暮れから正月へ(下)

  年も改まって、今日は2026年の1月8日。三が日も松の内も過ぎて、いつもながらの静かな暮らしに戻った。昨日、ショッピングセンター内にある大きな本屋に出掛けたが、正月の名残は入口前に飾ってあった門松のみだった。しばらくすれば、節分やバレンタインデーの喧噪が始まるのであろう。今回のブログでは、前回に引き続き身の回りの出来事を思い付くままに書いてみる。

 年末に小僧二人が大掃除の手伝いに顔を出してくれた。娘が派遣してくれたのであろう。断捨離が済んだ家の大掃除など取り立ててやることもそれほどないので、窓拭きや風呂場の掃除をさっさと済まし、4人で雑談を交わしトランプで遊んだ。子供たちとは昔よくカルタで遊んだものだが、小僧たちとはいつもトランプである。下の小僧は負けるとよく泣いていたものだが、このところめっきり強くなり今回は優勝した。そう言えば、下の子供もカルタで負けてはよく泣いたものである。

 さらに昔に遡ると、自分が子供の頃には双六や福笑いをやった記憶がある。外ではコマ廻しや凧揚げ、羽子板、竹馬などもやった。そのなかで今でも残っているのは凧揚げぐらいか。凧揚げは小僧たちともやった。晴れた冬空にぐんぐんと舞い上がる凧は、上げている方も見ている方も気持ちがいい。今は凧ではなくカイトと呼んでいるようだが、これだと尻尾をつけなくともかなり良く上がる。今度は高く上がっても大丈夫な場所を見付けるのが一苦労である。ところで、家で餅をついていたのはいったいいつ頃までだったのであろうか。記憶が大分ぼやけてきている。餅をつくのも大変だったが、小さく切るのはもっと大変だった。母も年末は忙しかったことだろう。

 年賀状を書くこともなくなったので、年末から正月にかけて大分ゆったりした時間を過ごした。そこであれこれの映画を観ることにした。年末に観たなかで印象深かったのは、『クライマーズ・ハイ』(2008年、監督・原田眞人)と『歩いても 歩いても』(2008年、監督・是枝裕和)である。前者の『クライマーズ・ハイ』は以前観た作品だったが、既に忘れていたことも多く、改めて見直してみてさまざまな発見があった。1985年の日航機墜落事故をめぐって地元の新聞記者たちの興奮や奮闘や対立が赤裸々に描かれていて、全社を巻き込んだ緊迫した映像に圧倒された。まさにクライマーズ・ハイである。主演の堤真一の演技も素晴らしい。監督の原田眞人(はらだ・まさと)は、昨年の12月に76歳で亡くなった。何とも妙な巡り合わせであった。

 もう一本の『歩いても 歩いても』は、怒号飛び交う『クライマーズ・ハイ』とは対照的に、実に静かな映画であった。兄の命日に合わせて、姉と次男が連れ合いと子供を連れて実家に顔を出す。久方ぶりの帰郷である。次男の一家はあまり気乗りせぬまま一晩泊まることになる。映画はその間の遣り取りを丁寧に描き出していく。たったそれだけの話なのだが、家族のなかには実にさまざまな葛藤や軋轢や翳りが沈殿しており、死んだ兄もそしてまた妻の死んだ前夫も、依然として家族として生き続けていることがよくわかる。タイトルはいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」からとられているのだが、「歩いても歩いても」理想の家族といったものに到達することはない、そんなことが描き出された映画だった。こちらでは主役の樹木希林の存在感に目を奪われた。

 年が明けてからも映画を観続けた。観たのは知り合いのOさんからお借りした『清左衛門残日録』である。NHKで放映された番組をDVD化したもので、全6巻計12時間にも及ぶ大作であった。正月休みででもなければ観ることは難しかったかもしれない。用人として主君に仕えていた三屋清左衛門は、主君の死を機に隠居するのだが、「日残リテ昏(く)ルルニ未ダ遠シ」の如く、隠居した後もさまざまな事態や事件に遭遇する。

