北東北の旅へ(上)
今日は8月6日、広島に原爆が投下されて80年目の日である。この日に3泊4日の北東北の旅に出掛けた。人文科学研究所の企画した調査旅行に、いつものように参加させてもらったのである。そして奇しくも8月9日の長崎への原爆投下の日に、帰宅した。いつもであれば、ブログへの投稿予定日が調査旅行と重なる場合には、事前に書きためてアップしておくのだが、今回はそれができなかった。そこで、今日になってブログの文章を綴っているわけである。
なぜそうなったのかと言えば、出掛ける直前まで冊子の第9号となる『カメラを片手に』の校正に追われていたからである。お盆休みがあることを考えると、出発前に校正を終了させておかなければならない。それが済んでいないと、どうも調査旅行に出掛ける気分になりにくいからである。すべて済んでやっと旅行気分になった。荷物はいつも最小限で旅に出るのが信条なので、端から見れば驚くほど少なく見えることだろう。断捨離の旅行版のようなものである。
同行の方々からは、荷物が少ないですねとよく言われる。その理由を丁寧に説明するのが難しいので、「面倒くさがり屋なんですよ」と答えることにしている。荷物が少なければ、下着類は毎日ホテルで洗濯することになる。ユニクロの下着はとても薄いので、簡単に洗えるしそしてまた簡単に乾く。今回気になったのは下着類ではなく靴下であった。ちょっと厚すぎたので乾きにくかったのである。次回はもっと薄いものにしなければなるまい。
出発時の6日は、8時頃の東北新幹線に乗車することになっていた。事前に研究所の方から早めに予約するようにとの指示があったので、初めてネットで予約してみた。全席指定の列車なので、発車時刻に間に合えばそれでいいようなものだが、私のような年寄りは心配症なので早めに出掛けた。サンドイッチとコーヒーを買い込んで車内で朝食を摂った。待ち合わせ場所は新花巻だったから、2時間半ほど列車に乗った。新幹線のゆったりした座席から車窓を眺めていると、だんだんと旅行気分になってくる。
驚いたのは、大宮駅から仙台駅までノンストップだったことである。私の田舎は福島なので、吾妻小富士や福島の市街を眺めたいと思ったが、一気に通過してしまったので見損なってしまった。ぼんやりと外を眺めていると、徐々に徐々に田園風景が広がり始めた。稲穂の黄緑色を中心にした様々な緑のグラデーションが、何とも美しい。そんな光景を目にしていると、都会の喧噪を離れて自然に溶け込んでいくような心地がする。もともと田舎育ちの人間だからであろうか。
今回の調査旅行は「北東北総合研究調査」と銘打たれていた。廻ったのは、盛岡、八戸、十和田、むつ、大湊、野辺地(のへじ)であり、宿泊したのは、盛岡、八戸、むつである。盛岡で泊まったホテルは「北ホテル」という名であったが、ウジェーヌ・ダビの同名の小説を思い出す人も多かろう。敬愛する田宮虎彦が一番好きな作家としてダビの名をあげていたので、その本が私の手元にある。獅子文六の名で知られる岩田豊雄の訳で、1951年に三笠書房から出版された。
この盛岡では、夕食に創作料理の店に出掛けた。出された料理がすべて美味しく、それらの料理に合うと勧めてくれた日本酒を、ワイングラスで飲んだ。普段日本酒をほとんど口にしない私だが、すべて美味いと思って飲んだのは、料理が素晴らしかったからである。調査旅行に出掛けると、体重が増えて帰宅するのが常である。それ故、飲み食いを抑え気味にすると誓って家を出てきたのだが、その誓いを初日から忘れてしまった。情けない話である。
初日にあまりにも美味いものを食べたので、2日目と3日目は普段の夕食に戻った。少々残念な気もしたが、それでいいのであろう。東北の最果てにまで来て美味いものを食べようなどといった魂胆が、間違っているようにも思われた。3日目には大湊駅のすぐ側にあるホテルに泊まった。この駅は大湊線の終着駅であり、少し歩けばすぐに海である。駅の構内に入って鉄路を眺めたり、あちこちにある廃屋を眺めていたら、何とも言えぬ旅情に囚われた。この大湊は、北島三郎の唄う「風雪流れ旅」にも登場している。