- 真鶴から湯河原へ
この間、二つの旅日記を続けてブログに書い継いできた。一つは「盛夏のアイヌ紀行」であり、もう一つは「処暑の岡山・倉敷紀行」である。前者は計10回、後者は計9回の長期に渡る連載となった。調べてみたら、「盛夏のアイヌ紀行」の […]
- 暮れから正月へ
今回はいささか時節外れのブログとなる。タイトルからして何とか一月中に投稿したかったのだが、とうとう二月にずれ込んでしまった。今日は2月3日月曜日。年が明けて迎えた一月睦月も早々と過ぎ去って、昨日はもう節分である。もはや […]
- 処暑の岡山・倉敷紀行(完)-倉敷から小野へ-
今回の「処暑の岡山・倉敷紀行」も、いつものように大分長い連載となってしまった。前回のブログで調査旅行に拘わった話はすべて書き終えたのだから、そこで終わりにしてもよかったのだが、倉紡記念館の見学を終えてから小野に向かうこ […]
- 処暑の岡山・倉敷紀行(八)-大原孫三郎と労働科学研究所のことなど(下)-
大原孫三郎は三つの研究所の創設と維持に深く関わった。その研究所とは、大原農業研究所と大原社会問題研究所と労働科学研究所である。農業研究所は、大地主の息子である孫三郎が小作人の窮状を知ったことに端を発しており、大原社会問 […]
- 処暑の岡山・倉敷紀行(七)-大原孫三郎と労働科学研究所のことなど(上)-
水島から倉敷に戻ったこの日は、調査旅行の最後の晩だということもあって、地元の居酒屋で皆で楽しく飲み食いした。水島の続きから言えば、朝鮮焼肉にビールというのも悪くはないと思ったが、折角瀬戸内に来たのだからということで、魚 […]