移りゆく季節のなかで(二)-さまざまな出来事から-
この秋には、大小取り混ぜて実にさまざまな出来事に遭遇した。まずは、もっとも大きな出来事であった家人の手術を巡る話から、触れてみたい。家人が足や腰の痛みやしびれを感じるようになったのは、いつ頃からだったのだろう。改めて聞いてみたところ、3〜4年前からだとのことだった。その頃は手術をするまでではないとの病院の診断だったようで、近くの整形外科で痛み止めの注射を打ってもらったり薬を飲んで対処していた。だがそうした対処は、対症療法ではあっても治療ではないから根治するわけではない。しばらくはそんなふうにしてやり過ごしていたのだが、徐々に痛みやしびれが出る間隔が短くなってきたようだった。
このまま放置しておけば将来歩けなくなることも考えられる。この際だから専門医によく調べてもらって、今後の対応を考えることにした。診察の結果は、俗に言う脊椎管狭窄症というもので、ずれた腰椎が神経に触れて痛むとのことだった。この専門医は、こうした分野ではよく知られた名医で、手術待ちの患者がたくさんいるようだった。入念な検査を受けブロック注射を3、4ヶ月ごとに何回か打ったが、やはり手術が必要であるとの最終判断が下された。それから半年ほど待ってようやく手術の当日を迎えた。この病院を紹介してくれたのは高校時代からの友人で、同じような病名でここで手術を受けている。
その手術は、背中に4カ所穴を開け、1センチほどの小さなボルトを2本入れて神経に触っている脊椎をずらして固定するというものだった。麻酔が切れた後の痛みは相当だったようで、家人は身動きの取れないベットの上でうめいていた。1週間入院してから帰宅したが、1ヶ月ほどは堅いコルセットを着けていたから、なかなか大変だったと思う。1ヶ月検診も無事に済み、その後は外にも自由に出掛けられるようになったので、元に戻るのも間近だろう。不幸中の幸いと言ったところか。
そんなわけで、入院中は勿論しばらくの間私は食事作りに精を出した。出したというよりも、出さざるを得なかったという方が正しかろう。しかしながら、よくしたもので男の家事もやってみればどれもこれも何とかなる。男も女も家事を担うのは当然と言えば当然のことだから、定年を迎えて仕事から離れた男が家事に精出しても、何の不思議もない。突然降って湧いた一人暮らし体験であったが、なかなか貴重な体験だった。知り合いには一人暮らしの男性が何人かいるが、彼らは日頃どんなふうに暮らしているのだろうか。最近会った知人は、食事作りは何とかなるが、それよりも食事の時に話す相手がいないのが侘しいとのことだった。何を食べるのかということだけではなく、どんなふうに食べるのかということも大事なことなのだろう。
もう一つの大きな出来事は、地元の市民運動の代表から引退することにしたことである。年も年だし、春先から体調が優れなかったことも、そんな決断に繋がった。定年退職後研究者を廃業した私は、地元の市民運動に積極的に関わるようになった。以前の職業が大学の教員だった人間が、そんなところに顔を出すのはもしかしたら珍しかったのかもしれない。いつの間にか代表に担がれるような事態になってしまった。私は上に立ちたがるタイプの人間ではないし、肩書きを大事にするようなタイプの人間でもない。だから代表などという仕事も、やむを得ず引き受けたに過ぎない。
代表の主な仕事は、さまざまな集まりでの開会や閉会の挨拶であり、会議の場での司会進行役である。苦手だとまで言うつもりはないが、どちらも好きでやっているというよりもやむなくやっているようなものである。言ってみれば挨拶要員のようなものか(笑)。もしかしたら、周りからは重宝がられていたのかもしれない。勿論ながら、田舎育ちの私の挨拶が上手いわけはない。元々大の恥ずかしがり屋、照れ屋なのだから、苦手であって当然であろう。
そのうえでの話なのだが、話が下手だと自覚しているからこそ、話をしなければならない場には、できるだけ事前に準備して臨むようにしてきた。話が上手ければ準備など何もいらないと思うが、そうでなければ準備するしかない。その際に心がけてきたことは三つある。第一に、自分の足で大地に立ちその現実から話を組み立てることであり、第二に、与えられた「正解」をそのまま鵜呑みにするのではなく自分の頭で考えることであり、第三に、話の内容が聞き手に伝わるように笑いやユーモアを含んだ自分の声を発することである。こう書いたが、いずれも心掛けただけに過ぎず、実際に出来ていたわけではない(笑)。
これまでにも、「清く正しく美しいが、つまらない話」をたくさん聞いてきたような気がする。また、「仲間内では受けるものの、外ではまったく受けない話」も聞いてきた。あるいは「自分だけが正しいと勘違いしているような話」もあった。「正しいことをやさしく、やさしいことを面白く」とは井上ひさしのよく知られた箴言(しんげん)だが、改めて噛みしめてみる必要があるのかもしれない。この私は、喜寿も過ぎて80歳も間近になってきたので、これからは年寄りの戯れの世界に生きようと思っているのだが、そうであるならば、苦虫を噛み潰ぶしたような顔からさっさとおさらばして、笑いとユーモアの世界に遊んでみたい。
最後に触れておきたい出来事は、こちらが一期一会の気分に囚われていることもあって、この間実に多くの人々と会ったことである。毎年秋にはそうなることが多いのだが、今年はとりわけ多かった。猛暑の夏もようやくにして過ぎ去って涼しくなってくると、夏の疲れも取れ、ビールが旨くなり、そして人恋しくなってくる。いつものように教員時代の知り合いと会い、昔の研究会仲間と会い、大学時代の友人と会い、高校以来の友人と会い、そして久方ぶりに中学時代の同級生とも会った。どういう集まりなのか上手く定義できない集まりもあった。ただの飲み会だというしかないのか。そんな集まりが明日もある。異色のところでは、東大闘争時のリーダーだったOさんとも会った。彼からは、NHKが制作した全6巻からなる『清左衛門残日録』を貸してもらった。彼は主演の仲代達矢のファンだったからである。最近彼が亡くなったので、Oさんも思うところがあったのであろう。
以前冊子でも触れたことだが、話の通ずる「知り合い」と「飲み食い」しながら「雑談」を交わす、この三拍子が揃うと愉しみは確実に倍加する。しかしながら、ここでいう「雑談」が実はなかなか難しい。話すだけでも駄目だろうし、聞くだけでも駄目であろう。話しながら聞く、あるいは聞きながら話すのがいいのに違いない。『徒然草』の第56段には、「をかしきことをいひてもいたく興ぜぬと、興なきことをいひてもよく笑ふにぞ、品のほどはかられぬべき」といった警句が登場している。読みながらなるほどと感心したのは、そんな場面に遭遇したことがあったからである。つれづれなるままに自分はどちらなのか考えてみたが、どうもよく分からなかった。分からないということはどちらでもないということであり、もしかしたら案外品はあるのかもしれぬ。こう書いて一人悦に入っていたところ、家人が言うには、私は「をかしきことをいひてもいたく興ぜぬ」人の典型だとのこと。笑うに笑えぬ何とも厳しい一言だった(笑)。

