「盛暑の岩手・青森紀行」余滴

 この間ブログに書き継いできた「盛暑の岩手・青森紀行」も最終回に達したので、全10回分を整理し「盛暑の北東北紀行」と改題して手直ししてみた。人文科学研究所の『月報』に投稿させてもらうためである。ブログに投稿している時には、読みやすくするためにあれこれの「遊び」を挿入するのが常だが、『月報』の原稿となればそうはいかない。余分だと思った箇所をどんどんカットしたおかげで、少しはすっきりしたものに仕上がったような気がした。かなり短くしたつもりだったが、それでも400字詰め原稿用紙に換算すると100枚を超えている。相変わらずの年寄りの長広舌である。

 もうこれ以上手直しするところはないようにも思えたので、先日『月報』の編集担当のSさんに原稿を送った。締め切りは11月末か12月の初めだったはずなので、大分早い提出である。そんな人間はそうはいなかろう。こちらが年寄りとなって暇な時間が多くなっていることもあるだろうし、書いている内容が旅日記のような軽めの読み物なので、筆が進みやすいということもあるだろう。さらには、こちらは研究所の研究員ではなく研究参与の身分なので、常日頃締め切りに遅れるようなことがあってはならないと思っていることも影響しているかもしれない。忘れまいといつも心しているのは、調査旅行に同行させてもらっている、『月報』に書かせてもらっている、といった感覚である。

 先日、岩手大学に勤務するAさんから長文のメールをもらった。昔からの知り合いなので、毎年9月に刊行しているシリーズ「裸木」の第9号となる『カメラを片手に』を送っておいた。今回もいつものように礼状はいらないと書き添えたのだが、忙しい身なのにわざわざ礼状を書いてくれたのである。そこには近況も記されていた。彼女はブログも読んでくれているようで、私が調査旅行で盛岡に行ったことも、そしてまた北ホテルに泊まったことも知っていた。

 その北ホテルであるが、以前ブログで次のように書いておいた。「盛岡で泊まったホテルは『北ホテル』という名であったが、ウジェーヌ・ダビの同名の小説を思い出す人も多かろう。敬愛する田宮虎彦が一番好きな作家としてダビの名をあげていたので、その本が私の手元にある。獅子文六の名で知られる岩田豊雄の訳で、1951年に三笠書房から出版された」。もしかしたら、小説よりも1949年に制作されたフランス映画(監督はマルセル・カルネ)の方がよく知られているかもしれない。アナベラやルイ・ジューベといった名優が出演している。

 その北ホテル(HOTEL DU NORD)であるが、気になった私は泊まる際にフロントの方に同名の小説や映画があることを告げてみた。そうしたら、そんな話を経営者から以前聞いたことがあるとのことだった。やはり経営者の方は意識してホテル名を北ホテルにしたのである。小説や映画ではパリの下町にある貧乏人向けの安ホテルという設定だが、日本に移し替えてみるとなかなかオシャレなネーミングである。そして、泊まってみると庶民的で居心地のいいビジネスホテルであった。そんなこともあったのか、先のAさんの友人であるBさんが盛岡に来たときには、定宿にしていると書いてあった。このBさんも私の知り合いである。

 私も盛岡に泊まるのだから、折角の機会なのでAさんに連絡しようかとも思ったが、スケジュールが立て込んでいたし、顔合わせを兼ねた初日の夕食から抜け出すのも勝手が過ぎるかもしれないと思い、連絡はしなかった。結果として連絡しなくてよかったようだ。お礼のメールをもらって知ったのだが、私が北ホテルに泊まった頃に彼女は夫の父親の法事で下北半島の横浜に出掛けていたからである。下北はこれから向かう先だったので、そんなこともあるのかと思って少しばかり驚いた。

 下北半島にある横浜と聞いてピンと来る人は、かなり青森の地理に詳しい人であろう。勿論ながら私も知らなかったが、大湊や恐山に出掛けることもあって地図を眺めていたら、横浜という地名を発見した。私の自宅が神奈川の横浜なので、こんなところにも横浜があることを知って興味が沸いた。調べてみると、横浜は下北半島の付け根にある町で、広大な菜の花畑や陸奥湾で採れるナマコやホタテが名産の地なのだという。横に長く伸びた浜があるのでそこから横浜となったらしい。神奈川の横浜も同じである。今では横浜と聞くとオシャレな感じがするが、たんに横に長い浜から生まれたやけに即物的な名にすぎない。歴史を辿ると、横浜という名が登場するのは神奈川の横浜よりもはるかに旧い。北部は斗南藩の一部となっていたこともある。

 ところで、盛岡では夕飯を食べにに創作料理の店「えん」に出掛けた。調査旅行を企画する方の中には食通も多いらしく、出掛けるたびに美味しい店を探し出してくれる。今回もそうだった。店内はごく普通の作りであったが、出された料理がすべて美味しく、それらの料理に合うとわざわざ店主が勧めてくれた日本酒を、ワイングラスで飲んだ。こんな飲み方も何だかオシャレである。普段日本酒をほとんど口にしない私だが、すべて美味いと思って飲んだのは、料理があまりにも素晴らしかったからである。

 県民性など取り立てて信じているわけではないのだが、調べてみると、岩手県人は頑固で寡黙、生真面目なタイプが多く、地道にコツコツ努力する県民気質であるとのこと。しかしその一方で、創造性に富み芸術家や作家を多く輩出しているのも特徴だという。宮沢賢治や石川啄木がその筆頭であろうが、県内には芥川賞の受賞者が2名、直木賞の受賞者が5名もいる。著名人ということになると、今では大谷翔平や菊池雄星、佐々木朗希の名が真っ先に浮かぶのだろうが、私にとってはどうも縁遠い存在である。

 ところで、こうした飲み食いに関する話は、『月報』に書いてはいけないとのこと。調査旅行の本来の趣旨に反するからだそうである。飲食の費用などは全部自分持ちなのだから、どうでもいいような気もするが、大学の事務方は岩手県人のように「頑固で寡黙、生真面目」なので、上からの指示に素直に従っているのかもしれない。旨いものを食べるかどうかで訪問先の印象はかなり変わってくる。こちらもグルメ・ツーリズムに毒されているからであろうか。私などは根が単純だから、「えん」のお陰で盛岡が好きになってしまった。店主の料理が岩手県民らしく「創造性」に富んでいたからに違いなかろう。