 不遇な人生を辿ったり病に倒れた友人のこと、元気に活躍する同僚のこと、息子やその嫁、そして死んだ妻のこと、班内の派閥争いのこと、さらには馴染みの店の女将との淡い恋情のこと等々。仲代達矢が演じる主人公の台詞には、味わい深いものがたくさん登場するのだが、さまざまな挿話がオムニバスのように続くので、残念ながら話が十分に掘り下げられることはなかった。その辺りに少しばかり不満が残った。

 こんなふうにして映画三昧の年末年始を送ったのだが、家にいて旨いものを食べているだけでは体重の増加は免れない。1月2日には娘に誘われたこともあって、浅草に出掛けてきた。こちらとしては参拝よりも正月風景を撮ってみたかったので、自分なりの目の付け所をあちこち探し廻ってカメラを向けてみた。娘は折角の機会だからとレンタルの着物を着たので、こちらも撮ってやった。たくさん撮ればなかにはいいものも混じる。喜ばれたことは言うまでもない。驚いたのは、浅草寺の境内の梅が見頃のように咲いていたことである。寒いとは言ってもやはり暖冬なのか。

 知り合いからのメールに、近所の家では蝋梅(狼狽)が咲いており「冬来たりなば春遠からじ」だと書かれていた。「冬来たりなば春遠からじ」とはなかなかいい言葉ではないか。出典は何かと思って調べてみたら、イギリスの詩人シェリーの詩の一節 If winter comes, can spring be far behind? を訳したものだとのことだった。日本語は、シェリーの詩集を訳した上田和夫の作だとのこと。原文は疑問形だから、「春遠からじ」と断定しているのではなく、「遠からじや」と言うべきところなのであろう。冬の詩人である高村光太郎の詩にならって、「きっぱりとした」「刃物のような」冬も嫌いではないが、春を待つ冬というのもも悪くはない。

 「冬来たりなば春遠からじ」から急に思い出したのだが、昔ダウン症の姉が「どこかで春が」をよく一人で歌っていた。詩人の百田宗治の作詞による童謡である。姉は歌を歌うのが大好きだった。学校では、もう一人の姉の隣でただ座っていただけだったと聞いたことがある。だが歌だけは覚えたのである。姉が亡くなったのは2008年だから、あれから20年近くの歳月が流れ去った。もうしばらくすれば、あちこちで春が生まれ出るのであろう。

 浅草でお好み焼きやもんじゃ焼きを食べたが、そこで娘が初詣に夜中に神社に出掛けた話をした。その神社の名前が驚(おどろき)神社だったので驚いた。近くにある神社だったから、散歩と撮影かたがた出掛けてみることにした。5日ともなれば神社にはもはや何もない。謂われもよくは分からないごくごく普通の神社だったので、これまた驚いた。驚くという漢字は馬のうえに敬と書く。敬とはもともと体を引き締めてかしこまるという意味らしいので、馬がはっとして緊張する様を現したのであろうか。今年の干支は丙午(ひのえうま)なので、驚神社に出掛けたのも何かの縁なのであろう。

 途中道を間違えてしまったために、神社に辿り着くまで二度ほど通りすがりの人に道を尋ねた。お二人とも優しく教えてくれたが、その際お二人から期せずして「どうぞお気をつけて」と言われた。こちらが年寄りだったのでそう言ってくれたのだろうと思ったが、もしかしたらそれだけではなく、新しい年が明けて人の心も何時もより優しくなっていた所為なのかもしれない。私もそうありたいと願い、神社の側にあった和菓子屋で新春の土産を買った。明日は山田洋次監督の「TOKYOタクシー」を見に行く予定である。日頃の狷介な自分を脱して、人に優しくあれたらいいのだがと思った年明けであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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