うわけにはいかないから、中国製の安物で十分である。そしてこのところ、この麦わら帽子を被っている期間が大分長くなってきた。4月の終わり辺りから被り始め、10月の末までは被っているから、おおよそ半年である。温暖化の影響で、暑い時季が長期化しているからに違いあるまい。

 この麦わら帽子は今や私のお気に入りであり、春と夏のトレードマークと化しつつある。年寄りはどうしても皆似た感じになりやすいので、自分なりのトレードマークがあるのはいいことなのではあるまいか。勝手にそんなふうに思っている。私が被っているのは濃いベージュであり、白が強調された帽子ではないから、長い期間被っていてもそれほど違和感がない。そんなわけで、秋と冬にはハンチング、春と夏には麦わら帽子で過ごすようになった。麦わら帽子を被る時は、子供っぽくならないように目深(まぶか)に被るように心掛けている。

 この帽子に加えて、このところよくサングラスを掛けるようになった。昔はサングラスを掛けている男をみると、外見だけ格好を付けている「気障(きざ)」な奴だなあなどと思っていた(何とも安っぽそうな男に見えていたのである-笑)。それなのに、この年になって自分もサングラスを愛用するようになった。予想もしなかった事態である。つらつら思うに、後期高齢者となってこちらもすっかり安っぽくなってきた所為でもあろう(笑)。「高貴」とは余りにも縁遠い「後期」高齢者なのだから、安っぽくて当然である。

 何故愛用するようになったかと言えば、夏の光が眩しすぎて目が疲れるからである。それだけ目が弱っているということなのだろうか。昨年両目の白内障の手術をしたので、見え方がぼんやりしているわけではないのだが、日差しが強いと目がチカチカしてどうもすっきり見えない。そこでサングラスの出番とあいなった。サングラスを持ってはいたのだが、これまではごくたまにしか使ってはいなかった。しょっちゅう使うようになったのはつい最近のことである。これを掛ければ、夏の強い紫外線を防ぐことが出来る。何となく麦わら帽子にも似合っているような気がする。まったくの自画自賛である。「地が爺さん」だから当然そうなる。こういうつまらない駄洒落は、笑おうにも笑えない(はずである)。

 

PHOTO ALBUM「裸木」(2024/08/02

夏三題(1)

 

夏三題(2)

 

夏三題(3)