「後期」高齢者の「好奇」心とは(三)
ついでと言っては何だが、ハンカチもこれまでの薄い生地のものからハンドタオルに変えて、大胆な色使いのものを使うことにした。大胆とは言っても、これまでの私からすればといった程度ではあるのだが…。使い勝手を考えると、小振りなタオルがいい。ポケットに突っ込んだままでも邪魔にならない。ではバッグはどうか。革靴を履かなくなったこととも関連して、手提げのバッグも使わなくなった。普段は何時も肩から斜めがけしたショルダーバッグである。同じタイプのものを色違いで二つ買い、服の色に合わせて使い分けている。軽快な気分で外に出るには、これが一番いい。持ち歩かなければならないものなどたかがしれているのだから、大きな手提げのバッグなどもはや無用の長物である。
斜めがけのショルダーバッグに、財布、カメラ、スマホの「三種の神器」を入れれば、直ぐに出掛けられるので、まことに楽である。ただし、どうしても容量は小さくなるので、余計なものは持ち歩かないようにしている。買い物をした際の支払いも現金からカードに変えたので、現金をほとんど持ち歩かなくなった。ごくたまに現金が必要となる店もないわけではないが、ほとんどのところはクレジットカードで用は済む。こうなると、財布もごくごく小さなもので十分である。今は小さなポーチを財布代わりに使っている。昔長財布や二つ折りの財布を使っていたこともあったが、今となってはこちらも無用の長物と化したので、さっさとおさらばした。
小さな財布には、クレジットカード、交通系のカード2枚、身分証明書の代わりになる運転経歴証明書、折りたたんだ現金3枚、名刺数枚、玄関の鍵、プールの回数券、それに百均で買ったカードサイズの拡大鏡まで入っている。特に大事なのは敬老パスである。これを使うと市営の地下鉄やバスが無料となるので、行きたいところに気軽に出掛けられるからである。あちこちの店で勧められるポイントカードの類いは、作らないのでまったく持っていない。ポイントをためて僅かばかり得した気分になるよりも、無駄な買い物をしない方が得策だと思うようになったからである。財布が膨らむのが嫌なこともあるし、中から探し出すのが面倒なこともある。
このところ余程のことがない限り、コンビニにも近付かないように心掛けている。意志薄弱な人間なので、店に入るとビール、アイス、お菓子などと余計なものまで買いたくなるからである。近くにはコンビニが3軒もあるので、避けて通るのはなかなか大変だ。旅先ではついつい気が緩み土産物を買うことも多いのだが、これも極力買わないように心掛けている。そのための秘策と言えるものは、そうした店に近付かないことぐらいしかない。
今自分のことを意志薄弱だと書いたが、それとともにごく普通の俗物でもあるので、お金に興味がないわけではない。しかしながら、カード派になってからは紙幣にすっかり興味をなくした。だから、一万円札が福沢諭吉から渋沢栄一に変わろうがなんの関心も湧かない。どうでもいい。しばらく前に、埼玉県の深谷市にある渋沢の記念館を眺める機会があった。そこには彼の巨大な立像が麗々しく建てられていたのだが、それを眺めて心底うんざりした。とにかく、例え誰であろうとも立派すぎる銅像などにろくなものはない。これは断言できる。
新紙幣を早く手に入れようと銀行に並んだ人もいたらしいが、こうなるともはや狂気の沙汰と言うしかなかろう(笑)。私にとってとくに必要のないマイナンバーカードも、今のところ作る気はないし、ふるさと納税での返礼品にも興味がない。私の住む横浜市は、ふるさと納税で失われる税収が毎年200億円を優に超えている。とんでもない事態である。よりましな社会になるというのであれば、すぐにでも協力するつもりだが、とてもそんな代物とは思えない。ともに天下の愚策である。得するという話に簡単に飛びつかないのは、そこに胡散臭さを感じるからである。投資などにもまったく興味がないので、FXやNISAと言われても何のことやらといった感じである。知らないし知る気もない。株価の変動などに一喜一憂している人の気がどうにも計りかねる。
これまで持っていなかったのに、「後期」高齢者になってから増えた持ち物もある。一つは、扇子を持ち歩き始めたことである。昔は扇子を使っている人を見ると、何となく年寄り臭く見えたものだが、そんなこともどうでもよくなってきた。涼しく過ごすために、最近は手提げの扇風機や首掛けの冷風機や保冷器(ハンディファンとかネッククーラーなどと言うらしい)などが出回っているようだが、そんな流行り物よりも扇子の方が余程優雅である。家に籠もっている時には、団扇(うちわ)を使うこともある。娘からもらったなかなかおしゃれな団扇である。
愛用の扇子は、定年で勤務先の大学を退職した時に、二部のゼミ生だったH君からもらったものである。これが仕舞いっぱなしになっていたので、せっかくだからこの機会に愛用することにしたのである。このH君は大変な律儀者で、今でも中元を欠かさない。こんなふうに書いてH君を褒め称えているのだが、彼を見習おうとするゼミ生は一人もいない。当然であろう。彼が特別なのである(笑)。扇子を広げるとナマズの墨絵が現れる。子供の時分に田舎の福島で魚すくいによく出掛け、ナマズも捕ったことがある。のらりくらりして掴みにくいナマズは、何だか正体不明の自分のようでもあり、笑える。
もう一つは、ショルダーバッグに文庫本の句集や詩集を入れ始めたことである。スマホは便利な機器であり、私にとっても利用価値は高いのだが、余りに首っ引きになっているのは何とも滑稽であるし、解せない。どうでもいい情報に振り回されるのはもうやめにしたい。この頃とみにそう思うようになった。電車でスマホなんぞを覗かなくてもいいようにしたいので、文庫本をバッグに入れるのである。他者がいる場では、スマホなどを一切いじらない人間の方が何とも魅力的なのではあるまいか。
PHOTO ALBUM「裸木」(2024/08/16)
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